嘘ばっかり

□あの頃
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過去を遡るのは悪いことじゃない。
世界が混乱と失意のどん底にいる今だから。
今という時だからこそ考えて懐かしむ。

あの時。
あの場所で。

そんな時間が、ありふれていたけど擽ったくて特別な、そんな時間が確かに俺たちの間には流れていた。

2011年の初夏。

翌年にはトロントへ拠点を移す事が決まっていて、期待と不安が入り混ざった心境を常に抱えていたあの時。

「楽しみだけど、やっていけるかどうか半信半疑」そのようなことを素直に口に出来る程に、十代の無知な心を恥じること無く振る舞えていた。『行っちゃうのかぁ、寂しいけど、でも頑張ってね』彼女の方も、そんなシンプルでベタな言葉で返してくれていて。
たぶんだけど、俺たち二人はそんな感じでやっていけると信じていた。

思うもの、願うもの、想像する栄光全てがキラキラしていて、未来の俺たちからしたら馬鹿みたいに純粋で。

愛しく、ぼんやりと手探りで紡いで来た日々だった。

目蓋を閉じれば直ぐに思い出せる。
青二才の二人で、手を取り合って幕開けた日々は、想像よりも少しだけ足早に過ぎて行っていて。
少しずつ大人びて行く彼女がいる自分の部屋はなんだか、いつも他の誰かの暮らしから借りてきたみたいな、そんな歯痒さを常に持ち合わせていたんだ。



『暑くなって来たよね、また最近』

「なんか、年々暑くなってる気がする」

『確実に地球温暖化進んでるね』

「何度にする?」

『んー、28°でいいよ』

「嘘、暑くない?」

『節電しなきゃ、じゃないともう外に出られなくなる』

「ふーん、まぁいいけど」



狭いローテーブルの上に置いているエアコンのリモコンを手に取り電源を入れる。彼女から指定された数値に温度を上げて、直ぐに元の場所へと戻した。
この時期のルーティーン動作、だけど、いつも真っ白なノートの上に一文字目を書き出すようにして行う。数ヶ月後の自分の未来に向けた期待感と不安感を、暑さに乗せてサラリと受け流したかったのかもしれない。

今だったら考えられないくらい涼しかった夏。
10年後の未来、最高気温が35°を超えるとか、この頃は考えもしなかった。

(...もちろん、元号が変わった次の年に、未知のウイルスが世界に蔓延するだなんて微塵も思っていなかった。)







プシッという音を鳴らして二人でキャップを開けた500mlのコーラ。カラメル色素に染まった黒い水分を喉を鳴らしてグビグビと胃の中へ流し込む。
こればかりは変わらない「味」。

有り難い。いつだってありふれている、側にある、無くなることの無い永遠の定番の味だ。



『はーっ!美味しい、生き返った』

「ははは、すご、もう半分飲んでんじゃん」

『だってカラッカラだったんだもん』

「歩いて来たから?」

『そうだよ、帽子被って来るの忘れたし』



パチパチとボトルの中で炭酸が弾ける音が耳に届いて、何となく隣に座る彼女の前髪にそっと触れる。
微かに汗ばんだ、しっとりとした黒髪。

ここに辿り着くまでの熱くて堅いアスファルトの上を、何を思って何も見て、彼女はいつも歩いて来るのだろう。

久しぶりに過ごす土曜日の昼過ぎ。

蝉が鳴き出すのはもう少し先だ。

たがいちがいに歩き出した僕らの両足は、これから先、どんな未来のアスファルト踏み締めて行くのか。
平成真っ只中だったこの時に答えを知っていたら、あの頃よりももっと、二人の中の一分一秒を大事に出来ていたのかな?



『夏休みとか、どうするの?』

「何も変わらないよ、練習して、課題やって、結構忙しいかも」

『休みの間に準備することとかも?』

「うん、いっぱい」

『...そっかぁ、』

「でもさ、」

『うん』

「花火とか、見に行こうよ」

『夏祭り?』

「そう、七夕祭りはもちろんだけど、松島とか行ってもいいし」

『うん、いいね、楽しみ』

「絶対混むけどな」

『...ねえ、』

「ん?」



ふいに化粧気の薄い瞳が捉えた。
...と、思ったら直ぐにその視線を下に向けて、俺の肩にそっと顔を近付けて問う。

きゅっと握られるシャツに皺が出来て、緩い存在感を伝えてくる。
柔らかい彼女の鼻がクンクンと布越しに触れる感触が、シンプルに擽ったい。



『お祭りはいいんだけどさ、結弦』

「...何?」

『なんか結弦、いい匂いする』

「そう?」

『もしかして、シャワー浴びたばっかり?』

「ああ、朝起きるの遅かったから」

『えー、何それ、ずるい』

「は?何が」

『私はこの暑さの中歩いて来たのに』



男より女の方が汗くさいなんて、と、ジトっとした顔をしてあっという間に距離が開く。そして直ぐに再びコーラのペットボトルに口を付ける。
何だよそれ、別にいいじゃん、今更になってそんなこと。何も気にすることなんて無いのに。

ふに落ちないような顔をした彼女の顔に、先程スイッチを入れたエアコンの風向きが小刻みに動いて風を送ってくれている。
静かに響く機械音が連動して、次第に部屋全体に充満してくる心地好い冷気。



「じゃあさ、浴びる?」

『え?』

「シャワー」

『え、いいの?』

「いいよ、でも、終わったらね」

『え...?』



柔らかい頬をふにっと触って、間髪入れずに唇を重ねた。

唐突?

違う。

キスがしたかった。

たぶん、それだけ。

しかも、何日も前から、ずっと。

こんなもんだろ、思春期なんて。

幼い頃から側にいた彼女と角度を変えて一緒に過ごすようになって、隣にいて隣で言葉を交わしていたら必然だ。

次はこうなる。

何も不思議なことでは無い。

周りが見えていないとか、多感な時期とか、十代後半なんて難しい年頃だって、子供でもなければ大人でもない微妙な年齢とか言われているけど。
でもきっと、この時は自分たち二人は違うと根拠の無い確信を思っていた。世間よりも、同年代のクラスメイト達よりだいぶ大人だと信じていた。

本当に何の根拠も無い、言ってしまえば、ただそう信じたかっただけなんだ。
焦る必要なんて無かったのに、何度間違っても何度ぶつかっても、この頃なら許して貰えていただろうに。背伸びして、大人になるということを知ろうとして、本当に勿体ないことをしていた。



『...やだ、結弦』

「なんで?」

『だって、ほんと汗かいてるし』

「いいよ、そんなこと」

『よくないよ』



小さく抵抗はしているけど本気では無い。
今だったら怒られてるだろうな、こんなに熱に浮かされて強引で。笑えるくらいに分かりやすくて単純で。

白い首筋に唇を移動させながら、彼女のゆったりとしたシャツの中に手を入れる。



『...っ!』



脇腹に触れた瞬間に身震いの動作。
想いを確かめ合ったあの夏の日から今日までの時間、こうやって触れ合うのは何回めかは分からないけど、多くも無いし少なくとも無い、たぶんそんな感じだ。

指先に感じる。

彼女の言う通り、少しだけ汗ばんだ身体。
しっとりと潤った皮膚に初夏の陽射し。



「暑い?」

『...うん、すごく』



会えない時間があれば、その反動で会った時に触れたくなる。こんな風に当たり前に思っているのは自分だけじゃないということを確認したくなる。

情け無い、慣れたくないのに、格好良く振る舞いたいと思っている自分がいる。スマートにこなしたくて冷静を装うけど、いつだって心臓はバクバクと音を立てていたのに。



『...結弦』

「ん?」

『...明るいよ?』

「うん、いいよ、気にしなくて」

『...えー、気になるよ』

「布団被ってする?」

『...意味あるの?...それ』

「さぁ?やってみないと分からない」

『......あんまり』

「うん」

『...あんまり、見ないでね』

「......うーん」



正しいことなのかどうなのかも分からない。
無論、世の中の高校生カップルなんてそんな物だろうけど。

先のことなんて何も知らない。
まだ遠くて、不確かで、ぼやけてる未来の二人の理想像も。

どんなに追い込まれても、思い通りに行かない日々が訪れても、我武者羅に努力を重ねていれば。幼い頃から募らせて来た時間と想いがあれば、どんなに物理的な距離が出来たって平気だと。追い越すような軌跡を描いて見せると。

そんな「確信」の様な「願望」。

薄いカーテン越しに降り注いでいる。窓の外は太陽が優しく輝いていて、自分の中の曖昧な欲望を緩やかに肯定してくれているみたいで。

いつかきっと、アスリートとして、一人の人間として、そういう「独立」出来る日が来ると心の底から願っていた。笑えるな、本当にさ。



「嫌ならいいけど?」

『嘘ばっかり』

「いや、そこまで酷い彼氏になりたくは無い」

『...なんか、結弦さ...』

「何?」

『...なんか、どんどんカッコ良くなってる気がする』



それを言うならそっちだって。
どんどん綺麗になって、そして相変わらず可愛いよ。

ゆっくりと押し倒せば、それでもう最後。
高揚した顔の彼女を見下ろすことに優越感を抱いてしまうのは今も昔も一緒。


言い切れるよ。

どんなに幼くても。

世間知らずでも。

この時。

この瞬間は間違いなく。

綺麗で、

我武者羅に、

純粋に、

お互いを求め合っていた。


この何年か後、俺は何度も思い違いだらけの滅茶苦茶な過去を振り返る。周りのことなんて何も見えていない、彼女を思いやる余裕すら無くなって、頭の中に違う「自立心」が占拠する様になる。

その度に、

悩む。

思い知る。

全てが面倒くさくなる。

己の未熟さにむず痒くなる。



『...もう、いいよ』

「...いいの?」

『...うん、だって、好きだから、結弦のこと』

「...うん、俺も好き」



部屋の中に響く声、息遣い。

彼女の奏でるものに酔いしれる。

柔らかく生温い唇の感触も、

歯列をなぞった時に舌に感じる固さも、

俺の首に回される華奢な腕も、

ピンク色に染まる頬も、

潤んだ大きな瞳も、

ずっと変わらないでいて?

ずっとここに居たいんだろう?

お願いだ。

何年先も、

ずっとずっと、

消えないで欲しい。

いなくならないで欲しい。







必ず僕がちゃんと叶えておくよ。

堅い誓いを今立てよう。







まだ遠くて不確かで、ぼやけてる理想像も。

追い越すような軌跡を描いていけるよ。

そして遥か先を見据える。

未来の二人が迷わないように。

眩い光放って見せるよ。

いつかきっと。

いつかきっと。
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