短編小説

□道
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鳥の囀り、自動車の騒音、近所の元気な小学生。
そんな、いつも通りの朝。俺はいつも通りに目覚まし時計に起こされた。
うるさく鳴り響くそれを、俺は眠気眼の中、叩いて黙らせる。その衝撃で時計が前のめりに倒れてしまった。
 二度寝への欲望にかられながらも、時計を元の位置に戻して、俺は布団から起き上がる。
 夢と現実をさ迷う意識の中、頭をかきながら洗面所に行くと、鏡に映りこんだ不格好な自分に少し苦笑した。
蛇口からの冷たい水で顔を洗うと、さっきまでの眠気は段々と薄れていった。
タオルで顔を拭いて、ふと横にある窓を開けて空を見上げる。
今日は晴天だ。
昨日までは一週間ほど雨が続き、暖房がいるのではないかというぐらい寒かった。
こうして久しぶりの青空を見ると、爽やかな気分になる。
窓から入ってくるそよ風は少し肌寒く、季節の変わり目を感じさせる。
『怡織(いしき)……、ありがとう』
俺の頭の中で親友の、秋那(あきな)の台詞が過ぎった。
そう言われたのは二年前だ。
 その日も確か、今日みたいな晴天だった。
「もう、そんなに経つのか……」
時が過ぎるのは思っている以上に早い。俺はこんなにも、この台詞を鮮明に覚えているというのに。
秋那とは、もう二度と会えない。
そんな現実を、昔の俺は想像すらしていなかっただろう。

                  †††                  

秋那と出会ったのは小学生の頃。
最初、俺から声をかけたのか、秋那から声をかけたのかは全く覚えていない。
秋那は人見知りをする性格だったから、多分俺からだと思う。秋那もどちらからだったのかは覚えていないため、よく分からないが。
俺達は、物心が付き始めた年頃に友達になった。
俺はやんちゃな子供で、放課になると同時に外に飛び出していった。
 秋那はというと、俺とは正反対で、放課になっても教室で過ごしていた。
 中学生のときだっただろうか。いつも窓から外を見つめている秋那に、俺はいてもたってもいられなくなり、
「一緒にサッカーやろうぜ?」
と、サッカーボールを脇に抱えながら誘った。
「僕はいいよ。運動は苦手だから」
秋那ははにかみながらそう言った。
「そんなん関係ねえよ。楽しければいいんだって。な?」
引っ込み思案なところのある秋那を知っていた俺は、秋那は恥じらいで苦手だと言っているものだと思い、腕を引っ張った。
だが、秋那は俺の手を力強く振り払い、
「やめてよ! 何も知らないくせに!」
普段大人しい姿からは想像できないほど、秋那は叫んだ。
その刹那、教室中が静まり返ったのをよく覚えている。
秋那の言う通り、俺は秋那のことを何一つとして理解していなかった。
後で本人から聞いた話だが、秋那は病魔に体を蝕まれていたのだ。
体の成長が徐々に衰えていき、内臓の機能も筋肉も衰えていくという病気。
原因は不明らしい。そのため、薬も存在しない。
秋那は昔から身長も低く、体も痩せていた。おそらく、この病気の影響だったのだろう。
そんな現実を、思春期真っ盛りの秋那は背負っていたのである。
 薬もない。原因も分からない。病状は時と共に進行していく。
それを知ってもなお、俺は秋那に何もしてやることができなかった。
秋那は自分から俺に病気のことを教えてくれたということは、少なくとも俺に助けを求めていたのだ。
 それでも何もしてやれないちっぽけで情けない自分を、俺は毎日恨んだ。



それから数年が経ち、俺と秋那は高校生になった。
秋那の病状はさらに悪化し、車椅子での生活を強いられるほどになっていた。
俺と秋那は地元の同じ高校に入学し、学校側からの許可も下りて三年間同じクラスとなった。
秋那は俺に車椅子を任せ、どこに行くにも一緒だった。
俺と秋那は、世間でいう幼なじみそのもの。
そして、友達ではなく、親友。
親友の定義など俺には分からないが、それでも秋那は俺にとって大切な親友となっていた。
だが、俺には病気を治してやれる力はない。俺には傍にいてやることしかできなかった。
そして高校三年生の初冬。それは突然だった。
何の前触れもなく、秋那は倒れた。
意識を失った秋那の顔は真っ青で、体は痙攣していた。
傍にいた俺はすぐに救急車を呼び、ぐったりとした秋那と共に病院へ向かった。
「秋那! 秋那!」
救急車の中で、何度も何度も呼びかけたが、秋那が反応を示すことはなく、病院へと到着した。
精密検査のため、廊下で待っていた俺の元に秋那のお母さんが息を切らしながらやってきた。
「俺が付いていながらこんなことに……」
俺は申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになり、お母さんを直視することができなかった。でも、お母さんはそんな俺の肩に優しく手を置いて、
「あなたがいてくれたから、秋那は今まで生きてこられたのよ」
罵声を浴びせられると思っていたのに、そんな台詞を言われるなんて予想もしていなかった。
「あの子は知らないんだけど、生まれたときに十年も生きられないって医者に言われたの。でもあの子はちゃんと生きてる」
「…………」
「毎日学校から帰ってくるとね、楽しそうに怡織くんのことを話してくれるのよ。病気なんて範疇にないぐらい嬉しそうに」
「……う…」
気付くと俺は、泣いていた。
悔し涙ではなく、嬉し涙。
秋那は俺なんかでは到底敵わないほど強い人間なんだと、改めて思った。



それから半日。秋那は病院のベッドの上で目を覚ました。
「ねえ、怡織。コーラ飲みたい」
 秋那の第一声は俺に向けたこの台詞だった。
「ばぁか、病人がそんなもん飲むな。牛乳なら買ってきてやる」
「怡織の意地悪〜」
冗談なんて言っていられる場合ではないのに、学校で倒れたことなどもう些細なこととなっていた。
そうなんだ。
些細なことだと言えるほどの、親友以上の親友に、いつの間にかなっていたんだ。
それはまるで、家族のような――。
「怡織……、ありがとう」
「……え?」
秋那は優しい口調で、そっと俺に言った。
「何だよ、いきなり」
 俺は急に気恥ずかしくなって目を逸らした。
「色々だよ。怡織にはすごく感謝してるから」
「そ、そうか?」
「うん、だから……ありがとう」
 秋那から「ありがとう」だなんて、初めて言われた。
だからこそ、余計に嬉しかったんだろう。
秋那と目を合わせると、秋那は満遍の笑みを俺に向けていた。

 その日の夜、秋那は静かに息を引き取った。



そのときは死というものが理解できなかったし、むしろ理解したくもなかった。
一週間ぐらいは普通の生活には戻れなくて、周りでヘラヘラ笑っている奴を見ると「何でこいつは生きているのに秋那はいないんだ」と腹立たしくて仕方がなかった。
そんな俺にある日、秋那のお母さんが訪ねてきた。
秋那から俺への手紙、故に遺言を手に。
その手紙は「僕が死んだら読んでください」という添え書きと共に、秋那の部屋に置かれていたんだとか。もちろん手紙は俺にだけではなく、秋那の家族全員にちゃんとあったらしい。
お母さんが帰った後、俺は封を開けた。
秋那のことだから、何枚も便箋が入ってるだろうと思ったのだが、封筒の中には便箋はおろか、写真が一枚しか入っていなかった。
その写真は高校の入学式のときに撮った写真。
背景に校舎を入れて、中央で俺と秋那が肩を組んで笑顔でピースしている。
幸せに満ちたそんな二人が、そこにはいた。
よくよく思い返してみたら、二人で撮った写真はこの一枚しかないことに気付いた。秋那は写真が嫌いだったから。
そして、俺が無理を言って撮ったのがこの一枚。
そんな写真を、秋那は大事に持っていたんだな。
「ったく、何考えてん――」
ふいに俺は写真を裏返して言葉を失った。

『君を忘れない。特別な時間をありがとう』

秋那が俺に伝えたかったこと。
何となくだけど、理解できた気がした。
「それは俺の台詞だっつーの……」
しばらくの間、涙が止まらなかった。
それが悔し涙だったのか、嬉し涙だったのかは、今はもう覚えていない。

                  †††                  

「うわやばっ! もうこんな時間!?」
空を見ながら思い出に浸っている場合ではなかった。
時計は八時を過ぎている。会社は八時半からなのに、このままでは遅刻してしまう。まだ朝食さえ食べていないというのに。
俺は洗面所から走って、タンスから適当に服を手にして着替える。布団とか寝間着とか、畳んでいる暇なんてない。
朝食も諦めるしかないだろう。こんなときに限って携帯食料もなかった。
俺は空腹の腹を摩りつつ、作業着の入った鞄を肩にかけ、スニーカーを踵部分を踏みつつも履いた。
「…………」
玄関を出る一歩手前。俺は下駄箱の上に飾ってある写真を振り返って見た。秋那との、あの写真だ。
「……いってきます」
秋那にこの声が届いているのかどうかなんて関係ない。
この日課が、毎日俺に頑張って生きようという強い意志を作るから。
だから秋那。今度は俺からお前に伝えるよ。

「君を忘れない。特別な時間をありがとう」

って。




END
 

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