□零話「始まり」
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それは……出来過ぎていたとしか言えなかった。

昨日の天気は雪だった。種類も良く覚えている。粒の大きい牡丹雪だ。その雪は激しくならず、かと言って止む様子もなく夜空に舞う様に降り続けていた。なのに江戸での最後の散歩をしようとして朝早くに目を覚ましたら、空はびっくりするくらい青くて綺麗で、雲一つなかった。


「お前を送り出そうと、天が晴れにしてくれたんじゃろうな」


先月で一歳を迎えた操様を抱いた翁がそう言った。操様はぎゅっと翁の胸元を掴んでいて、今にも泣きそうな顔でうちを見ている。


『…そんな顔しないで下さいよ操様。そんな顔をされたら、行きたくても行けないじゃないですか』


奥で父上と母上が待ってくれているというのに。宥める様に操様の頭を撫でたら、笑って下さった。

…父親に似て心が安らかになり、母親に似て元気になれる笑みを。


『よしよし。そうやっていつまでも笑っていて下さいね。…蒼紫』


「なんですか、夕利」


視線を蒼紫に向けた。初めて逢ったあの日から五年経っていた。うちの方が背が高かったのに、いつの間にか抜かされていた。

見かけに反して馬鹿で阿呆で、御頭の足元にも及ばないけど…それでも、


『後は頼んだ』


御庭番(ここ)を任せられる奴だ。だからうちは、京都に行く事が出来る。


「…任せて下さい」


『よし、じゃあ…最後に言って置いてやろうかな。蒼紫、何度も言ってるけどあんたは無茶しすぎだ。無理するなよ』


「………」


『無言は肯定と取るよ。
…じゃあ皆元気で。
ありがとう、またね』


いつもの男っぽい口調じゃなくて、作り笑顔じゃなくて本当の笑顔を浮かべて手を大きく振り、父上と母上の元へと駆け出した。蒼紫の視線を感じながらも決して振り返らないで。


京にある本家で儀式を終えると、父上と母上とうちは瀧波家を抜けた。…本家に戻る事はもう二度とないだろう。

山を下りると町にあった小さな家を借りて半年間、家族三人で暮らした。



「夕利、その素振りが終わったら休憩にお父さんと一緒に出掛けないか?」


「貴男、休憩に家事の手伝い…なんて駄目かしら?」


『……ねぇ父上』


「はは、そんな目で見つめられたらなぁ。お母さんを手伝いなさい」


『はい!』



鍛練は毎日やってたけど、終わったら父上と一緒に出掛けたり母上の手伝いをしたりと、普通の子供と変わらない生活をしていた。美味しいご飯を家族三人で食べるなんて、江戸にいた頃は出来なかった。

御庭番衆だった頃に比べたら遥かに平凡だけど、それでもうちは幸せだった。
…あの日が来るまでは。
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