Dream No.1

□acerbitudo
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私は今18歳で、接客業をしている。ソープでもキャバ嬢でもイメクラの女王でもない。コンビニ店員のようなことをしている。レジをして商品の陳列をして掃除をしての仕事だ。楽しめるかどうか聞かれればYesはそうなのだが。しかし私は考えていたかった。何を?人を、物事を。8:00に家を出て8:30に仕事を開始して5:30に終了するくらいならば、12:30に家を出て13:00に仕事を開始して22:00に1日を終了するくらいならば、私は散々と思考して時間を食していたかった。思考はチェスと同じだから余計に愉快だ。だから出来ることなら、心理カウンセラーや哲学者など、その道に進めるようなことをしたかった。「人を助けたい」とか「人生をより良くしたい」とかではなく、私は解剖したかった。Faure barcarolle No.1が脳裏に流れる。
心理や哲学、精神を解剖したかった。喜怒哀楽の移り変わりを眼前で見たかった。何よりも、狂気が見たかった。本当の、本物の狂気を見出だし、体感するが私の目的だからだ。
人の精神をいじっても狂気は発生しなかった。人が人を食べるだけでは狂気にはならない。人が何かを殺しても壊しても狂気にはならない。拷問が趣味であってもそれは狂気にはならない。では、何をすれば狂気か、私は知りたい。ただ、それだけ。
愛を知れば狂気を理解出来るだろうか、ふと頭をよぎったが無視をした。
愛と狂気は見方によれば確かに同じかもしれないが、所詮似ているだけだと私は考え付けたようだ。

ピアノを弾きたかった、歌いたかった、叫びたかった、泣きたかった、悲しみたかった、反抗したかった、抱きしめてほしかった、思考していたかった。もはや過去となっているがそれを誰かのせいにして誰かを悪く言うのは間違っているから私は何も言わない。言ってはいけないコトが世の中には多すぎる。「人のせいにしたら駄目」「人に迷惑をかけては駄目」「人を悲しませては駄目」「殺人を犯しては駄目」駄目駄目駄目駄目をそんなに言われたのなら、私たちは何も出来ないハズなのに周囲の人間は何故駄目なそれを実行しているのか私は理解に苦しむ。
相手が明らかに悪である場合でも自分が悪だと発言しなければならないし、幼児は子供は私たちは顔色をうかがわなければ生きていけないし、自分が泣けば相手が悲しむのなら笑顔でいなければならないし、弱い者いじめだってしてはいけないのに。私にとって精神を潰すのは殺人と同等ではないという考え方が意味不明だ。
嘘が多すぎるから真髄を探すべきなのだ。私は真髄を抉り見なければならない。それが我が人生としているからだ。他人に洗脳される人生は御免だ。他人に精神を壊されるのも嫌だ。そんなくらいならば自分で自身を洗脳し、自分で自身の精神を壊していたい。


思考は麻薬だ。私はこれを止めることが出来ないからなのか、顔は老けてしまっている。若さ特有の子供らしさが無い。大人だと周囲がよく言う。別に悪い気はしないが、私は子供になれたことが無いと言われているような感覚に陥る。

私は未だにベッドの上で枕に顔を埋めていた。
時刻はお昼の12時。
ラジオからはAlbeniz:Asutriazが流れていた。


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