短編集

□透明な刃
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 程よい酩酊感で裏道を歩いていく。彼の名前も知らないが、あの数時間話をしただけで一段階自分のレベルが上がったような気がした。不幸だと言った彼の表情は暗く心配になったが、その後の笑顔は明るかったから大丈夫だ。きっと今はいい友人に恵まれてるのかな、なんて考えながら一歩先へと歩みを進めた。
「おい」
 低い声に、思わず足が止まった。彼の声ではない。無理にわざと低く声を出そうとして出したような、そんな声。
「…な、なんですか?」
 振り返れば、銃を構えたスーツ姿の男達が並んでいた。あれは機関銃だろうか?とりあえずピストルではなさそうなゴツい武器に、ヒッと喉が引きつる。せっかく気持ちよかった酔いがスゥッと冷めていった。
「あいつの情報を吐け」
「なん…誰のことです?」
「とぼけんな!!さっきまで一緒にいた帽子の男だ」
 その言葉にハッとした。もしかして、さっきの彼のことか。
「そんなこと言われても、俺さっきちょっと話しただけっすよ…?何も分かるわけないじゃないですか!」
「はーん、シラを切る気か?」
 ならお前に用はない、と一斉に銃が構えられる。死への恐怖に足が震え、思わず一歩後ずさった。
 トン、と何かに体がぶつかる。

「やめときな、そいつを殺しても何の意味もねぇぞ」

 静かなローバリトン。この劣勢の中焦る気配すらなく、空間を支配するように広がるその声は。
 思わず振り返る。夕日の逆光で顔はよく見えないが、その特徴的な帽子、スラリとしたその体格。先ほど見たばかりの、ハードボイルドでイカしてる俺の理想の男性像。
「あんた、さっきの」
 ダァン!と重い銃声が6発、鳴り響いた。振り返れば先程の男達が1人残らず地に伏せている。じわりと地面へ広がる血に、ゾワリと背筋が凍った。
 あと1秒遅ければ、そうなっていたのはきっと俺の方だと気がついてしまったからだ。
「あ、…ありがとうございました。けど…貴方は、一体……」
「気にすんな。一杯分のツケを返しに来ただけだ」
 彼はフッと手に持ったマグナムの煙を吹き消すと、そのまま腰へと差し込んだ。逆光で見えにくいがこちらをまっすぐに見据えると、下手くそな笑みを浮かべる。
「お前さん、俺が何者かと聞いてたな…ま、見た通りこういうもんだ。迷惑かけちまったな」
 悪かった、そう言って死んだ男達を弔うように帽子を微かに下げる。
 そのまま立ち去ろうとする彼にあの、と声をかければ、今まで一度も見えなかった瞳がチラリと帽子の下から覗いた。どこまでも冷たく、しかし黒曜石のような光を孕んだ深い黒の瞳にピタリと体が動かなくなってしまう。これ以上動いてはいけないと、ガンガンと本能が警戒音を鳴らした。
「これっきりだ、あんまり下手に踏み込むもんじゃねぇぞ」
「…ぁ、」
「素直な人間なんぞ、こっちに来れば一瞬で骨だけになっちまう。坊主みたいな真っ当な人間は、カタギで幸せになるのが一番似合うぜ」
 じゃあな、と手を振りその場を静かに立ち去っていく。今にも沈みそうな太陽が彼の体から長い長い影を作り、あっという間に遠ざかっていってしまった。
 地面にしゃがみ、落ちていた薬莢を1つ拾う。キラキラと鈍く光るそれは、まるであの人そのものを表しているかのようだった。
 俺は今日のことを一生忘れることはないだろう。バーボンを見るたびに、あの帽子を店先で見かけるたびに、ペルメルの匂いを嗅ぐたびに、そして銃声を聞くたびに思い出すのはきっとあの死神のような真っ黒な彼のことだ。
「踏み込むな、か…」
 呆然とそう呟く。未だ微かに熱をもったままの薬莢を、俺はそっとポケットへとしまったのだった。


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