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□みえるはずない花びらに酔う
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もうすこしで春が来る。年の数分春は平等にわたしたちに訪れる。春は出会いの季節の別れの季節だ。今年はわたしがここを卒業する。大きなイベントはあっというまに終わって、あの何ヶ月だとか能天気に数えている間にきっとその日が訪れる。進路のこと、卒業式のこと、みんながばたばたしている。それが何よりも別れという事実を明確に知らせていて、わたしにはその毎日が痛くてしょうがない。


「お邪魔します」


かたん、と他の教室とは違う美術室の扉の音。これがわたしは大好きだった。詳しく言えば扉の向こうにはいつも静かで優しい目をしている智くんが居たから。ぺたぺたと絵の具がキャンパスを染める。そこにあったのは淡い色がつかわれた、綺麗な満開の桜だった。


「きれい」
「・・・、ああ これ」
「でも 咲いてないよ?」


わたしの言葉に一度首を傾げてからもう一度ああ、と呟く。彼は窓際の椅子に腰掛けて、校庭を見つめるようにしていた。けれど桜の咲く時期にはまだすこしだけ早くて、まだつぼみの見えない桜の木が窓の向こうにあった。彼はわたしと窓を何度も繰り返し見やってから「イメージ」と笑う。彼の目には空がどんな風に映っていて、わたしはどんな風に見えるのだろう?なにも言わないで、すこし離れたところに腰掛けると智くんは筆をおいた。


「あ、ごめん。帰ったほうがよかった?」
「いや。うーん、 ちょっと待って」


智くんが立ち上がる。椅子の引かれる音が二人だけ美術室に響く。いつもと変わらないペースで彼が近づいてくる。どうしたの?と告げるころには目の前に居た。彼の手が机に置かれて、座ったままのわたしの目に疑問符。彼が腰を曲げたのがわかる。カタンと音がして智くんが立てかけた筆が転がった。あ、やば。そう彼の唇が動く。彼の声が聞こえないような不思議な感覚がして、動かそうとした唇はふさがれていた。




みえるはずない花びらに酔う





090206

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