clapとowarai2

□夜の匂い
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自分が相当彼女を好きなことには気が付いていた。どこが、とかなにが、とかきっかけすらも思い出せないほどに嵌ってしまっている。それを他人に話して、否定されることすらも恐れるほどに好きになってしまった。気が付いたら学生の頃に戻るような青い感情が自分を満たしている。理解はしているのだ。淡い綺麗な恋愛に見合う年齢でもないし、そんな恋愛が出来るような人生を歩んでいる訳じゃないのだと。


「押見さん、」
「・・・」
「これ、持ってきます?」


部屋の照明に当たった彼女の指はやけに白く見える。俺の好きなアーティストのCDに、それは絡みついていた。とても銀の指輪なんかが映えるような指だと思う。アクセサリーの類を女に付けて欲しいと思う間もなく俺に纏わりついてくる女はつけるものだから、あまり気にしたことはなかったけれど。俺の無言をめんどくさがりの肯定だと理解してくれる人はあまりいない。一応自分では返事をしているつもりなのだけれど、あまりにやる気がなくて基本的には聞こえないとよく怒られている。銀の細めの時計だけが、彼女の傷一つ無い陶器みたいな手首で只存在を主張していた。金属がこすれ合う音が聞こえる度、彼女は時間を気にしているのだと考える癖が付いている自分に気付く。


「持ってく。」
「あ、やっぱり。これ押見さんも好きって聞いて」
「誰から?」
「えっと、知弘くんから」


一瞬、彼女の顔が緩んだ気がした。昔、彼女が関町の名前を出した時に一緒に居た遠山に同じことを言ったら「気にしすぎですよ」とにやついた顔で言われてしまった。けれどもう分かっている。俺の錯覚でも幻覚でも幻想でもないのだ。そうだったら、俺の勘違いだったらどんなに楽か。俺の勝てないような、例えばコンパで知り合った有名大学卒大手企業の格好いい男が好きなのだと、そうだったら諦めもつく。自虐を交えて、自分の恋愛も酒の肴に出来るのだろう。けれど、中途半端に希望を持ってしまうのだ。同業者で、しかも後輩に惚れているとあったら。愚かな俺は、入り込む隙があるんじゃないかと勘違いしてしまう。


「最近関町と会ってんの?」
「会ってますよー。一昨日もご飯食べに行きました」
「・・・もうそれは付き合ってんじゃねえの?」


立ち上がって彼女の手からCDを受け取って、鞄に入れた。鞄に入っていた携帯のランプが点滅していたような気がしたけれど、それもどうでも良い。もうこの状態から脱却したかったけれど、アクションを起こすことが正解だとは思えずいつもいつも立ち止まるだけ。今だったら、どんなに強い酒も一気に飲むことが出来るだろう。ここから抜け出せるなら、幾らでも悪人になれる。それに彼女と俺は噛み合うことは一生無い。そう自分に言い聞かせたら嘲笑が漏れて、ますます自分を愚かだと思う。その半面、心は軽かった。最低な気持ちで、彼女の白い手首を思いきり掴んで、キスをした。離れようとしても離さない。離すわけにはいかない。これが、全ての最後だから。赤い痕が付くほどに手首を掴む。深いキスの間、ずっと。

俺とのキスをずっと覚えていて欲しいなんて、そんな無茶な事は言わないし、すぐに記憶から消したって構わない。でも、彼女の白い手首に残った赤い痕が消えるまで、その短い間位は、あいつじゃなくて俺のことを考えて欲しいと思った。




090513 天野月子/トムパンクス

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