Short

□Eden
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アダムは、天使でした。
少なくとも私の中では。

真っ白で純粋で、子供のように素直。
目が、訴えるの。自分の気持ちを。
言葉は無くても、それだけで伝わる。

嬉しさも悲しさも怒りも、・・・愛おしさも。

アダムはきっと、




「キャロライン、今日も無事だといいわね。」




アダムがドアノブに掛けたアダムの手はぴたりと止まる。
手には、包帯が巻かれていて、
そう、あの包帯は、あの日にあなたが怪我をして、
あの人に手当てをしてもらったときにつけてもらった包帯よね。
もう傷は塞がるという方向に向かっているはずなのに。
でも、彼が同じ包帯を巻き続けている理由を私は知っていた。

振り向いた彼の目は酷く、驚きと焦りを含んでいた。




「大丈夫よ。誰にも言うつもりなんて無いわ。」




彼の目は、安堵の色を孕み私をしっかりと見つめた。

綺麗な目。
くるくると、色を変えるのね。
その目でいつも彼女を見ている。
愛おしさをたくさん含んだ優しい目で。




「彼女を愛してるんでしょ?わかってるわ。」




壁に寄りかかって、そう言うと
彼の目は静かに、でも確かに揺れた。



彼は、彼女を愛していました。
それはそれは、静かに。

お皿を拭いているときに、彼女を見るアダム。
モップを洗うときに、彼女を見るアダム。

彼女を見ているアダムをいつも見ている私。
その意味なんて分かっている。
ダイナーで働く人たちのなかに、私以外
彼の行動を気に留める人なんていないのだから。





「ごめんなさい、引き止めちゃって。」


「今日も無事だといいわね。」


「お疲れ様、 おやすみなさい。」






私の言葉を、ひとつひとつ噛み砕くように聞いてから、
アダムはしっかりと頷いた。
一瞬光った目の輝きとそこに含まれていた思い。



「あぁ、あってはならないって顔ね。」



俺が守る、のかしら?
自嘲気味に笑うと目と心のみが泣き叫びたいと主張する。

彼が消えたドアにちいさく手を振って、
今日もふたりが無事であるようにと、祈りをささげた。








あの日から少しずつ、彼は声を聞かせるようになっていった。
その主な相手はキャロラインだったけれど。




「髪、切ったのね。よく似合ってるわ。」




私が彼に話しかけたのは酷く久しぶりな気がした。
私のほうを少しだけ見たアダムは、静かに言った。

はじめて私に向けた笑顔とともに。




「・・・キャロラインが切ってくれたんだ」

「あぁ、美容の学校に行っ、」

「話は、まだ終わってない」




世界は、回っているのだろうか。
世界に、時なんて存在するのだろうか。
そう錯覚してしまうほど時を止めてしまいたいくて
そして永遠のような時間だった。


そして私は気がついていた。
彼が、専ら彼女の話を遮る言葉を私に使ってくれた、
それだけで、涙が零れそうになるほど幸せだと思ったことを。




「僕は、愛しい人に髪を切ってもらえて幸せだった」




よかったわね、?おめでとう、?

私の目の前で微笑む彼に
何をいえばいいのかわからなくて戸惑ってしまった。
結果論を言うと少しだけ微笑んだ私は
心のなかで真っ黒なものだけを抱いていた。

きっと彼女が、私とアダムの会話を聞いても
嫉妬に苦しむこともなく、微笑んで終わるでしょう。
でも私は、醜い思いだけを孕んだまま。
なんだかそれがくるしくて辛かった。

初めて私に見せてくれた笑顔。
それをぐちゃぐちゃに壊してやりたい
それを宝物のように大切にしていたい
くだらなくて馬鹿らしいふたつの気持ち。

少し短く切られたアダムの髪の毛
ふわふわとした髪の毛に触れて抱きしめてしまいたい。
流れる雲よりも透明なようで白い、
そんな彼を幾度も求めた、でも届かなかった。

お願いだから、私のそばに留まってください。
(それを言ったってあなたは私を愛してはくれない)









アダムが亡くなったのを聞かされたのは、彼の誕生日。
彼の最愛の人が、震える声でその言葉をわたしに届けたのだった。

キャロラインと一緒に行ったアイスホッケーの会場で、眠るように亡くなったそうだ。
短い生涯だった、愛する人と折角結ばれたのに。
そう呟く私の口元は、上がってはいなかった。

やはり、彼がどれだけキャロラインを愛していようとも、
私が彼への思いの苦しさに毎夜涙をこぼしたとしても
私の世界にアダムは必要不可欠だったのだ。
(そしてかれはこのせかいからきえてはいけなかった)

静かに、幸福そうに笑う口元も、
愛しそうに彼女を見つめる目もすべて
また見られると信じて疑わない私の脳味噌。


私のそばで涙をこぼしているキャロライン。
彼女は今どんな気持ちなんだろう。
私だったら、そればかりは空しくなってしまう。
彼女にかける言葉なんて、ひとつも無かった。
否、なにも口にする事はできなかった。
それは、わたしも彼を心の底から愛していたからだろう。


棺を見ても、黒に周りを囲まれ自分も黒に身を包んでも、
彼が居ないなんて、信じる事すら不可能だった。
ダイナーのキッチンに、ドアの前に、フロアに、
彼の揺らめきが、空気が、世界を湛えた目の色が、
彼の全てが見える気がした。

いつまで私は彼の死を認めないままなんだろう。







また同じ夢を見た。
アダムが亡くなったのを聞いた日の夢。
何度も、何度も、押し付けられるかのように見た夢は
アダムという存在を私の心から取り消そうとしているよう。
同じ夢を見るたびに、大切な思い出を置いている気がした。
アダムへの思いが風化していくというのだろうか。
流れていく雲のような白さの彼は、
流れていく雲のように私の指先からすり抜けていった。

からっぽの心になってしまった私は、どこにたどり着けるのだろう。







ダイナーの中で時は流れる。
また彼のいた場所に自然と目をやる自分がいて
すこし自分自身を罵りたくなった。

ふとドアを開けてみたくなった。
アダムが、キャロラインのことを思って触れていたドアノブに触れて。
アダムの体温が伝わるわけでもないのに、
なぜだか胸はきしきしと音を立てはじめる。
かちゃりとちいさくないたドア。
その音はまるで泣いているように聞こえた。
それは私の錯覚でしかないのだけれど。
彼が出て行くときは、いつもこんな音が聞こえたのだろうか。

空は薄い水色で、ある種の神々しさを感じさせる白を滲ませていた。
なんだかほんのりとやさしさやあたたかさを感じて呟いた。


「アダムみたいね。」


視線を上に上げると彼は上にいる気がした。


何かが弾けるように涙が溢れた。
彼が仕事をするときに立ったであろう、
そしてキャロラインを見つめて後ろを歩いたであろう場所。
そこにしゃがみこむとぼろぼろと雫が落ちた。

指でその雫を拭うたび、何かが変わっていく気がした。





あなたはいつまでも私の光。
『At least, it wishes me to be next to him when regenerating. 』




The end...








雅 07,11,26

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