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□言いたい!
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塩(しお)
塩化ナトリウムを主な成分とし、海水の乾燥・岩塩の採掘によって採取される物質。
塩対応(しおたいおう)
そっけない態度
愛想の無い冷淡な対応
好きって何回言えばいい?
自室のソファに仰向けになって動画を見ている彼なんですけど。何の動画を見ているのか一人でたまにニヤッと笑ったり「いやそれは無いだろ」とか独り言を言ったり、まさにTHE!ダラダラ!を満喫している最中でございます。
寝起きのままの所々跳ねた適当な髪も、昨日の朝から剃っていないと言っていたけどあまり濃くなっていない髭も、そろそろ新しいの買い足そうかなと言っていたけどいつまでも履いてるそのプージャーも、その全てが彼を取り巻く空気感。
言いたい。言いたい。無性に言いたい。
たまに唐突に訪れる。この感覚。
好きって言いたい。たくさん言いたい。
とにかく言いたい。気が済むまで言いたい。
内側から沸き起こるこのワナワナとした耐えようのない感情。歯痒くてむず痒くて耐え難い苦痛。だったらもう吐き出しちゃえばいいじゃん。別に遠慮なんかする関係じゃないじゃん。何を今さら気を使ってるの?いや、気は使うけど。好きな人が隣にいて好きって思うから好きって伝えて何が悪いの?そうなんだよ、そんなことはわかり切っていますけど。皆さんもご存知の通り、あ、でも存じて無かったらごめんなさいだけど。
彼、結弦は、いえ羽生結弦氏は、
塩
...なんです。
イメージ通り?それとも意外?
まぁどっちにしたって好きなんだけど。
もうとにかくね。塩。塩。
わかりやすく説明すると「ゆーづーるーくーん!」とか「ゆーちゃーん!」とか脳内お花畑状態丸出しなオーラで近づいたりすると軽く足蹴りに合うというか。
いや、もちろん実際に蹴られるとかでは無いけど。氷のようなあの目つき(あの目つきって言って分かるかな?分かるよね)で簡単に追い返されるんですよ。「なに?」「邪魔」「やめて」この三点セットが定番なんですよ。
もうね。ソルト。ソルト。
しょっぱいです。というか辛いです。
だけどね、プライベート空間ではそんな自由奔放に振舞っている(当たり前か)結弦なんだけど、やっぱりダイレクトに伝わる「好き」という二文字には弱いんじゃないかって最近思い始めていて。どんなに好きのオーラを纏って体当たりに行くよりも「好き」という言葉を伝える方が早いんじゃないかと思うんですよ。
もちろん双方にとって。私も彼に伝えることが出来るし彼もストレートに受け取ることが出来るし。なので今日はこれから、思う存分「好き」を連呼したいと思います。まぁただ単純に一方的に言いたいだけっていうのも少なからずあるけども。ていうか8割型そっちの発想だし。
そして検証したいと思います、彼は、結弦は「好き」って言われ続けたら一体どうなるのか。どうするのか。そしていつ爆破してキレるのか。(補足:決してキレさせたい訳ではない)
全ては私のみぞ知る。どうか皆さん、双方に幸せな結末が訪れるよう願っていてください。私にエールを!エールをお願い致します!
馬乗りになるのがスタートの合図。
といっても。彼は仰向けで手にはスマートフォン。私は彼の腹部を跨ぐようにしてのし掛かる。なんとも言えない迷惑行為が戦いのスタートなのだ。
(...いざ!実食!!)
『結弦くん』
「...重いんですけど」
『ゆーづーる』
「...んー」
『好き!』
「...うん、どけて」
『好き!』
「...重い」
『好き!』
「...うん」
出だしの「好き」は予想通り軽くあしらわれる。手には相変わらずのスマートフォン。いいんです。いいんです。十分です。これで。ここからの変化を感じるのが今日の私の課題なんですから。
むしろ順調な滑り出しです。
『ねえ、結弦』
「ん?」
『スーキ!』
「うん、知ってる」
『結弦は?』
「んー?」
『好き?』
「うん」
『ほんとに?』
「うん」
ゆっくりと顔を近づけていく。
あからさまに嫌そうな表情になる彼を見ながら実行していく、ほんの少しだけ感じる優越感。笑いも込み上げてくる。
何が始まるんだ?と言わんばかりの怪訝そうな空気を発しながらも、スマートフォンをソファ横のテーブルの上に置いてくれたらもう私のペースに巻き込んだ同然だ。
(...加速する、好き。脳内にスキの嵐。)
『すき、すき、すき』
「...え、」
『好き好き好き好き好き好き』
「...なに」
『好き好き好き好き好き好き好き好き』
「...何?急に、」
『今日はいっぱい好きって言いたい気分なの!』
「...意味がわからない」
『好き好き好き好き好き好き好き好き』
「...うるさいんだけど」
ふふふ。口ではそう言ってるけど、結弦くん、あなた、口元が上がっていませんか?緩んでいませんか?
無意識のうちに、
(スキの応酬に照れていませんか?)
『結弦、』
「んー」
『好き』
「うん」
『結弦は?』
「えー、」
『言ってよ』
「好きだよ」
『もう一回』
「好き」
『もう一回』
「好き」
『もっと!』
「好き好き好き好き好き好き」
『もっとー!』
「何?なんなの?どうしたの、」
『もっと聞きたい!もっと言ってよ』
「いや、ほんと意味わかんない」
『好きって言うだけだよ』
「やめて、もう、マジで」
『けちー。でも好き』
「そして重い、どけてよ」
寝転んでいた上半身を迷惑そうにゆっくりと起こして、深いため息をつきながら体勢を整えている彼。しかし私は退かない。退くんもんですか。
向かい合って彼の腰付近を跨ぐこの体勢、このスタイルはなんとも好都合だ。まさかの偶然故の産物。
この距離感を利用しない手は無い。
『結弦、』
「ん?」
『スキ』
「うん」
『好き』
「うん」
『すき』
「うん」
『好き』
「うん...ふふふ」
ほらね。まんざらでも無いでしょ。
デレている。これは間違いなくデレている。堪え切れずに溢れる空気がなんとも言えない幸福感を加速させていく。
(...ああ!もう止まらない!可愛い!)
彼の首にそっと手を回して続ける。
『ねえ、目え合わせて』
「えー」
『目え合わせて好きって言って』
「...なんで」
『ちゃんと私に好きって言って』
「言ってるじゃん何回も」
『足りないの』
「...好き」
『もっと』
「好き好き好き好き好き」
『好き好き好き好き好き好き好き好き』
「わかったって、」
『好き好き好き好き好き好きもご!』
「うるさい、ストップ」
高速で動く唇を勢いよく結弦の右手で塞がれて強制終了。その手があったか。
呆れたような切れ長の瞳に私の顔が反射する。三秒後には解放されて酸素を吸い込む私に、どう思っているだろうか。
なんとなく機嫌が悪くなっている気がしないでもない、けど大丈夫!私には次の作戦がある、
『大好き!』
「......」
『大好き!』
「...なに、」
『好きの次は大好きでしょ!』
「...そうですか」
『結弦、大好きだよ』
「はいはい、ありがとう」
『本当に大好き!心から大好き!』
「わかったってば」
『何がわかったの?』
「好きもわかった!大好きもわかった!」
『...じゃあ、愛してるは?』
「愛してるもわかった!」
『世界一愛してるは?』
「世界一愛してるもわかった!」
『宇宙一愛してるは?』
「宇宙一愛してるもわかった!」
『地平配線の彼方まで...』
「マジしつこい!ウザい!!」
しつこいよね。ウザいよね。知ってる。でももうやめられないの。どうしたって止まらないの。
だってこんなにも好きなんだから、こんなにも愛してるんだから。言葉の力って偉大だね。言われる方はどうか分からないけど、与える方は達成感と充実感でいっぱいだよ。いっぱい幸せだよ。迷惑極まり無いと思うけど許してよ。だってそれくらい大好きなんだから。たまには許してよ。受け取ってよ。
その限界突破しそうな顔も。居ても立っても居られないような苛立ちも。
全部全部、好きで大好きで堪らないの。
『今日はもうずっと結弦に好きって言うからね』
「ほんとやめて、ウザい」
『大丈夫、そう言うとこも好きだから」
「怒るよ、もう」
『怒るの?好きって言われて怒るの?』
「怒るよ、マジで」
『愛してないの?」
「愛してるって」
『好きなんでしょ?』
「うん、」
『私も好き、大好き、愛してる』
「もういい、疲れた」
再度ボスンッと音を立てて、背中からソファに倒れる彼。
無視を決め込むかのように目を閉じて防御体制に入っている。いや、もしくはスリープモードへの切り替え。
(...ここまで来てそうはさせるか!)
『ゆーづーるー!寝ないでー!』
「無理、疲れた、うるさい」
『寝ないでー!目え開けて私のこと見て!』
「しつこいんだよマジで!」
『好き好き好き好き好き好き好き』
「......」
『好きだよ、大好きだよ、愛してるよ』
「......」
『スキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキ』
「やめて。頭おかしくなりそう」
『じゃあ結弦もスキって言って』
「言ったじゃん、何回も」
『もっと聞きたいの、好きって言って』
「......」
『好き、スキ、好き、スキ、』
「......」
『大好き、愛してる、好き、スキ』
「......」
『好き好き好き好き好き好き...っ!?』
『...ゆ、...まっ』
「...言えば?もっと、」
『...っ、ゆづ、』
「好きなんでしょ?もっと言えって、」
『っ...すき、...す』
「...聞こえない」
『...っ!!』
猛烈なキスでスキを塞がれる。
ちくしょー。この手があったか。
好きの応酬を終わらせるやり方。
こんな方法があったなんて、
想定外だった。
まだ検証は終わっていないのに。
(100好きって言うより、1回キスした方がいいと思わない?)
(...もっと言いたかったのに)