日記SS

□恭矢
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「誕生日を知った日」
矢坂と付き合い始めて一か月。
ちょくちょく家に顔を出させてもらえて、少しずつ触らせてもらえるようになって、許可をもらってやっとキスできるようになってきた。
本人は恋愛事に興味がないのか、それとも俺がトラウマを植え付けてしまったせいか、反応が固い。
しょうがねぇってわかってるけど、こんな未来がくるとは思ってなかった俺にすると、今より先の事を望んでいるから、ショックはある。
もっと二人の時間を作りたい。どこかに出かけたい。思い出をたくさん重ねたい。そう願っているんだけどな……。
人と付き合うのは、これで三回目。今までの相手は恋愛に積極的で、すぐ色々な情報を交換して、思い出作りをしたりした。
今回は過去の経験なんて無意味だってくらい、初々しい付き合い方だよなって思う。
洗い物をしている後ろ姿は、女と同じくらい華奢だ。抱きしめさせてもらった時、骨と皮かってくらい肉がなくて、食生活を聞いた時は眩暈がした。
だからこうしてほぼ毎日、飯を作りに来る口実ができたんだよな。
「明日は何が食いたい?」
「何でもいいですよ」
「何でもが一番困るんだけどな。好きなおかずとかないのか?」
「そうですね……肉じゃがですかね。母の得意料理がそれだったんで」
「肉じゃがか。なら明日はそれをメインにレシピ調べとくわ」
「ありがとうございます」
ちょうど洗い物が終わったようで、俺の隣に座ると、冷えたコーヒーに口を付けた。
いいタイミングだし、聞いてみるか。
「誕生日っていつなんだ?」
「なんでオレの誕生日を知りたいんですか?」
…………なかなか傷つく発言するよな……。
恋人なら知りたいって思う事を、そう感じてないってのが痛い。
「そりゃ恋人の誕生日くらい知りたいだろ?」
「そういうものなんですか?」
「俺はそう思ってるけどな」
少しの沈黙。俺に教えたくないのかと、泣きたくなってきた。
俺は矢坂の事をあまりわかっていない。もっと知りたい、理解したい、そして俺の事を知ってほしいと思ってるのに……。
「……六月十八日です」
「三か月もないな」
初めての誕生日だ。何かしてやりたいけど、高価な物を贈るには少しハードルが高い気がする。
ケーキくらいで抑えたほうが無難か? 今までの傾向を考えたら、たぶん甘いのは嫌いじゃないと思うけど、どうだろうな。
「先生」
「うん?」
「オレは、佐藤や高城に誕生日を聞かれた事がありました」
仲良くしていたから、そりゃそうだろ。
夏維も深吾も人懐っこくて、そういったイベントが好きなタイプだ。毎年メールで誕生日を祝ってくれるくらいだからな。
「その時は何も思わなかったんですが、先生に聞かれたら不思議な感じがしました」
表情は何を語りたいのかが読めなくて、嫌な事を考えちまう。
不快な思いをさせたかと身構えていれば、ぎこちなく表情が動いた。
「オレと先生は本当に付き合っているんですね」
今まで見たことがない、優しい顔。俺との付き合いを、少しでも実感してくれている。
小さな一歩が、こんなにも嬉しいなんて思ってもみなかった。
目茶苦茶触りてぇ……。
「なぁ。キスさせてくれ」
「なんでそうなるんですか」
「理由を言わなきゃダメか?」
「…………少しだけなら、いいです」
できるだけ怖がらせないように、そっと頬に手を添える。
そして薄い唇にゆっくりと唇を重ねた。本当はもっと深いキスを、口腔内を探りたい。
でも、矢坂を怖がらせたくないから、今はこれで満足しねぇと。
名残り惜しく離れ、静かに痩躯を抱きしめた。
「誕生日、何が食いたい?」
「随分先の話ですね」
「三か月なんてあっという間だろ?」
「そうですね……」
他愛もない話。未来の話。今まではどうってことなかったのに、俺にとって矢坂は特別なんだろう。
このやり取りだけで、キラキラと輝く宝石のように貴く感じた。

おしまい
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