clapとowarai2

□昏い酸素の海の底
1ページ/1ページ


彼が煙草に火をつけた。知り合ってすぐの頃、彼と会話をした記憶がない。自分がピンだったのも、人見知りだったのも、女だったのもあるのかもしれない。同期の中で数少ない、話の続かないメンバーに入っていた気がする。ただ、私が苦手意識を持っていただけなのだろうけど。基本的に、そういう感覚は相手にも伝わるものなのだ。苦手意識を持った理由は未だに分からない。けれど、その理由を本能的にどこかが感じかけている気がする。


「私さぁ、仁くんの事、なんか嫌だったんだよね」
「・・・なんだそれ。今もじゃねえよな」
「違うよ。NSCの頃とか。なんでなんだろうなあ。」


紫煙を吐き出す彼の横顔は、太陽を待つ明け方にも酒を飲んだゆるい頭にも見慣れた駅の喫煙所にも良く似合う。後ろに置かれたベンチに彼が腰かける。それを追うように私も隣に座った。今日は少しだけ飲み過ぎてしまった。仁くんはいつもよりも飲んでいなかった。そのせいか、はっきりと意識を持った眼球は少しばかりのアンニュイな色をしていて、怖かった。人がいつもと違う空気を纏う瞬間、それは当たり前の毎日の中でいきなり挟みこまれる。私のまだ長い煙草に視線を移した彼は一瞬惑ってから、煙草に火をつけた。


「俺、それ分かってたけどな」
「・・・やっぱり?」
「なんかもうすげー話しかけんなってオーラ、出しまくってたから」
「そっか」
「村ちゃんとか、関町とか、他の奴には懐いてたから。嫌われてんなぁって」


この時間は不思議な時間だ。今までしなかったような会話をしてしまう。仕事についての熱い話や自分一人で抱えられるはずだと思った悩み事、好きな人の話。全ての会話を明るくなってきた空を見て、夢だと誤魔化しきろうとする。そしてふと我に返った時に、あれが夢か現実か迷うような曖昧な時間にしてしまうのだ。どうして現実だとわかるのに、あんなにあの時間は曖昧で嘘に塗れているような気がするのだろう。生きている時の中で一番、「本当」を話しているはずなのに。それは、自分が嘘にしたいからなのだろうか。手元に強く感じる熱。煙草を揺らすと灰が舞い散った。気が付いたら、煙草は大分短くなっていた。


「好きだったから。最近、気が付いた」
「俺を?」
「うん」
「そっか。なんとなく、そんな気もしてたわ」
「嘘だ。そんなに仁くん、勘鋭いの?」
「鋭くないけど、」


彼の言葉を待つように、立ち上がって、殆ど吸わなかった煙草を消しながら安月給を嘆いた。一本の煙草も重要なのだ。最近、煙草も高いから。私を追うように仁くんが立ち上がった。指にはさんだ煙草が唇に吸い込まれて、また煙を吐き出す。そして彼も煙草を消した。「鋭くないけど」先ほどと同じ台詞が聞こえる。振り返ると彼の顔が目の前にあった。かさついた唇の感触がやけにリアルだ。お互いの呼吸が止まって、咽返る様な苦い味が広がる。触れるだけのキス、それから流れるように仁くんが私を抱きしめた。どこか力無いのに、きっとその腕を放さないのだろうと思える強さ。「俺も好きだったから」耳元で疲れたように囁いた彼の声は、やけに鮮明に鼓膜に残る。

今日のことも夢か現実か曖昧になってしまうのだろうか。昔、自分が彼に抱いていた感情を思い出した。好きすぎて、大嫌いだったのだ。手に入らないのが厭だった。だから話せなかった。きっとどんどん欲しくなってしまうから。だけど今、その人がここに居る。抱きしめられて感じる体温に思わず泣きそうになって、煙草の匂いのする胸に顔を埋めた。




090517 初音ミク/Scrap&Build
タイトルはalkalismさま

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ