実在した海賊の物語
□ヘンリー・モーガン
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1668年、イギリスのウェールズ出身のヘンリー・モーガンは、12隻の船に乗る700人の海賊率いて、キューバのプエルト・プリンシペの町を襲って多くの財宝を得た。
これによって、彼の評判が高まり、多くの者がモーガンのもとに集まってきた。そのため、モーガンのもとには大海賊団が組織されることになった。
1670年、モーガンは2000人の海賊を率いてパナマ・シティで大がかりな略奪を行った。この時、レアル銀貨75万枚以上の利益を得たが、モーガンに従った海賊には一人につき銀貨200枚(約120万円)しか分配されなかった。部下達は文句を言おうとしたが、その時すでにモーガンは出航したあとだった。
海賊の時代の終わりが近いことを、彼は知っていたのである。
それから程なくしてモーガンは、イギリス王チャールズ二世とその近臣たちに多くの賄賂を送り、ナイトの位とジャマイカ裁判所の判事の地位を得た。
更に1674年にはジャマイカ副総督に昇進、立場上、表向きは国策に従って、
「海賊の取り締まりを強化すべきだ」
と唱えていたが、その裏では私掠免状(海賊行為を許可する免状)を発行し、海賊たちの戦利品の10%を自分のふところに入れていた。
だが、このことがバレて1683年、モーガンは公職を追放されてしまう。
モーガンは酒に溺れて、アルコール中毒で死んだ。