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□霧幻
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――思えば、買い出しの為立ち寄った町の道具屋で、店主に「知っているか」と神妙な顔つきで声をかけられたのが全ての始まりだった。


その日は朝から天気が悪かった。昼間になっても天候が回復する事はなく、元々薄暗かった辺りには次第に霧までもが立ち込めてきた。
視界の悪い中これ以上歩き回るのは危険だと考えたリッド達は、どこか一晩泊まれそうな場所はないかと散策し、運良く近くにあった町に辿り着くことができた。

地図上にも余り目立たないような森に囲まれた田舎町ではあるが、霧の中で野宿する事を考えればこれ以上ない幸運に思えた。
…が、それはすぐに後悔へと変わる事になる。
少なくなってきたグミや食料の補充へと立ち寄った道具屋で店主の男から入手した、どちらかといえば有り難くもない(リッドにとっては最も避けたいであろう)情報によって。



「ここらではさ…霧の出る日の晩には必ず奇妙な事が起きるって言われてるんだ」

「き、奇妙な事…っ?」

こういった類いの話が苦手なリッドはぶるりと肩を震わせた。その隣ではキールが品物を選びながら、さして興味はなさそうに話に耳を傾けていた。
怖がる客相手にさらに声を潜めた店主が身を乗り出すようにして話を続ける。

「今まで何人もの村人がそれを目撃してるんだよ。在る人は真夜中寝ていると…女が啜り泣く声が聞こえてきたり…、また在る人は昔幼い頃亡くした父親の姿を見た、ってのもあってさ…」

「じ、冗談だろ…?」

ひきつった声がリッドの喉から漏れる。

「もちろん信じるか否かは君らの自由だ。…でも、最近では“霧の見せる夢”と、呼ばれていてさ…、いなくなってしまった大切な人に会わせてくれる不思議な霧だっていう噂も出ているくらいだ。俺はまだ見たことないんだけどな」

「…いなくなった…大切な人…」

おうむ返しに呟いてリッドは考え込むように俯いた。



買い物を終えて、リッドとキールは宿屋への道のりを歩いていた。買い忘れたものはないか、買い出し用のメモと袋の中身を確認をしながらキールは予定外に時間を食ってしまったなと思った。久々の町での休息という事もあって、女性陣には先に休むようにと宿屋へと向かって貰っている。自分達も早く帰って身体を休めた方がいいだろうと、早めに帰るようにとリッドに促す。振り返るとキールの少し後ろで複雑な表情を浮かべているリッドと目が合った。

「…まだ気にしているのか?」

「だってよ、…お前も聞いただろ? 」

「くだらないな…。“霧の日の晩に起きる奇怪”、よくある作り話さ」

僕はそんな非科学的な事は信じない。とお決まりの文句のキールにリッドは少し安心したように表情を緩ませる。

「そ…そうだよな…。そんな事、あるわけないよな…?」

自分自身に言い聞かすようにリッドは頷き、歩みを速めた。それでもまだなんとなくスッキリしない気持ちは続いていた。




キールとリッドが宿屋に着くと、ちょうど時刻は夕方に差し掛かっていた。先に宿に着いていたファラとメルディが用意をしてくれていた料理をみんなで食べた。そして今日は早めに休もうという事になり、各自部屋へと向かった。男部屋のベッドに腰を下ろす二人。
風呂に入り、明日の身支度を整えたキールは早々に自分のベッドへと潜り込む。

「…もう寝るのか?」

「そうだけど……、お前は寝ないのか?」

眠ろうと毛布を被ったキールにリッドは
内心焦りながら問いかける。
あんな事聞いてすぐに眠れるかよ、とリッドは文句を言いかけたが、口に出せばまた馬鹿にされる事だけは分かっていたので心の中に留めておいた。

「僕は疲れてるんだ…、お前も夜更かししてないで早く寝ろよ」

キールが布団に潜ってしばらくすると寝息が聞こえてきた。
「…なぁ」「キール?」「寝たのか…?」寝顔に向かって呟いてみるも返事はない。リッドは最後の頼みの綱に裏切られた気がして、盛大に溜め息を吐いた。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかず、仕方なしにリッドもベッドへと潜り込む。だが、いつまでたっても眠気は訪れない。

(…やっぱり言えば良かった…)

早くもリッドの頭には後悔が浮かんでいた。

――だけど、

怖いから…一緒に寝て欲しい、なんて

(………言える訳ねー!)


「……はぁ」

何度目かの溜め息を吐いて、寝返りをうつ。

――眠れない時は数を数えればいいんだよ。

ふと、頭に浮かんできた昔聞いた言葉。

『いなくなってしまった大切な人』に

(…父さん……)

霧が

『会わせてくれる』…?

リッドはふいに背筋がゾクリと寒くなった。
部屋の空気がはりつめた気がした。
窓は先ほどきちんと締めた筈なのに、まるで風が通っているようで、部屋の温度が下がっているような感覚がした。

誰かに見られている様な気がして、リッドは思わず握りしめていた毛布をそっと頭まで被った。毛布越しに部屋の異様な空気がひしひしと伝わってくるようで、リッドはぎゅっと目を瞑った。

『霧の出る日の晩は』

(怖いよ…)

『奇妙な事が』

(…っ、キール…!)

『大切な人に』

「父さ、…ッ!?」

思わず声を出してしまったのとほぼ同時に、毛布の上から誰かに触れられている感覚がリッドを襲った。

――人の手、だ。

動けなくて声も出せない。
回らない頭で状況を把握しようとするが出てくるのは冷や汗ばかりで、なにも浮かんでこない。
そうしている間にも手はリッドの頭の上を辿るようになぞっていく。

(ひょっとして…キール…? 俺が寝てるか様子見に来てくれた、のか…?)

ふと思い付いた淡い期待に、毛布を退けようとしてリッドはハッと我に返った。

――違う、キールなんかじゃない。
足音なんかしなかったし、第一キールはさっきまでベッドで…、

だとするとこの手は…?

そこまで想い至ったところでリッドはこの手に馴染みがあるような懐かしい感じがある事に気付いた。
リッドは混乱する意識の中で必死に記憶を辿っていく。

――そう、この手は、昔自分が幼かった頃の…、

「……父さん…?」

呟いた瞬間、リッドの頬を冷たいものが伝っていた。
泣いていた。
自分ではどうすることもできなくて後から後から溢れてくる涙をリッドは毛布に擦りつける。
その間にも手は優しくリッドの頭の上を毛布越しに撫でてくれる。まるで子供に返ったようにリッドは泣きじゃくっていた。


「っ、く…、とおさ…!」

「…リッド…! リッド!? 大丈夫か?」

覚醒させるように身体を数回揺すられた後、勢いよく毛布が捲られた。
暗闇の中ぼやけた視界に入り込んできたものは、

「…? キール……っ?」

リッドの顔を見て、ほっと安心した様に口許を緩ませるキールの姿。

泣き顔を見られた事よりもそこにキールがいてくれた事が嬉しくて、余計に泣きながら腕を伸ばして傍にあったキールの胸へとぐしゃぐしゃになった顔を押し付けた。
一瞬驚いた様に身を固くしたキールだったが、応える様に背中をさすってくれた。


「…怖くて眠れなかったんだろ? 一緒に寝てやるから、もうちょっとそっちに詰めろよ…」

リッドが落ち着くまで背中を撫でてくれていたキールがふと思い出した様に呟いた。

「…いいのか?」

涙の跡が残る目元を細め、嬉しそうにリッドが問うと途端にキールは赤くなった。

「いいからいいって言ってるんだろ…!別に…僕は、リッドが一人でいいっていうのならあっちで寝るけど」

「そんな事言ってねーだろ。……一緒に寝てくれよ」

このままだとまたいつもの様に喧嘩になると判断したリッドはいつもより素直にそれでも少し恥ずかしいのかぶっきらぼうに言えば、「分かった」と少し照れた様にキールが返す。

身体をずらして人一人入れるスペースを確保する。「ん、」と毛布を捲るとその隙間から入ってきたキールが「全く」やら何やらブツブツ言いながら身体を横たえてきた。

「サンキュ、な…キール」

ようやく眠れるとリッドは安心した様子で目を閉じるとすぐに眠気が訪れた。眠る前に呟いた一言にキールは頭を撫でてやる事で返した。

(父さん…ありがとう…)


――その後、朝までそのままぐっすりと眠り同時に目を覚ました二人が、少し気まずそうに朝の挨拶を交わすことになるのはもう少し先の話…。


end.

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