□漆拾参話「入」
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家を出るという緊張からか、夕利はいつもより早く目が覚めてしまった。障子を開けると目に飛び込んだのは眩しい朝日。スッ…と夕利は目を細めると口を開いた。


『おはよう。良い朝だね潮江(しおえ)』


「は、そうでございますね夕利様」


夕利から一歩ほど離れた廊下の奥に、朝に似合わない黒装束を着た忍が頭を垂れて片膝を付いていた。瀧波家を守る忍頭である潮江は顔を上げた。


「おはようございます。私の気配を覚えて下さられたのですね」


『ん、まあね』


「…この潮江、恐悦至極にございます…!」


『だって、いつも父上の近くにいるんだもん。嫌でも覚えちゃうよ』


ふふっと笑いながら顔を向けると、鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしていた。目が合うと潮江は表情を緩ませ、目を閉じた。


「夕利様のお父上を守るのが、この私の役目にございます」


『父上、時々潮江のこと褒めてるよ。うちには勿体ない忍だって』


「!そんな、それはこちらの台詞です。私には勿体ないお家にございます!」


首を左右に振って恐縮する彼を見つめた後、夕利はまた朝日に目を向けた。そして、薄く口を開けた。


『…ねぇ潮江、隠密って大変?』


彼は直ぐに夕利の顔を見た。朝日に照らされるその横顔は、神々しくも不安が見え隠れしていた。

重敦達には、夕利は遊学という形で江戸に行くと伝えているが、潮江は真実を聞かせられていた。なので問いに答えるのに少し時間がかかった。


「……ええ、大変です」


『…そっか…』


やはりという様な声色。覚悟を決めたように夕利の顎は少し上がった。凛っとしたその表情から、幼くても誇り高い瀧波家の姫だというのが窺える。


(……どうか、夕利様にご加護を)


たったの五歳で武を積む事になる夕利に、潮江は深々と頭を下げた。















準備を済ませると三人は町に降りた。初めて見る京の町に夕利は驚いた。華やかさの中に歴史を感じさせる京都には目を瞠るばかり。自分の視界の狭さに夕利は悔しさを感じた。

江戸までの案内人として、そこで初めて彼に会った。


「久しぶりですな動三殿。隣にいるのは奥方殿と娘さんの夕利殿だな」


葵屋と言う料亭の玄関の前に彼は立っていた。


「はじめましてお二方。私は隠密御庭番の一員で、“翁”と言う者じゃ。あなた方を江戸まで無事に送り届ける案内人。どうぞよろしく」


にこっと笑うその笑みは本物で人が良さそうだった。
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