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□憂いの夜
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廃れた路上の一角を歩きながら、雲雀は小さく溜息を吐いた。怜悧な瞳にはどことなく疲れの色が浮かんでいる。
珍しいことだ。彼は一人の時でさえ、悩みや不安など、弱みに繋がる部分を表にだしたりはしない。
ボンゴレの壊滅の危機を知らされてから、この半月、果てのない職務に忙殺される日々が続いている。
山積みになった問題の処理や、敵側の情報収集、やることはまだまだ沢山ある。疲れていないと言えば、嘘になるだろう。
だが、ただ忙しいだけなら、雲雀は溜息などつかなかった。そんなことは、例えわずかでも彼が弱さを見せる理由にはならない。
ボンゴレファミリーはこれからどんどん追い込まれていく。その行く末は、今のところ決して明るいものではない。
それとて確かに懸念すべきことではあったが、彼の憂鬱の本当の原因は、他にあった。
雲雀は無意識に空を仰いだ。冬の夜空は青白い月に照らされて、暗黒と言うよりは深い藍色に染まっている。
あの男の髪も、あんな色だったな...
青みを帯びた艶やかな黒髪。今あの髪に触れられるのなら、自分はどんなことだってするだろう。
しかし、その男とはボンゴレ10代目の訃報以来、全く連絡が取れていない。
そのことが、雲雀の心を何より暗くさせるのだ。
どこで何をしているのか、それすらもわからない。いや、どこにいるかはわかっている。
彼の体は相変わらず、冷たい地下水牢の中で眠っているのだ。今や最愛の人間を失った彼は、身も心も、深い絶望の淵に閉ざされている。
どちらにしても、自分の手には届かない。恋しい想いだけが、ひたすら募る。
雲雀は心なしか重くなった足取りで、それでも立ち止まらずに歩みを進めた。
すぐそこに車を待たせている。今宵も既に一通りの情報収集を終えた彼は、今度はそれを報告する為に、その足で本部へと向かうのだ。
運転手の待つ車を目前に、だがふと雲雀は足を止めた。
背後に人の気配を感じ、反射的に振り返る。


「....君、は...」

女がいた。月影に照らされ、暗闇の中から浮かんだ白い顔は、怪我でもしているのか右目に眼帯をしている。
雲雀は女を見て、“誰だ”、ではなく、“どっちだ”と問いかけた。
女はもう一方の空いた目で雲雀を捉えると、応える代わりにゆったりと笑った。
見覚えのあるその笑い方が、本来の彼女のものではないことを、雲雀は良く知っていた。
眉間をきつく寄せる、泣き顔のような笑顔。そんな風に笑う人間は一人しかいない。
女は眼帯に手を伸ばすと、無造作にそれを取り払った。
露になった右目は、特に怪我らしいものはしていなかったが、何の異常もない、と言うわけではない。
血の様に赤い瞳だった。良く見ればうっすらと文字のようなものが浮かんでいる。
昔、紅いビー玉をを埋め込んだみたいだ、とからかったことがある。
勿論、その時は女の姿ではなかったが。

「...骸」

その名を呼んだ瞬間、じんわりと熱い感情が溢れ出し、雲雀の心は狂おしいまでにそれに支配された。
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