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□ハッピーキッチン
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“ただいま”とドアを開けた瞬間。

目の前に飛び込んできた

彼女の涙。



『おか...えり...ぐす』

「...え」

『...ぐす...ぐすん』

「!?」

『......ぐす』

「どうした!?」



目を真っ赤にして涙をぽろぽろと零している彼女。
突然の出来事、急な展開に軽くパニックになる。理由を知りたいが為につい行動が先走ってしまって、思わず彼女の両肩をガシッと掴んで問いかける。



「何があったの!?」

『...え?...ぐす』

「大丈夫!?」

『...ゆ、づる?』

「何で泣いてるの!?」

『...ちょ、ちょっと』

「もしかして、俺のせい!?」

『いや...待って』

「俺、何かした!?」

『落ち着いて!』



今度は逆に俺の両腕をガシッと掴まれる。何だよ、何をどう落ち着けって言うんだよ。
未だにグズグズと鼻をすすりながら目を潤ませている彼女が口を開いた。



『玉ねぎ!』

「......」

『玉ねぎ切ってたの!』

「...え」

『それだけだよ!』

「...はぁ!?」



一緒にカレーを作りましょう。



まったくもう、大袈裟なんだから...。という呆れたような言葉と共に、色鮮やかな人参をみじん切りにしている。


俺としたことが...いつになく取り乱してしまった。なぜ緊急事態に冷静になれなかったんだ。

何年も一緒にいるのに。それなのに彼女の泣き顔に対してスマートに対応出来なかったことが悔やまれる(...時間を戻したい)

...情け無いところを見せてしまった。と後悔している側で、そんなことはお構い無しとでもいうように、彼女の手元からトントンというリズムカルな音がうまれる。


心地良い音がキッチンに響く。いつ見ても包丁さばきはお手の物だ。


そんな彼女の横に立つ俺は。なぜかエプロン姿になっていて...



『結弦は挽肉を炒めて』

「挽肉?」

『そう。合挽肉』

「いつものチキンじゃないの?」

『うん、今日はキーマカレーなんだ』

「ああ、だからみじん切り」

『そういうこと』



涙の原因は解明された。
キーマカレーの為のみじん切り。

そしてなぜか手伝わされる俺。

新シーズンに向けてトレーニングを増やしてからというもの、最近は満足に休めていなくて。なおかつ昨日も夜遅かったし、結構疲れてるんだけどな...

なんて。内心苦笑いしつつも、さっき不覚にもテンパった姿を見せてしまったのが無性に恥ずかしくて...

変なプライドを隠す意味でも、無言で彼女の指示に従うしかなかった。なにぶんエプロンの装着を拒まなかったのもそのせいだ。

(...まぁいいや。今日は大人しく彼女のアシスタントになろう)


テフロン加工の底が深いフライパンに合挽肉を入れて火を付ける。数秒もすれば、すぐにジュージューという音と香ばしい肉の良い香りがしてくる。

それを木ベラでほぐしながら炒めていくと肉の色がどんどんと変わっていく。



『玉ねぎと人参も入れまーす』

「はーい」

『玉ねぎが透き通るまで炒めてください』

「はーい」

『あ。にんにく入れ忘れてた』

「えー」

『いいや、後入れで』

「それって最初に炒めて香りを出すんじゃないの?」

『平気平気、今入れちゃおう』

「風味とか気にしないの?」

『食べれば同じだよ』



えい。とスライスされたにんにくが投入される。うちの料理研究家は実に臨機応変だ。...いや《適当》の間違いか。



『ブイヨンスープを入れて少し煮詰めまーす』

「はーい」

『そこにローリエを1枚入れると、本格的になるの』

「葉っぱのやつ?」

『そう、ここがポイント』

「ふーん」

『香りも出るし、肉の臭み消しにもなるんだよ』



グツグツと野菜が煮える音。隣で
うんちくを喋る同じくエプロン姿の彼女。

疲れた身体で実感する、なんとも言えない庶民的な日常。

たまにはいいかもな...こうやって、二人で並んでキッチンに立つのも。家事全般、普段は彼女に任せっきりにしていたから、妙な新鮮さを感じる。

そして、意外に俺自身が楽しくなってきたというのもある。

にわか料理人あるあるで、無駄にかき混ぜたくなるフライパン。本能のままにぐるぐると混ぜていると、まくっていたシャツの袖が微妙に下がってくるのを感じて...



「ねえ」

『ん?』

「直して」

『なに?』

「そで」

『ああ。はいはーい』



1回、2回と袖を折り直してくれる。

あれ。いつのまにかアシスタントが入れ変わってる?彼女主体で進行していたはずなのに。

そんなアシスタントは、ふいに何かを思い出したかのように冷蔵庫へ向かう。



『しめじ余ってた』

「しめじ?」

『うん、ほんの少しだけど』

「いいね、きのこ」

『食物繊維とビタミンも豊富だからね』

「健康的ですねー」

『これも入れちゃいまーす』



更に10分程煮込んだところで、溶けやすいように細かく刻んだカレールーをザザッと入れる。

ゆっくりとそれを溶かしていくと一気に湧き上がる。日本人なら誰もが好きな、食欲をそそられるあの匂い。



「何のルー使ったの?」

『今日は、ジャワ2・バーモント3』

「お。好きなブランドだ」

『隠し味は、これ』

「ん?」

『マンゴーチャツネ』

「りんごと蜂蜜じゃないんだ」

『奥深さが違うよ』

「凝ってるね」

『たまにはね』

「やばい早く食べたい」

『ほんと、お腹空いたねー』



ついに完成したキーマカレー。

彼女が炊きたてのご飯を皿に盛り付け、流れ作業で俺が受け取り、出来上がったルーをたっぷりとかける。

さらに仕上げに温泉卵をトッピングして。

サニーレタスとキュウリとトマトのサラダと、玉ねぎとベーコンのコンソメスープをつけて。Moco’sキッチン風に言うと「今日はこれで決まり」オリーブオイルはかけないけど、彼女と俺の共同作品だ。

テーブルに並べ、いつものように向かい合って座りパチンと手を合わせる。



「いただきます!」



「『美味しい』」

『温泉卵が合うー!』

「これいくらでも食べられるね」

『あ、しめじ私の方にいっぱいきてる』

「え、ずるい」

『よそったのは結弦だから』

「いいなー、ちょーだい」

『ダメー、私の』

「...あーん」

『......』

「あーん!」

『しょうがないなぁ...』



もぐもぐと咀嚼する。もぐもぐとこみ上げる普通の幸福感。

二人のスパイスが良いアクセントになってるな。なんて、

こういう時間も大切にしなきゃいけない。

増やせていけたらいいな、という希望も込めて提案してみる。



(今度は何作ろうか)
(んー、餃子とか?)
(いいね)

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