family
□男と女
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(突っ込みどころ満載で色々無理めです。ご注意ください)
夕焼け空の下を歩く。
オレンジ色の夕日が地面に二つの影を作り出す。
いかにも親しげに並んだその影に私は無意識に頬を綻ばせた。
今日の夕飯は鍋。季節外れな気もするけど、すき焼きだ。
隣を歩く結弦の手には大きなエコバッグの袋が二つ下げられている。私にも荷物が一つ割り振られていたけど、その中身は彼の持つものと比べると明らかに軽くて。
「はい。こっち持って」と私のためにわざと軽めに作られた袋を持たせて、残りを平然と引き受ける彼の優しさに、私はいつも不意打ちに胸を締め付けられるんだ。
(...こういうことをサラッとやっちゃうからズルいんだよ)
幼い頃からだ。その積み重ね、並んで歩くこともいつの間にか自然になって、同じ時を多く過ごして、私はこんなにも長い時間彼の隣にいる。
...なーんて。自信満々に言ったけど、もちろん日本にいる時限定の話しだ。
...私から見て結弦は。ストイックで妥協することが嫌いで、不器用で頑固で、真面目で繊細で。情に厚くて、でも意地悪で。
とても強くてとても弱い、そんな人だ。
知れば知るほど、物理的に共有する時間が無くても、お互いに刻む時が増えれば増えるほど、結弦への想いは募る。
(......うん。今も、すき。)
一人のアスリートとしても好きだし、一人の人間としても好きだし、一人の男としても好き。
その気持ちだけは。この先も絶対に揺るがない。上書き保存されていく自信がある。
...だけど一方で。
最近の結弦は、私のことを「女」として見ているのだろうか?という疑問も湧いている。
確かに優しいよ、優しいけど。正直な話し。長く付き合っていると、もはや彼氏彼女という感覚はぼんやりと薄れて。男と女以前に、悪い意味で空気のような存在な気がする。
...世間的に言えば。まだ若いんだけどなぁ、私も結弦も。
まぁ、結弦がどんな理由で一緒にいてくれるのかわからなくても、まだこうして、彼の隣という特等席で横顔を眺めているだけでも、十分幸せなんだけどさ。
...それにプラスして、ずっと女として見て欲しいなんて、望んだら贅沢なのかな。
(でも現実問題、そっちの方の回数は確実に減ってるんだよね...)
......なんとなく先行きが不安だ
「あ」
ぐるぐるとした私の思考回路を断ち切る突然の結弦の声に、私の体が驚きで一瞬ドキッと跳ねた。
何を考えていたかバレたのでは、と少々怯えながら彼を見ると、視線は私には全く向いていなくて、何やら信号の向こうを見つめている。
どうしたんだろうと首をひねりながら、彼の視線の先を追うとそこには。一際オーラを放つ少し前髪の長い男性の姿で...
言わずもがな、彼と同期のフィギュアスケーター。
『あ、田中さん!!』
私の瞳にその姿が映った瞬間、思わず名前を叫んだ。彼は私と結弦には気づいていないみたいで、突然呼ばれた名前に驚愕したようにキョロキョロと辺りを見回している。
信号が青になったと同時に思わず駆け寄り出した私にようやく気づいてくれて、田中さんは軽く手をあげて挨拶してくれた。
「こんにちは、あ、もうこんばんはの時間かな」
『そうだね、こんばんは』
「二人で買い物?」
『そう。今日珍しく寒いから、久しぶりにすき焼きしようと思って、そこのスーパーまで行ってきた』
「すき焼きか、いいね」
『奮発して高いお肉だよー』
「うわー。豪華ー」
『そうだ、田中さんも一緒にどう?』
「え?」
『一緒に食べようよ、結弦と二人だといつも余るんだよね』
「でも...」
『人数多いほうが楽しいし、ね!』
突然の私の誘いに見るからに少し困惑している田中さん。(あたり前か、)
彼とも五輪シーズンが終わってからずっと会っていなかったし。いや、そもそもそんなに会う機会は無いけども。
せっかく鍋をするんだったら人数は多い方が良いに決まってる。
(田中さんにはいつもお世話になってるし。それに、私だって久しぶりにゆっくりとお話したいし)
...すると、少々遠慮気味の田中さんに結弦が問いかける。
「いいじゃん。たまには一緒に食べようよ」
「え、」
「ちょうど渡したかったプログラムのディスクも家にあるんだ」
「あー、この間頼んでたやつ?」
「そう、それ」
「...そっか。じゃあ、少しだけお邪魔しようかな」
「うん、そうしなよ」
『じゃあ決まりね!』
「ご迷惑お掛けします」
『いえいえ』
「...ほんとにいいの?」
『もちろん!』
「じゃあその荷物持つよ、貸して」
『え?』
ひょい。と田中さんが私の分のエコバッグ袋を持ってくれた。元々そんなに重くなかった私の右手が、彼の手により更に軽くなってしまった。(...相変わらず紳士的だなぁ)
『ありがとう』
「いいえ、これくらいさせてよ」
『美味しいすき焼きごちそうするからね』
「ちなみに、関東風?関西風?」
『えーと、関東風かな』
「いいね、俺もそっち派」
『だよねー』
結弦と田中さんに挟まれて歩く。この三人で鍋パーティー(大袈裟だけど)なんて、滅多にないメンツなだけに楽しみだなぁ。
...なんて少しニヤニヤしながら、結弦よりも少しガッシリとした田中さんの背中を時折軽く押しつつ、私たちは家路を急いだ。
『じゃあ結弦と田中さんは座って待っててね!すぐ準備するから』
「あ、俺手伝うよ」
『え?そんな、いいよ』
「そういう訳にはいかないから」
『いやいや、お客さんなんだからゆっくりしてて』
家主のはずの結弦は「あれー。ディスクどこに置いたっけ」と部屋を物色している中、田中さんが何もしないわけにはいかないと荷物を下ろし私の後を追う。
(ほんとに、どこまでいい人なんだろう...この人は。)
「俺こう見えても結構料理できるんだ。少しは役に立つと思うよ」
『え!そうだったの?』
「うん、得意分野だから」
『じゃあ色々教えてもらおうかな』
「お安い御用です」
荷物を抱えながらキッチンに入って来る田中さんの後ろ姿を、結弦が一瞬だけ、少し顔をしかめて見ていたような気がしたけど。
...違うか。うん。
結弦に限ってそんなことは無いと思う。(たぶん、私の気のせいだろう)
「ほんと仲良いよね、二人。長く付き合ってるのに、こうして一緒に買い物行ったりするなんて」
鍋に使う白菜やキノコ類を洗いながら田中さんが問う。(まぁ、あまり喧嘩もしないし、確かに仲は良い方なのかもしれないけど。)
醤油と砂糖、みりんと料理酒で割り下の味を調整つつ、私も答えた。
『私がお願いして買い物に連れ出したんだよ。結弦優しいから、無理やり付き合ってくれてるだけ」
「無理やり?」
『そ。無理やり』
「ふーん、そうなんだ」
『それに、長く付き合ってるからこそ、結弦はもう私のこと女として見てないしね』
「そうかな?」
『そうだよ』
「意外と、ユヅもまだ男を忘れてないと思うけどな」
『あはは、それは海外で出会うキレイでセクシーな女の人限定だよ』
「え?そうかな?」
『うん。絶対そう』
「でも、大事にしてると思うよ、ユヅなりに」
『そうだといいねー』
「ああ見えて意外と、独占欲も強いんじゃない?」
『うそ、似合わない』
田中さんがジュージューと肉に軽く焼きめを付ける。脂の乗った牛肉の良い香りが充満してくる。
その隣で椎茸に十字の切れ込みを入れながら、視線を話題の彼、結弦に投げ掛けてみる。
(あ。目反らした。)
「ほら、ね」
『ん?』
「俺たちが仲良く話してるから、気になってるんだよ」
『えー?』
「さっきからずっとチラチラ見てたし」
『ほんとに?』
「うん。だから今慌てて目反らしたでしょ」
『......うーん』
いやいや。無いよ。
そんなの。
なんだかんだでプライド高いし。
仮にほんとに結弦がチラチラ見てたとしたって、それはきっと鍋に嫌いな野菜を入れられるんじゃないかとか。それを心配して見てるとか。その程度の理由だと思うんだ。
「絶対そうだよ」
『...どうかなぁ』
「そんなに、信じられない?」
『...うーん』
「じゃあさ、」
『?』
「確認してみる?」
『へ?』
すると、
私にふっと微笑みかけたと思ったら、田中さんはそっと右の耳元に唇を寄せてきて。
(...え、)
......なに、
ゆっくりと
それでも数秒間
耳打ちをされた。
『......え?』
近くなった私たちの距離。
でもその間に割って入って遮ってきたのは、他でもない「結弦」で。
「...おい」
私は慌てて見上げるけど、結弦の顔を見るなり一瞬で顔を伏せた。
(だって、今の私の顔、たぶん...いや絶対。真っ赤だ...!)
「あ、俺これ運んでおくね」
まるで。何事もなかったかのように。
フツフツと音を立てる鍋の火を一旦止めると、切り揃えた野菜や豆腐類を盛りつけた皿を両手に、田中さんは爽やかな笑顔でそう言って。スタスタとキッチンから出ていった。
「ちょっと、何言われてたの?」
その声が近くに聞こえたことで、さっきまで遠くにいた結弦が、今隣にいることを再度確認する。
だけど、生憎今の私には、その問いかけにブンブンと首を横に振ることしかできなかった。
――ヤキモチ焼いてるんだよ。俺に。
田中さんが言ったその言葉が頭から離れない。一瞬のうちに何度も何度も脳内で反芻してしまう、たまらなく恥ずかしい。
...けど、どうしようもない。顔の火照りは増す一方だ。
そんなことはないって、何度も自分に言い聞かせてはみるものの、それはあまり効果はないようで。
ドキドキと早鐘を打つ心臓が勝手な期待を募らせる。
――だってほら。ユヅ、今も俺が何かしないか心配そうに見てるから。
男と女の恋愛感情なんて
付き合いたての頃の瑞々しい気持ちなんて。
結弦の中で、とっくの昔に無くなったんだと思っていた。
色んな意味で、自分が「女」として結弦に必要とされるはずがないと。
ましてや嫉妬なんて、や、ヤキモチなんて。彼がそんなことするわけ無いって。
「ねえってば、何話してたの」
『いや、な...何でもないよ』
「嘘つけ、何でもない訳ないだろ」
『大したことじゃないって...!』
ニッコリと笑う田中さんの姿がリビングから見えて。ますます頬が赤くなるのが自分でもよく分かった。
自惚れかもしれない。
でもそうじゃないかもしれない。
ただ、もし彼がまだ私にそういう感情を抱いてくれてるなら...
意を決して伏せた顔を上げると、目の前には結弦のどこか心配そうな、それでも怪訝な瞳があった。
......この意味深な瞳の理由を知りたい。
そして、私たちもまだ、そういう気持ちがあったんだねって。恋してるんだねって。小さくでいいから笑い合いたい。
結弦には申し訳ないけど。
無意識に口角が上がる口元は、不安か期待かわからない...だけど、それでももういいや。
(だって私は。何年経ったって。)
彼の袖をくいっと引っ張って、腰を屈めるように誘導する。その瞬間に、近くになった結弦の左耳に唇を寄せる。
そして息を一つ吸い込み、打ち明けた。
妬いてくれて、ありがとう
私は、ずっと
(貴方のことを「男」として見ているからね)
「なっ!いや、違う、」
『素直じゃないなぁ」
「違うから、妬いてないし」
『えー、ほんとに?』
「ほんとそんなんじゃないから!」
不覚にも動揺している姿が可愛くて、愛おしくて。
彼が否定するなら、じゃあそういう事にしておいてあげようかな、なんて。
(ユヅー、早くすき焼き食べようよ、肉固くなるよ)
(...なんかイラッとするなぁ)
(人聞き悪いこと言わないでよ)
その日の鍋はなぜか、
いつもより美味しく感じられたのは、彼には秘密にしておこうと思う。