嘘ばっかり

□クリスマスの夜
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ーーーー......

ーーーー......ぶ、




「...大丈夫?」





聞き慣れた声に反応して、ぼんやりとしていた意識が浮上するのを感じる。

ズキズキと痛む頭を押さえて目を開けると、見覚えのない白い天井が視界に広がっていた。

視線をゆっくりと横にズラすと真っ青な顔をした彼が身を乗り出すように私の顔を覗き込んでいた。



『......ゆ、づる』



反射的に思わず呟いた声が、まるで自分の物では無い様に頭の中に不随意に反響して、思わず眉を寄せて顔をしかめる。



「気分どう?」

『...なんか、...頭痛い』

「だろうな」



伸ばされた結弦の手のひらが私の頬を包んで、恐々とした手つきでそっと撫でる。彼らしくないその仕草を不思議に思っていると、それを察したのか結弦が少しだけ困ったように笑った。(あ、れ?...そういえば、...私)



『...ね、...結弦、私...どうして...?』

「覚えてない?」

『......うん』

「...階段から落ちて脳震とう起こしたんだよ」

『.......そう、なの?』

「うん。頭も三針縫ったってさ」



その言葉を聞いて無意識に頭に手をやると、指先にごわつくネットの感触がダイレクトに伝わる。
そのまま目を閉じて、私はぼんやりと霞がかったような記憶の糸をゆっくりと手繰り寄せた。



――そうだ。

今日は朝から雪が降っていて、ホワイトクリスマスになるな。なんて思いながら、私は夕飯の買い物に行こうとしてアパートの階段を駆け足で下りて。

ふと目の前の道路を見ると、傘を差した子供が車に気付かずに道を横切ろうとしていて。



『危ない......!!』



だから私はそう大きな声を出して、階段を駆け降りて、それから......

それから.......

ぐらりと視界が反転する。

そこで私の記憶はぷつりと途切れていた。



『あっ......!』



思わず声を上げる。そうだ、そうだよ。



「どうかした?」

『結弦!...あの子は?』



彼が苦笑いを浮かべながら答えてくれた。



「ドライバーもその子供も、声に反応したおかげで無事だってさ」

『...そうなんだ』

「...うん」

『...よ、よかった』

「救急車を呼んでくれたのもそのドライバーだって」

『そうだったんだ...』



ほっと胸を撫で下ろす。そっか、よかった。無事だったんだ。



「病院から電話が掛かってきた時は、心臓止まるかと思った」

『結弦に電話?』

「なんか、最初に目を覚ましたとき、上の空で俺に連絡して欲しいって言ってたらしいよ」

『...全然、覚えてない』

「脳震とう起こしたんだから、それは当たり前だよ」

『...ごめんね。今日のスケジュール、放り出して来てくれたんでしょ?』

「いいよ、そんなの」

『...でも、』



真顔に戻った結弦は私の手をギュッと握ると、そのまま自分の頬にその手を押しつけて、噛みしめるようにゆっくりと目を閉じた。



「...本当に、無事で良かったよ」

『...結弦』



見知らぬ番号からの着信を不審に感じながら電話をとった彼の気持ちを考えると、頭部とは別の意味でズキズキと胸が痛い。
せっかく日本で過ごせるクリスマスだったのに。本当に、思いがけない知らせだったんだろうな。

話によると、命に別状はないと予め伝えられていたものの、実際に私の姿を確認するまでは気が気でなかったらしい。当たり前か、

廊下がひどく狭く押し迫ってくるようにさえ感じながらも、不安を振り切るように。きっと彼は早足で私の病室を目指してくれたんだろう。

ああ、私はバカだな。こんなクリスマス有り得ないよ)こんなに迷惑かけて、心配かけて、仕事抜け出させて。



「頭に被せられたネットの白さと、血色悪い顔色が痛々しくて。

閉じたままの目に、俺、本気で頭の奥が冷たくなってくのを感じたんだ。

ドクドク響く心臓の音が、胸の奥の方に不穏に反響してさ」

『...結弦』

「ただ眠ってるだけだって、わかっててもさ、体に触れて、体温確認せずにはいられなくて。

でも、すごい手が震えてて、指先で頬に触れたんだけど、やっぱり普段よりも冷えてて、けど、それでも、なんとなく頬が柔らかくてさ。なんか、それでやっと安心したんだよね」



やけに口数が多くて。それでも言葉を選ぶようにして話す彼の姿、当たり前なようで貴重だ。普段はあまり自分の気持ちとか、感情とか、慎重にしか表に出さない人だから。
やっぱりそれだけの動揺を与えてしまったんだと激しく反省する。

そして、多少なりとも落ち着きを取り戻したことを自覚したのか、結弦は再度苦笑いを浮かべてまた一つ。大きなため息を吐いた。



「本当に、無事で良かった...」



私の手を自らの頬に強く押し当てたまま、注意していなければ聞き取れないほどに、微かな声で繰り返した彼の言葉の痛切な響き。

そして私が結弦と立場が逆だったとしたら、自分もまた彼と同じ心中だろうと思うと、尚更胸がズキズキと痛んだ。

(ごめん。ごめん。ごめんね。)

私も結弦も、二人ともおいていかれることを何よりも恐れているから。だから、



『私、ずっと結弦と一緒にいるって、約束したでしょ』



押し当てられたままの手の指先で、私は彼の頬を撫でる。



『...結弦との約束は、絶対に守るよ』

「もし、もしも、どっちかが先に居なくなったら、今までの約束も全部...全部無かったことになるんだよ」



今まで。果たされなかった多くの約束を、一体彼はいくつ抱えているのだろうか。



『大丈夫、結弦...大丈夫だから』



それ以上何も言うことは出来なくて、私は空いていた右腕でゆっくりと体を起こして、両手で彼の頬を包み込んだ。



『......』

「......」

『......』

「...ねぇ、...結婚しようか?」

『......』

「.......」

『......え?』



不意に顔を上げた結弦の余りに唐突な言葉。その言葉は私の理解の範疇を軽く越えていた。

(え。え?...なに。)

けっこん...。今、結婚って言った?

え...、羽生結弦さん。

あなた、本気で言ってます?

頭の中に疑問符が飛び交っているのが容易に見て取れるのか、私の顔を見るなり彼の頬が緩む。



「寝顔見てる間、ずっと考えてた」

『......?』

「...もう嫌なんだよ」

『...え、』

「もし、また今日みたいな事があったとしても、俺に連絡が来るかなんて、そんなの分からない」

『...あ、』



もし今日、私がスマホを持っていなかったら、もし何かのはずみでスマホが壊れてしまったとしたら。


――何より、私に意識が無かったら.......


血縁関係も無い私たち二人は、どんなに自分たちが想い合っているのだと主張してみたところで。
社会から、第三者からすればただの他人同士でしかないんだ。

例えお互いの身に何がおころうと、自分に知らせが来る保証はどこにもないのだということを、こんな形で改めて思い知らされたんだ。



「今のままじゃ、今後何かあっても俺に連絡は来ないし、色んな意味で法的な何かをしてやることも出来ない訳だ」

『.......』


――それがすごく怖い。


「...逆にもし今、俺が死んだら何も残してやれない。」

『.......』



私の身体を慎重に抱き寄せて、彼の体温が私に伝染して、じんわりと身体中に染み渡る。

(あったかい、その体温も。その言葉も。)

その、何もかもが...



「だから、結婚しない?」

『....結弦』

「ん?」

『...すごく、すごく嬉しい』

「...うん」

『...だけど、』

「......」

『...だけど、』

「......」

『何か...あんまり、ロマンチックじゃない...プロポーズだね』

「......」



いつの間にか泣き笑いの私に苦笑する。
病院のベッドの上で。ましてや検査着のままの私に。彼が告げている言葉は、世間が彼をイメージするように、花束を持って片膝を付き囁かれる愛の言葉には程遠くて。
でもまさか、クリスマスの今日。彼の口からこんなことを聞かされるなんて思ってもみなくて。
今更こみ上げてきた照れくささを押し込める様に、私は必死になって言葉を重ねた。



『....あり、がとう』

「...うん」

『ごめんなさい、...心配かけて』

「......うん」

『で、でも...今、言う?』

「...うるさいな」

『...だって、』

「言っておくけど、結婚はロマンチックだからするとかそういうもんじゃないから」

『...えー...?』



ゆっくりと結弦の優しい指先が私の髪の上を滑る。



「...だけど、」

『......』

「だけど、これからの人生に、責任を持たせて欲しい」

『......』



それは理にかなっていて、揺るがない一つの真実で。いつか彼を失う喪失感を少しでも和らげたいという、浅はかな自分自身の自己保身で有ることにも気付いていたけど。

私も。彼を幸せにしたいんだ。
それはずっと願っていたことで、思っていたことで。たとえ何か痛みやリスクを負ってでも。傍にいるって、支えるって決めていたから。

だから。

だから私は、彼と、結弦と。幸せになりたいんだ。



「一生守る権利が欲しい」

『...はい』



抱きしめられた彼の胸に私は頬を押し当てた。
同時にトクトクと結弦の鼓動が速まるのを感じる。
緊張してるのかな?でもそれは私も同じだから。静かな口調で自分に思いを告げる彼も、やっぱり確かに人間なんだ、そんな不思議なことが妙に嬉しかった。



「結婚してくれる?」



――答えはすぐじゃなくて良いから。



その言葉が終わるのを待たずに、私はこくこくと頷いた。

バカだなぁ、そんなの、聞かなくてもわかるでしょ?...決まってるじゃない



『...私を、結弦の、お嫁さんにして下さい』


「......うん」



――ありがとう。



私を胸に抱いていた結弦の手が肩を包み込んでくれて、口づけを交わすような体勢で私たちは視線を交わした。
じっと自分を見つめる彼の瞳が優しく細まる度に、私の胸がじわりと温かなもので満ちる。




外に降り続ける
(それは突然訪れて、)



『結婚式はロマンチックな教会が良いな、』

「...好きにしなよ」

『...投げやりだなぁ』

「それより早くケガ治して」

『はーい、』



はにかんだ笑みを浮かべた私に、結弦がいつもの皮肉な微笑みを返す。




MerryChristmas
(それでも、ずっと心に暖めていた思いだから)


彼と二人での未来を思うと、まるで子供の頃の様に胸が高鳴った。
苦しいほどに胸を満たす、他でもない幸福感。


雪と共に降り積もって、

儚ない願いが、

いつまでも溶けずに。


胸に残りますように。
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