長編小説『CLESENT VOICE』

□CLESENT VOICE 第二章『境界』
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梅雨。
それは年に一度訪れる約一週間の名称。
弓道部にとって梅雨というのは嫌なもので、ついついやる気が失せてしまうものである。
もし弓が濡れてしまえば使い物にならないし、矢は重みが増して真っすぐに飛ばなくなってしまうからである。
学校での部活動ならともかく我慢できるのだが、今日は生憎にも公式試合が行われていた。公式試合は地元から離れた場所でやるので弓具を持って移動するだけでも一苦労。試合会場で自分の立ちの番に雨が降っていれば尚かつ最悪といっていい。
そして今日は運がいいのか悪いのか、朝から空は曇りのままで、いつ雨が降ってくるのか分からない曖昧な天候が続いていた。
そんな中でも予定通りに試合は進行する。
司と貢が所属する弓道部は他校の弓道部と比べると人数的には劣っている。しかし、試合の方は団体戦と個人戦と両戦順調な滑り出しで、司は一立ち目で四射三中、貢は四射皆中(四射全てが的中すること)していた。
今は一立ち目が終わった後の自由時間で、部員達は控室となっている武道場で固まっていた。まだ公式試合には出場できない一年生は応援で二年生の袴姿とは違って制服を着ていた。
読書が好きな司は家から持参してきた小説を読んでいた。それは本人にとって何事にも変えがたい刹那の娯楽。
司は本の世界に一度入り込んでしまうとなかなか現実に意識が戻ってこない。単に集中力が高いだけなのだが、話しをいくらかけてもまったく反応しないときが時々ある。
周りの部員は司が大の読書好きだと知っていたために、司が読書をしているときはあまり話かけないようにしている。かけたとしても無視されるのがオチだと知っているからだ。
「中はあったかいなー」
貢は外から戻ってくると「んーっ」と、背伸びをしながら言った。急がず焦らず歩いてきて司の横に袴を踏まないように注意して座る。
「今、女子の団体戦が始まったところだったぞ」
「…………」
司には貢の声は聞こえていない。視線の先には一冊の本。
「また無視か? ……いつものことだけど」
「…………」
応答なし。
「俺、コンビニ行ってくるわ。それと……」
貢は司の肩に手を置いて、
「外でフェニックスが呼んでたから、切りがついたら行けよ?」
耳元で静かに囁いた。
「……フェニックスが?」
今度ばかりはちゃんと耳に届いたようで、本から目を離して貢と目を合わせていた。
「ああ、話があるんだと。何の話なのかは知らないけど早めに行ってやれよ?」
「そっか、分かった。……あとさ、コンビニ行くなら僕にも何か買ってきてよ」
「聞こえてたんかい。てか、俺はお前のパシリかよっ」
「いいじゃん、部長の命令だよ。それに僕は忙しいんだから」
「……それって読書のことか?」
「もちろん」
貢はため息を吐いて、
「仕方ねぇなぁ」
と、言って再び控室を後にいた。
司はフェニックスなどお構いなしに本に目を落とした。
当のフェニックスが司や貢に悪口をブツブツ言っていることも、知らずに、司は本の世界にのめり込んでいった。



貢がコンビニに行ってからしばらくして、司は本を鞄に入れて外に出た。いざ出てみると、弓道場からは的に矢が当たる音が繊細に聞こえてきた。
(どこにいるのか貢は教えてくれなかったけど……」
司は人が近寄らないような場所を捜してみたがフェニックスの気配はしなかった。
『司、こっちこっち』
ふいに頭の中に直接フェニックスの声が届いた。
「?」
が、もう一度周辺を見渡してはみるがフェニックスらしき姿はない。それ以前に、神が人間の中に紛れ込んでいるわけがないのだが。
『こっちだ、お前の後ろ』
「後ろ?」
半信半疑になりながらも司は振り返ってみた。しかし、そこには白のペンキで塗装された壁が立ちはだかっているだけだった。
「気のせい?」
『……司、俺はその向こう側にいる』
「しつこい幻聴だなぁ」
向こう側、つまり壁の向こうには司の記憶が正しければ、武道場の三階に続いている階段があるはずである。
司はそちらにゆっくりて歩んだ。
そこには階段に腰を下ろしたフェニックスが待ちくたびれた表情でそこにいた。
「なぁにが幻聴だってぇ?」
「フ、フェニックス。いやぁ、空耳なんじゃない? ははははは……」
司は咄嗟にわざとらしく笑った。
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