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□泥酔ラバー
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「た〜だ〜い〜ま〜!」
『!?』
時刻は深夜 1:00
無駄に元気の良い間の抜けた声と一緒にガチャリと玄関が開かれる音がして。
(...帰って来た!)
長らく待ちわびていた人のご帰還だ。と遅い時間にもかかわらず軽い足取りで出迎えた私の目の前に飛び込んで来たのは
「今帰ったよ〜!」
『お、おかえり』
「もー!もっとこっち来てよー!」
『...は、はいはい』
「はーやーくー!」
両腕を広げながらへらへらと締まりのない顔で私にハグを求める結弦。
(....こ、これは...)
異様なまでのハイテンション。特有の甘えた口調。高揚した顔。下がる目印。少々ボサボサに乱れた髪。前面に押し寄せるもの凄いアルコール臭。
うわぁ...珍しいことも有るものだ...これはもう、疑う余地も無い。完っっ全に悪酔いしている。
今日は、いや。日付けが変わったからもう昨日か。Faoi長野公演の打ち上げと題した飲み会で。
基本海外にいる結弦にとっては、普段はなかなか会うことの無い仲間との久しぶりの再会ということもあってか、おそらく。いや確実に...羽目を外し過ぎたんだろう。
同士にしか言えないことだったり、来シーズンに向けての悩みとか相談とか、募る話だってあっただろうし、ましてや気心の知れた戦友たちとの珍しいお酒での席だから、そうなるのは致し方無いのかもしれないけど。
...しかしまぁ、なんとなく電話で聞いてはいたけど、まさかこんなにもベロンベロンの泥酔状態になって帰って来るなんて、予想以上に仕上がっていて、思わず大きくため息が出たことはどうか許して欲しい。
うーん...織田さん達なら、頃合いを見計らって止めてくれるかもしれない、なんて淡い期待を持っていたけど。きっとこれは自爆したに違いない。そもそも人の言うことを簡単に聞く人じゃないしな。
(...もしくは..同じように織田さん達も今頃ベロンベロンなのか...あり得る...。)
全く...何事にも規律を持って、節度を守る。いつもそう言ってるのは他でも無い貴方なんですよ?大丈夫ですか?羽生結弦さん。
「会いたかったよ〜」
『はいはい。結弦歩ける?』
「歩けるよ〜?」
『うわっ、お酒くさい!』
「ハイボール美味かった〜」
『もう、どんだけ飲んだの!』
「ん〜...」
『ちょっ!重いってば!』
「ん〜.....」
抱きつくというか、倒れ込んでくるという表現が似合うくらいの勢いで抱き締められて、ゆったりグッタリと体重をかけられる。
(...華奢な人だけど、身体の力を抜かれるとさすがに重い...)
『結弦ー、重いよー』
「ん〜...」
『ちゃんと自分で歩いてー、』
「は〜い...」
ぽんぽんとその背中を叩きながら自ら歩くことを要望すると、子供のようななんとも可愛らしいお返事が返ってきた。よかった、とりあえず私の言葉は通じるらしい。
ぎゅうっと抱きついていた身体をゆっくりと離して。アルコールによるこもり熱から自らを解放する。
『...シャワー、は、無理か...ほらベッド行こう、』
「...うん」
『大丈夫?』
「...うん」
誘導する為に新たに繋いだ右手が熱い。その温度の高さに不覚にもドキリと一瞬心臓が跳ね上がったのが分かったけど、間違いない。これはきっと、アルコールのせいだ。
短い廊下を通り過ぎ、パチリと壁際のスイッチを押すと、LEDが点灯して途端にパッと明るくなる寝室。
足取りの重い彼を引きずりながらも、ようやくここに辿り着いた安堵感と、さっきまでひとりで寝ていたベッドが今から少し窮屈になるという事実に、自然と頬が緩んでしまう。
『...結弦、水でも飲む?』
「......」
『何か冷たい物、持って来ようか?』
「......」
『おーい、大丈夫ー?』
「......」
『ゆーづーるーくーん』
「......」
ベッドのサイドに腰を下ろした結弦は少しだけ...いやだいぶ顔を赤くして、目を座らてこっくりこっくりと浅く船を漕ぎ出している。
電池切れかけの状態、心ここに在らずといった感じだ。
(...こりゃダメだ。おやすみ3秒だな、)
『ほら、横になって、』
「ん〜...」
『ゴロンして、ゴロン!』
「ごろ〜ん...」
『もう少し端っこ!』
「ん〜...」
ベッドに寝かせるだけなのに声掛けが必要だなんて。普段の彼の立ち振る舞いとはえらくかけ離れた姿だ。
(...なに、何なのこの可愛い生き物は...)
私しか見ることの出来ないそのギャップに少々面食らう時もあるけど、でもこれだって彼の素の一面。ありのままの姿。
だらしないけど無性に安心する。なんとなくホッとするんだよなぁ、普段は神童のような立派な彼だけど、やっぱり普通の、私と同じ歳。..23歳の男なんだなって実感できるから。
そのことをより深く体感したくて、横向きに転がる彼と向かい会うように私もベッドに寝そべる。
目の前から伝わる、今にも夢の世界へ飛び立ちそうな、熱を持った彼の吐息のリズムが心地よい。
『...長野公演もすごかったね、疲れたでしょ?』
「...う、ん...疲れ、た...」
『でも楽しかったでしょ?』
「...めっちゃくちゃ楽しかったよぉ〜」
『なら良かった、』
「ジャンプで若干ミスったところはあったけどね〜...でも皆んな笑ってくれてたし〜...曲の響き具合も良かったし〜...拍手も歓声も気持ち良かったし〜...」
『...ふふ、そっか。』
「刑事と信くんのカラオケも楽しかったし〜...酒も美味かったし〜...」
『...へー、お二人はなんの曲を歌ってたの?』
「う〜んとね〜...へったくそな米津玄師と〜...あと〜前前前前前前...」
『前前前世ね、』
「そうそれ〜...」
それはそれは、さぞかし楽しかったことだろう。嬉しそうに笑みを浮かべながら今日を振り返る結弦のしたり顔が堪らなく愛おしくて、思わずくしゃっと頭を撫でてあげると。
お返しと言わんばかりに、ふわっと柔らかい笑顔をダイレクトに向けられる。
貴方が心の底から楽しかったのなら、私はその事実が一番嬉しいよ。これは本当だよ。...何気無くいつも願っていて思っていることなんだよ。
その笑顔に会いたかったなんて柄にもなく呟いて、そっと頭を包み込むように抱きしめると、結弦は幸せそうにゆっくり深呼吸をした。
「...俺も会いたかったよ〜...」
『...うん。ありがとう、』
「...ん〜...」
『...もういいよ、おやすみ。』
「...ん〜...」
その呼吸はあっという間にすやすやという眠りのものへと変わっていくのを聞いて、ふうと自分も息をつく。
口元に浮かべた笑みが深くなるのを感じて、思わず目を細めた。
『...結弦、お疲れさま。お願いだから、無理はしないでね、』
寒くないように、しっかりと布団を掛けてあげて。
スースーと気持ち良さそうに寝息を立てる結弦の頬っぺたを両手で挟む込むと、女の私が嫉妬するくらいのすべすべのお肌が、お酒のせいかやはり熱く火照っていて。
それがまるで幼い子供のように感じる。あどけない表情でいつもり広くさらけ出されたおでこにゆっくりと唇を寄せた。
(...明日はきっと、二日酔いだな。)
そう思いながら、部屋の照明をぱちりと消した。
胸に浸透する、君の濃いアルコールの香り。
(大好きだから、支えていこうと)
(いつでも、ここに帰ってきていいんだからね)
(怪我しないように見ててあげるよ)