弐
□参拾伍話「一事件」
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船路というのは、海を見飽きて娯楽がなければ飽きてしまう。が、いつ志々雄一派が襲撃して来るか分からない、重大な情報が入って来るかもしれないとの事で若干の緊張感はあった。
『斎藤さん、神戸に集まっている志々雄討伐隊と合流したら、討伐隊の人と手合わせしても良いですか?』
沼津を離れて数日後、甲板で煙草を吸っている斎藤を見かけた夕利は周りに部下がいない事を確認してから言った。夕利に話しかけられた斎藤は流し目を送った後に煙草から口を離した。
「構わんが、俺が選んだとはいえお前には劣るぜ?それでも良いのか?」
『別に良いですよ。うちの目的は、船に乗っていて鈍った体をほぐす為ですから。船の上だとロクに運動出来ませんし』
「………なんだ。それだったら付き合うぜ」
『甲板で手合わせとかしたら邪魔じゃないですか?』
「付き合うのは夜の方だぞ」
斎藤はしれっとした顔で灰を海に落とし、夕利は額に押さえて俯いた。
『…なんでこの人はそっちの方に思考が行くんですかねぇ…』
「しょうがないだろ。それが男だぜ?そんなに動きたいなら今夜お前の部屋――」
『結構です!!』
斎藤の言葉を遮り、怒ろうとしたが部下が一人甲板に出て来てこちらに近付く。それを見ると夕利はいつもの仕事時の顔に戻った。斎藤は流石だなと内心言いつつ部下に訊いた。
「どうした」
「は!緋村抜刀斎と、警部補が見張れと仰っていた四乃森蒼紫が京都に入ったとの事です!」
剣心が京都に着いてくれて良かったと安堵したと同時に、蒼紫が京都に来たという事実に夕利は息を吐いた。
「分かった。そのまま監視を続けろ」
「は!」
部下は敬礼すると戻っていった。
『…馬鹿蒼紫…』
斎藤と二人っきりになると夕利は眉間に皺を寄せて険しい顔をした。
「御頭にそんな言い方して良いのか?」
『うちは蒼紫が御頭になる前に抜けたので言ったって別に構わないでしょう。それにうちにとって蒼紫は図体のデカイ、世話の焼ける弟に過ぎません』
そう言えば夕利は蒼紫を呼び捨てで呼んでいた事を思い出し、煙草を口に咥えた。
「随分と親しげだな」
『まあ、御頭の命令で面倒を見ていましたから』
「……そうか」
呼び捨てで呼ぶほど親しい蒼紫に嫉妬してその後、斎藤は何も聞かずに煙草を吸い続けた。
その日の夜、蒼紫の事が気になってなかなか寝付けない夕利は外の空気を吸いに部屋を出た。柵に寄り掛り、真っ暗な海を眺める。磯の香りのする風に吹かれる横髪を耳に掛けていると斎藤が近付いて来た。
「早朝に神戸に着く予定だ」
『…分かりました』
沈んだ声で返事する夕利に斎藤は片眉を吊り上げた。
(…そう言えば、四乃森が京都に入ったと報告を聞いてからこいつの笑顔を見てないな。
…笑え。でなけりゃせめて泣き顔がいい)
『ハァ…』
吐き出された溜め息は深い。暗い表情の夕利は斎藤に寄り掛かる。夕利を支える為に斎藤は夕利を抱き寄せて自分の胸に凭れ掛からせた。
「…大丈夫か?」
すると夕利は斎藤の胸に額を当てたまま問いに答えた。
『大丈夫です。ただ…不安なだけで』
「……」
『蒼紫は変な所で馬鹿な事をする馬鹿なんです。だから、早まった事をするんじゃないかって…』
ぎゅっと斎藤の胸元を掴み、顔を上げた。顔を上げたのを見ると斎藤は夕利の額を指で弾いた。
『痛っ!』
「いつまでもそんな辛気臭い顔をするな阿呆。寝ろ。これは上司命令だ」
『…分かりました。
…明日には、笑えるようにしますね』
斎藤に頭を下げてると夕利は部屋に戻り、それを見届けた斎藤も戻った。
斎藤が軍や警察から選った剣客の集まりである志々雄討伐隊は神戸に集結完了した。しかしその夜、謎の賊の手に掛かり、約五十人が一夜にして壊滅したのだった。