実在した海賊の物語
□ロング・ベン・エイヴァリ
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日本では、彼の名はあまり知られてはいないが、現代のイギリス人の中には、エイヴァリをイギリス代表の海賊だと考える人も多い。
エイヴァリはイギリス南端プリマスの宿屋の息子であった。彼は海軍と商船で働いたあと、密輸船の船長を務めて財産を作った。
更に冒険を求め、エイヴァリは私掠船チャールズ二世号に乗り込み、首席の航海士を務めたが、船内に反乱が起こり、新たな船長にエイヴァリが選ばれた。
この後、船名をファンシー号と変えて略奪を目的にアフリカ東岸に向かった。
途中、コモロ諸島の近くで2隻の海賊船に出会い、ついで紅海の入り口でアメリカの海賊船5隻と合流した。
合計8隻の海賊船団が出来上がったところで、近くに2隻のインドの船が通りかかった。このうちの1隻(ガンジ・イ・サワイ号)はインド皇帝ムガールの持ち船で、その船には皇帝に送る莫大な財宝が積み込まれていた。
この時奪った金品の一人辺りの取り分は1000ポンド(約300万円)にもなったという。
当然ムガール皇帝は激怒し、イギリスに厳重な抗議をするとともに、インドに在籍していた東インド会社の社員68人を、この事件のために一年間投獄した。
イギリス政府はエイヴァリを指名手配し、彼に500ポンドの賞金をかけた。だが、エイヴァリは捕まることはなかった。
彼はブリッジマンと名を変え、バハマ諸島に身を潜めてからアイルランドに入り、そしてイギリス本土に潜入した。
ここまでは明らかになっているのだが、それからの彼の消息は不明である。
そんなエイヴァリの話は、イギリスの上流階級の間で様々な憶測を呼んで、話題となることがしばしばだった。