Original Novel

□⊂過去の中の未来⊃
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§プロローグ§

 もう夏も終わりかけた金曜日の夕方。月末ということもあり、今日の仕事はいつもより忙しかった。
 サチは一時間半のサービス残業を経て、重い足を引きずりながらやっとのことでアパートの前に立った。そして、使い始めてから今年で3年目になるハンドバックの中からがさごそと鍵を取出し、ドアを開ける。
 今日のように疲れている日は、自分の部屋が一階にあって本当によかったと思う。ここまで帰ってきて更に階段を昇る気力など、もはや残っている訳がない。
 一人暮らしをすると決めたときから、防犯の意味も含めて部屋は二階、できれば角部屋がいいなんて色々と探してみたのだが、勤めて8年になろうとしている小さな町工場の事務の仕事で、払える家賃を考えるとどうも贅沢は言ってられない、というのが現実だった。
 だから、駅とコンビニが近くて家賃も割安の築20年のこのボロアパートに決めた。
 玄関を開けるとすぐに2畳程の狭いキッチンがあり、その奥には6畳一間の部屋。こんな狭い場所でも、住めば都という言葉どおりサチにとっては居心地のいい空間がそこには出来上がっていた。
 部屋に入ると電気を点けて、ハンドバックをテーブルの横に放り出し、冷蔵庫から買い置きの発泡酒と昨日の夕ご飯の残りを取り出す。そしてローソファーに座り、流れ作業のようにリモコンでテレビのスイッチを入れ、缶のプルトップを開けた。
 一応隣近所に気を使い、音量を小さめにしてあるテレビの画面には、ただやかましく笑うだけのバラエティー番組が映っていた。
 バラエティー番組は嫌いではないが、一人で見ていても声を出して笑うなんてことは滅多にない。しばらくそのまま画面を見ていたが、今日はなんだか蒸し暑いのに気付いた。
 少し悩んだが、テーブルの上のリモコンを手に取るとエアコンを点ける。家に帰ってこの定位置に腰を下ろしてから、まだ一回も動いていない。

「ホント、便利よね…」

 ぽつりと呟いて、サチはテーブルの定位置にリモコンを戻した。


 石田サチ、今年の12月で29歳になろうとしている。取り立て目立つなんて事はない、どこにでもいる普通の女だ。
 最近日課になっている晩酌のせいでお腹まわりに少し貫禄がついてきて、そろそろ本格的にダイエットでも始めようかと悩んでいる、普通の女。
 一人暮らしを始めてからもう5年になる。その間、何人かの男性がこの部屋に遊びに来たこともあるが、残念ながら二人きりというシチュエーションになることはなかった。
 そして最近は、女友達ですらあまりこの部屋を訪ねてくることはない。
 この年になると女友達は大体片付いてしまっていて、子供も生まれていいママさんになっていたりもする。羨ましい反面、こうも疎遠になってしまうことが少し淋しくもある。
 職場の後輩たちもそれなりに仲良く接しているが、事務員の中で一番長く勤めているサチのことを、後輩たちは少し敬遠しているのか誘ってくれることはない。
 後輩事務員をはじめ、上司までもが「お局様」なんて呼んでいるのを、サチは知っていた。
 週末になると後輩たちは連れ立って繁華街の洒落たバーに足を運んでいるらしいのだが、きっと今頃もみんなで一週間分のストレスを解消するべく、ワイワイ楽しく遊んでいることだろう。
 つまり、世間一般の人間がお祭りのように騒いでいるこの週末の夜に、今、自分はこうやって一人淋しくちびちびと発泡酒を飲んでいるという訳だ。

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