短編集

□渇望
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『さて、続きましては本日の大目玉、《龍の瞳》でございます!!…』
 遠くからマイクで増幅させた声が響く。どうやらこのオークションはクライマックスを迎えたらしい。
 刻一刻と近づいてくる恐怖に、嫌だ、嫌だと体が震える。覚えていない程幼い頃に両親に売り飛ばされ、ひたすらに調教され続ける日々だった。自分は人ではなくモノであると教え込まれ、それを理解しつつも死にたくないという思いだけは捨てることができなかった。それさえ捨てて完全にモノになれれば、今も恐怖に震える事もなかったのに。
 自分を買ったご主人様の顔が頭に浮かぶ。あの脂ぎった体に醜い顔で、僕の体を触りながら「どの遊戯に使おうか」と言ったのだ。当たり前だが到底人として扱ってもらえそうにない。
 発狂して舌を噛み死んだり、あまりに覚えが悪く処分される子達を今までたくさん見てきた。それでも僕が死ななかったのは、きっと生きていればいい事があると信じていたからだ。それなのに、こんなのって。

 不意に、ガンッと会場内の電気が全て消えた。驚きに身を固めれば、ヌハハハハ!と遠くから聞いたことのない笑い声が響く。と同時に奴隷部屋の鍵が開け放たれ、暗闇に乗じて奴隷達は一斉に逃げ出した。
 僕は、逃げられなかった。脱走を謀って捕まり、壁につけられた鎖に繋げられてしまったからである。こんな事になるなら逃げようとするんじゃなかったと涙が浮かぶが、もう何もかも遅い。
 暗闇に慣れてきた目に、ぬるりと影と同じくらい真っ黒な男が入ってくるのが見えた。びっくりして悲鳴を上げたが影は動じる事なく、ガオン!と重い音が響いて鎖が切れる。
 月光に煌めいたのは、いつも処分されるときに使われていたモノだった。確か、銃とかいうやつ。あれを使われた子は、まるで人形みたいにグタリと動かなくなるのだ。

 僕は必死だった。最後のチャンスを掴む為に、そいつに向かって思いっきりぶつかった。よろけた隙を突いて銃を奪い、銃口を向ける。使い方は知らない、全く見様見真似だった。
「…返しな」
 それは命令だった。地を這うように低い、絶対的な支配者の声。今まで命令を破った時の折檻が蘇り、恐怖でカタカタと手が揺れる。それでも返さなかったのは、死にたくないというただそれだけの本能的な願望だ。
 手の震えが収まらないまま、引き金を引く。殴られるよりずっと強い衝撃に痩せた体は吹っ飛び、石壁に叩きつけられた。弾は彼の髪を掠めて壁へと突き刺さる。
「ぅ、あ……」
 死神のような男は静かに近づくと、慣れた動作で優しく銃を拾い上げる。彼の手に収まったその銃はそこが居場所であるかのように鈍く輝いた。
 しくじった。殺される。溢れる涙を止める事もできず、尻餅をついたまま僕は呆然と目の前の影を見つめていた。
「こいつは繊細なんだ。主人が迷ってちゃ思い通りの場所になんて撃てやしない」
 バラバラ、と何かの金属片が銃からこぼれ落ちて床で踊る。懐から何かを銃に嵌め込んだ彼は、そのままガチャ、と僕の方へと銃口を向ける。
「行け」
 その銃が撃たれる事はなかった。くぃ、と顎で出口を示され、その命令に僕の体は反射的に動いて、弾けるようにその場から逃げ出した。
 オークション会場から飛び出す直前、細い銀の軌道が目の前を走り手錠や首輪がバラバラになって落ちていった。それにすら構わず、ただひたすらに走って、走って、走り続けて。

 ようやく外に出て周囲を取り囲む警官に保護された後も、僕は涙が止まらなかった。
 だって、初めてあんなにも大切に扱われる「モノ」を見てしまったから。ただのモノで、生き物ですらないのに…まるでボスが綺麗なお姉ちゃん達にするように、いやそれよりももっとずっと丁寧に、大切にされていたから。
 きっとああいうのを、愛している、っていうのだろう。彼はきっとあの銃をモノとして愛してあげられる男だったのだ。たった数十秒のやりとりだけで、それが痛い程伝わってきた。
 警官が慰めるような言葉を吐いたが、耳に入ってこなかった。羨ましかった。同じモノでありながら、自分よりずっと大切にされているあの銃が。今まで見てきた誰よりも、羨ましかった。
 吐きそうになる程泣きじゃくりながら、大して信じていなかった神様に必死に祈りを捧げる。今まで信じていなくてごめんなさい、けれどどうかお願いです、一生のお願いだから。

 カミサマ。いつか、あんな風にモノを扱ってくれる人を僕のご主人にしてください。



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