日記SS

□恭矢
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10月3日

※付き合って二年目くらいと思われる


パソコンの電源を落とし、恭成は置時計の時間を確認すると、眉間に皺を寄せた。
どうりで瞼が重いわけだと、メガネを外し目頭を揉む。
日付は変わり、凝り固まった筋を解すように伸ばす。お湯に浸かるのは諦めて、シャワーを浴びてさっさと寝てしまおうと風呂場へと足を運んだ。
風呂も髪を乾かすのもさっと終わらせて、ベッドに横たわる。
スマホのディスプレイには、家族や友人達からのメッセージが届いてあり、開かずともどんな内容はか想像がつく。
もう三十路間際なのに、素直に喜んでいいのか難しいところだ。昼休みにでも返信をすればいいかと、布団をかぶる。
八月はとても暑く、九月は徐々にそれが引いていき、十月の今は肌寒さの足音が近づいている。
電気毛布でも出したほうがいいのかもしれない。それとも普通の毛布で様子を見たほうがいいだろうか…。
そんな事をぼんやりと考えながら、うつらうつらと意識は遠のいていき……
ふと気づいた時には、カーテンの隙間から差し込む光が、ほのかに明るいことに気づいた。
さっきまで真っ暗闇だったのが、青白く変わっている。
どうやら寝落ちしていたようだ。スマホの居場所を探ればすぐ傍に居て、時間はまだ始発が動いてない時間帯。
寒さに目が覚めてしまったらしく、つま先や指先は酷く冷え切っていた。
暖房具を出すべきか、いや、あと二〜三時間もすれば起床時間だ。わざわざ寒い思いをして用意をしなくてもいいだろう。
きゅっと強く瞼を瞑り、眠るように暗示をかける。
小さい頃、両親が家を空ける時は、早く朝になってほしくてすぐに眠るよう癖付いていた。
逆に両親がいる時は嬉しくて、夜中までなかなか寝付けなかった。沢山話を聞いてもらいたくて、大好きな両親に甘えたくて…。
振り返ってみると、あの頃の自分は可愛い子どもだったはずが、今じゃ世間ずれしたお兄さんとは言えない歳になっている。
おじさん…にはまだ早い。というか、おじさんと呼ばれるのにはかなりの抵抗がある。ただ、両親譲りの容貌で年齢より多少若く見えるのがありがたい。
くだらない事を考えていれば、ふと、手足に暖かい何かが広がっていく。
氷のような四肢が溶かされていくような感覚。恭成は温もりへと手足を絡めた。
眠くなってきたから体温が上がったのだろうか、どんな理由であれ、この暖かさはとても心地がいい。
もっと温まりたくて、もっと気持ちよくなりたくて、安心したくて……抱きしめた。
「んっ」
短い音。
それは、恭成の好きな声に似ていた。
あの子はここに居ないのに、声が聞きたくてたまらない。抱きしめたくて、髪を撫で、キスをしたくて……。
春になる少し前だったと思う。あの子と本当の意味で身も心も結ばれた。
とても幸せで、すごく幸せで…。またあの時のような幸せを感じたい。
「…のり、あき…」
名前を呼びたい。苗字だけじゃ物足りない。あの子をあの子だと証明する名前をずっと呼び続けたい。
「徳明……」
好きだ。
あの子の心地よさに癒されている。応えてくれないのは寂しいけれど、でも、時折笑ってくれる顔がどうしようもないくらい胸を熱くさせてくれる。
「…………」
優しい音が耳朶を撫でた。どんな言葉か、はっきりとは聞き取れなかったが、それは恭成の心を満たしてくれる暖かい音だったのだけはわかった。

――ピリリリリリッ
軽快な電子音がけたたましく鳴り響く。せっかくの心地よい気持ちを邪魔され、スマホの目覚ましを止めようと左腕を伸ばそうとしたが、腕は言うことを聞いてはくれなかった。
動かないというべきか、重石が乗っているような感覚。しぶしぶ重い瞼を開けば、何が起こっているのかわからなくて、恭成は呆然と眼前の様子に頭をフル回転させる。
窓から差し込む光が、長い黒髪を明るく照らしている。その寝顔は、何度も見たことがある顔で――…
「や、さか?」
音は止まらない。腕は動かない。体には自分以外の温もりを感じる。
これは一体どういうことだ…?
「うる、さい…」
眠り姫は恭成の代わりにスマホを操作すると、再び布団の中、恭成の胸元へと顔を埋めて眠ろうとしている。
「いやいやいや!ちょ、待て!どういうことだよ!!」
完全に覚醒した恭成は、腕を一気に引き抜くと眠ろうとしていた矢坂を揺り起こす。
なんで矢坂が俺のベッドで寝てるんだよ!嬉しいけど!嬉しいけども!!!!
よほど眠かったらしく、不機嫌な瞳が睨みつけてくるが、とにかく事情を知りたい。
「お前、いつうちに来たんだよ!」
「……六時前くらいですかね…?」
「なんでまた…いや、来てくれんのは嬉しいんだけどよ…」
「だって…今日は先生の誕生日でしょう?」
当たり前のように答えられ、呼吸の仕方がわからなくなってしまった。
「電話や…ふぁ…メールでもいいかと思ったんですが、顔を見ていいたくて」
徐々に起きてきたらしく、声色は先ほどよりもしっかりとしてきている。
「お誕生日、おめでとうございます」
そう言われてしまえば、もう何も言えなくて、ただただ無性にキスをしたくて、噛み付くように唇を貪った。
胸板を押しのけられるが、弱々しい抵抗は本気で嫌がっているようには思えず、裾に手を差し込めば強く睨みつけられた。
これ以上はまずいと理性が顔を出し、しぶしぶ手を引き、矢坂の肩に顔を埋める。
「……仕事行きたくねぇ……」
「何を言っているんですか。しっかり働いてください」
「蛇の生殺しだろ。これ…」
「そうなんですか?」
矢坂本人は、恭成をどれだけ喜ばせているのか気づいていないらしい。
天然といったら語弊があるが、計算じゃないぶんタチが悪すぎる。
でも……
「今日さ、早く帰ってくるから、ここで待っててくれるか?」
こうやって矢坂が来てくれた。それだけで報われている気持ちになる。
このワガママを許してくれるだろうか。どうだろうと様子を伺えば、逡巡の後、矢坂は仕事道具を持ってきていいのならと頷いてくれた。
恭成が思う以上に、矢坂は思っていてくれて、本当に、本当に……幸せだ。


おしまい
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