流加伊演義
□第三節「連れ」
3ページ/3ページ
「もう。夕利さんもいるんだったら最初から言って下さいよ。えっと…」
『名無しのごんべえさんです』
「へー、変わった名前ですね」
「偽名だからな?本気にするなよ?」
「そうなんですか。夕利さんが真顔で言うから本当だと思っちゃいましたよ」
(笠で顔を隠しているからね?瀬田さん)
笠の合間から店内を見ると、急に和気藹々とした雰囲気になって周りは戸惑っているようだ。永倉が料金を払っている間に男を外へ運んでいると、待っていた安慈が夕利の代わりに男を肩に担いで木の根元に下ろした。
『ありがとうございます』
「そう言えば、なんで和尚の手と足に鎖が付いているんです?」
『一応囚人だからで、外に出れているのは特例だからです』
「ふーん。…ねぇ夕利さん。今さらですけど、付いて行くのに条件を付けても良いですか?」
『枷を外せと?』
「流石夕利さん!話が早い」
『だ、そうですけど、どうしますか名無しのごんべえさーん?』
呼び掛けると、カッコ悪いからあんまその名で呼ぶなとぶつぶつ溢す永倉が顔を出す。安慈の目を見て、溜め息を付いた。
「…あー分かった分かった。枷、外していいよ」
『承諾して貰ったので鎖、粉砕して良いですよ』
「ああ。…フン!」
安慈の手首に何重にも巻かれていた鎖が、木っ端微塵になって土と同化する。一瞬の事に永倉は苦笑いを浮かべた。
「…その気になれば、いつでも脱走出来たって訳か」
『そう言う事です。後で彼の技と、その対処法を教えます』
「助かる」
『さて、足枷は彼に付けましょうか』
安慈の足枷を外して男に付け直している所で、紐を持った宗次郎が隣に来る。店主に頼んで持って来て貰ったものを永倉から渡されたらしい。慣れた手付きで木に縛れば、永倉におしぼりを渡される。立ち上がって手を拭くと、おしぼりと交換で店主にはしかぷ餅も渡された。
『一度食べた事がありますが、美味しかったです』
「美味しいですよね。夕利さんも甘いもの、好きです?」
『ええ』
「僕と一緒ですね、ふふ」
「…相変わらず、老若男女問わずに好かれるな。あいつの胃が心配になって来た」
永倉が男の額に手配書を張ると、意識を取り戻したのか男は唸る。軽く手足を動かして抜け出せないと分かると、小声で呟いた。
「…殺さないのか?」
「人聞き悪いコト言うなよ。今は明治で、侍はいないって言っただろ。斬り捨て御免なんてもう無いって。それに」
全員、はしかぷ餅を受け取ったのを見ると永倉は、立ち上がってはしかぷ餅を一口噛った。
「俺は狼ではなく只の狗だから、悪・即・斬はしないよ」
『すっごいカッコつけて言ってましたね名無しさん』
「カッコつけちゃあ悪いかい?ニヤニヤする奴はこうだ」
『わー止めて下さーい』
仕置きとばかりに頬を摘ままれる。斎藤みたいに遠慮なしに伸ばさないのが救いだ。宗次郎を回収したのなら直ぐに出発すべきなのだが、戦力が落ちる事なく(誰も怪我をせずに)済んだのでホッとする。近所にいる仲良しの年上と関わるみたいな戯れをしていると宗次郎が小首を傾げて言う。
「随分と仲が良いですね」
『ええまあ、昔からの知り合いなので』
「夕利はこのくらいちっちゃかったよな?」
『いや、そんなに小さくないですよ。てきとうに言わないで下さい』
自分の腰ぐらいを指す永倉。冷静に訂正すれば、そだっけ?と言われた。
「ま、お前は可愛い妹みたいなもんだから、それくらい長い付き合いだって思っちまうのさ」
頬を摘まむのを止めた永倉は摘まんだ所を優しく撫でる。下心のない、親愛に溢れた仕草だ。なのだが夕利はやんわりとそれを止めた。
『喋り過ぎたので、そろそろ行きましょうか』
「ヘーイ。あ、そっちには言ったが夕利は結婚してるから変なちょっかい出すなよ?」
『因みに、相手は斎藤さんです。仕事ではややこしいって事で別姓のままでいますが』
「斎藤さんですか…ふーん…」
宗次郎の顔に、面白くないというのが分かりやすく出る。それに安慈は驚き、夕利と永倉は話題を反らす為に本題を説明した。
時々休憩を挟みながら歩き続け、翌日には函館に到着した。外れにある署で斎藤に電信を送れば、碧血碑で合流せよと返って来た。
「碧血碑か。大人数で集まるには最適だな」
『街中を通ると目立つので、人ごみを避けて目指します。付いて来て下さいね』
「はーい」
夕利が気配を探りながら人ごみが少なくて、なるべく距離が長くならない道を選ぶ。函館山の麓に到着し、これから碧血碑を目指すという所で永倉に呼び止められた。
「ちょっと買い物に行って来る」
『何を買うんです?』
「酒とツマミ」
『…名無しさん』
「分かってる。けど、合流して五稜郭に入ったら気軽に酒が飲めないし、緋村と話せないだろ」
『……ハァ、少なめにして下さいよ』
「努力する。すーぐ戻って来るから先に行くなよ!」
軽い足取りで永倉は店を見つけて入って行く。二分ほど戻って来たが、瓶は二つと永倉にしては押さえたようだがツマミをそれなりに買ったようだ。
『持ちます』
「いいよ、自分で買った奴だし」
『名無しさんを止めなかったのは私の責任なので私が持ちます』
「…ん、じゃあよろしく」
受け取ると夕利は函館山を見上げる。心配で会いたかった愛しい気配、懐かしい気配、知らない気配が碧血碑を目指している。なるべく誤差はないようにしたいので、夕利は三人に声をかけて山道に入って行った。
第三節 完