・夢の先には…

□38 Requiem
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「蒼生…せっかくだから、弾いたら。颯のバイオリン。」

秋の声に顔を上げるのと同時に、私は嵐に腕を引っ張り上げられ立たされる。

「そうだな。弾けよ。そのバイオリンは、弾かれるためにある。」

返事をしようにも、上手く声が出なかったのでこくりと頷く。袖でごしごしと涙を拭くと、春がその手をやんわりと押さえてハンカチを当ててくれた。

「大丈夫ですよ。心配しないでください。私たちも付いてます。みんな一緒です。」

「そうだね。俺も久々に蒼生の音楽が聴きたい。」

「そうでなくとも、もともと演目にはクラシックも入っていたしね。さ、準備準備。」

そう言うとみんなはぞろぞろと裏から楽器を出してきた。いつの間に用意していたのだろうか、チューニングもそこそこに、いつでも弾ける体勢をあっという間に整えてしまった。

「蒼生、何弾く?」

「それはもちろんアレでしょ!」

薫と秋の楽しそうなやりとりを聞いた私は、もう一度袖口で涙を拭くと手紙を胸ポケットにしまい、ケースから弓を取り出し構えた。弾き出す前に深呼吸をしてみたが、どうもしっくりこない。一度弓を下ろし、考えた末、身につけているものが多い事に気づき取っ払うことにした。

ジャケットとベストを取り払い、きつく締めたタイをほどく。1つだけボタンを開けると、開放感からか息苦しさが解消される。そして誰も止めないのを良いことに、ブーツを脱ぎすてる。ソックスまで脱ぎ捨て裸足になると、ようやく身軽になれた気がした。

再びバイオリンを構えると、メンバーにアイコンタクトを送る。

全員、ピッチカートの用意が出来ていた。弾く曲は言わなくとも全員にお見通しのようだった。私は目をつぶり今度こそ深く息を吸うと、そっと弓を引いた。

「G線上のアリア」。悲しくも、美しい旋律がホール一杯に響く。私も兄様も、この曲が一番好きだ。他のどんな曲よりも、このアリアが一番好きだった。あまりにも好きすぎて、この曲が私たち兄妹の十八番だとか、テーマソングなんていう人もいたくらいだ。兄様が主旋律を弾いて、私がピアノで伴奏する。その音はもう二度と訪れない。でも今鳴り響くこの音は、紛れもなく私が求めていた兄様の音だ。

まるで夜明けのような曲は、地平線からゆっくり闇を溶かす光。ホル・アクティのような存在。弓を引く度に鳴り響く主旋律に、優しく響くピッチカートが心地良い。



最後の旋律を弾き終わると、私の意識はそこでプツリと途切れた。






「司、ライン取るから補佐して。」

「了解。」

透は蒼生の呼吸を確かめると、シャツの袖をまくって脈を取り始める。

「安心して、ボクはこうみえて医大生なんだ。免許はないけど救命の資格も持ってるし、心配しなくて良い。」

慣れているとでも言うように敬人に声を掛けると、透はてきぱきと状況を判断して指示を出していく。

敬人は弾き終わり膝から崩れ落ちる蒼生を、すんでの所で客席から走り飛び、抱き留めたのだ。一瞬以前の長距離走のようになっているかと思ったが、蒼生は敬人の腕の中で静かにひとしずくの涙を流しているだけだった。

「とりあえず、バイオリンは預かるね。君は…」

「蓮巳敬人だ。この学院の生徒会副会長をしている。」

「俺、桜井薫。宜しくね。」

そういうと薫は蒼生の手からバイオリンを抜き取ると、自分のジャケットを脱いで蒼生の身体にそっと掛けた。

敬人は思わず飛び出してきてしまったが、舞台上で蒼生を抱きしめているのに何となく居心地が悪くなり床に下ろそうとした。しかしよく見ればいつの間にか蒼生が敬人の服の裾を掴んでいたのだ。
うっすらと残る意識の仲で、彼女は一体誰のことを思い袖を掴んでいるのかと思うと、敬人は複雑な心境にならざるを得なかった。

そんな状況を見た英智は、自ら舞台に上がり透に自己紹介すると、2、3言葉を交わした。そして観客席に向き直ると、歓迎と慰労をこめて立食パーティーを開くから、ガーデンテラスで準備をして欲しいと見に来ていた観客達に告げた。蒼生が目覚めたとき、寂しくないように。何より罪悪感に苛まれないよう英智なりに打った手だった。

敬人が蒼生を保健室へ運ぶ道中、六花と英智、そして零がそれに同行した。道中、六花は英智から夢ノ咲学院についての説明を受ける。

敬人が蒼生をベッドに横たえるのを確認すると、透はカーテンを閉める。恐らく念のために補正やらウィッグやら外しているのだろう。ほどなくしてカーテンの内側から出て来ると「すぐ目が覚めるよ」と告げ、敬人と英智、そして零の方を向いた。

「とりあえず、自己紹介自己紹介!ボクはサブリーダーの桜井透。今は医大生でこの楽団の最年長だよ。」

「俺は桜井薫。イギリスに留学してたから十九歳だけど、まだ高校三年生なんだ。」

「僕は橘司。大学二年生。透と同じ医大生だよ。よろしくね〜。」

「俺は橘嵐。大学一年だ。」

「俺は桐島秋。蒼生と同じ18歳の高校三年生。イギリス育ちだけど今は日本にいるんだ。よろしく!」

「最後に私は桐島春です。楽団の最年少で、高校二年生になります。兄と同じで、イギリス育ちですが今は日本におります。」

六人はそれぞれ丁寧に挨拶をするので、そのたびに三人は会釈や握手を代わる代わるした。

「僕は天祥院英智です。高校三年生で現在生徒会会長をしております。」

「俺は蓮巳敬人だ。同じく高校三年生で副会長をしている。」

「朔間零じゃ。留学のため一年留年しておる故、歳は19になる。ところで…蒼生は18歳なのかの?本人がここに来たときは17だと言っておったが…。」

零の疑問を至極当然そうに聞いた透は、壁に掛かっていたカレンダーを指さした。

「俺たちが来た時間から…つまりこの世界は蒼生がここに来てから3ヶ月余り経っているね。蒼生はここにいる間に誕生日を迎えたんだ。だから来た当初は紛れもなく17歳だったはずだよ。」

「そんな…なぜ言わなかったんだ。」

敬人が愕然とした表情を浮かべた横で、春は悲痛な顔で答えた。

「そういう、人なんです。自分の事に鈍いというか、自分は大事にされなくて当然みたいに思うところがあるようでして…」

「そうだね。どちらにせよ、元の世界では誰も自分の誕生日を祝うことがないと当然のように思っていただろうから、ここでも同じように考えたんじゃないかな。」

秋はため息をつくと、春と同じように沈思してしまった。嵐はそんな二人の肩を励ますようにぽんと叩く。

「蒼生の家は、誰もが知る有名企業だ。だが跡取りでないアイツは両親や友人から一切見向きもされず育った。たまに仲の良い友人が出来ても、最後は蒼生の家の権力が怖くなって離れちまう。もしくは利用できないと分かって捨てられる。」

「颯は…蒼生の兄貴はそんな現状を打開しようと、楽団を立ち上げたんだよねぇ。実際俺たちはみんなそれぞれ家の事情で自由が限られている。颯以外のメンバーはみんな次男以降だから、蒼生の受けていた仕打ちを痛いほど味わったしねぇ。」

司はそう言いつつも、声と顔には先ほどまで舞台で見せていた明るさがなかった。ここへ来てからの態度や口調から考えると、いかに厳しい現実だったのかが伺えた。

「なるほどの…確かに嬢ちゃんは始め、拾われたばかりの野良猫のようじゃったなぁ。今でもたまに突拍子のない行動を取ったかと思えば、なるべく穏便に済ませたいが為に何かあっても黙っておることが多い。」

「ちょっと待った…。なるほどね。君たちは蒼生が女性だと知っているんだね。」

透が「他には?」と問うと、英智は蒼生が表向き男子として生活しつつも、その生活が滞りなく営まれるよう手助けしていた人間が複数人いることを明かした。始めは複雑な顔をしていた六花だったが、英智の説明を受け入れ、丁寧にお礼を述べた。

「そうしたら、ここは閉じてる必要はないわけだ。」

そういうと司は蒼生と隔てていたカーテンを開ける。案の定、そこにはウィッグを外されありのままの姿で眠る蒼生がいた。蒼生はカーテンが開く音に気づいたのか、顔をしかめて身じろぎをした。

「…!気がついたか。」

まだ意識がはっきりしないのか、半分目を開けた蒼生はぼーっと虚空を見つめている。心配になった敬人は枕元に駆け寄るが、もはやその光景に対し既視感を覚えた。

「俺が誰か分かるか。」

「…副会長。」

「全く…何度言えば分かる。名前で呼べと言ったはずだ。度し難い。」

「…蓮巳さん。じゃなかった、敬人さん。」

どうやらジョークを言うだけの元気はあるらしい。敬人がほっとしていると、透もベッドサイドに立った。

「お目覚めかな?姫君。ショックと過労でちょっと気を失ったみたいだね。でもたいしたことないから、ちゃんと食べて休めば問題ないよ。」

そう言って透は手早く手動の血圧計を腕に巻いて数値を測りだした。

「ここの世界のことは、みんなから聞いたよ。蒼生が3ヶ月ほど送ってた日々もね。」

「全く、あんまり無茶すんじゃねぇぞ。ご令嬢が急に普通の生活ならまだしも、アイドル学校…しかも野郎ばかりの環境になじめるわけがねぇんだから。」

嵐が声を掛けると、蒼生はほっとしたように微笑んだ。透は血圧計を外すと、蒼生の背中を抱きかかえるようにして上体をそっと起こした。

「…ごめんなさい。」

「何に謝ってるかわかんないけど、とりあえず無事で何より何より。」

「ねぇ、みんなこっちの世界に来ちゃったけど…これからどうなるの?」

「酷な話だけド、彼らがいるのは夜明けまでだネ。一度に沢山来たシ、今回の魔法はシンデレラと同じサ。」

振り返ると夏目君が保健室のドアをあけて入ってきていた。


「宴の用意が出来てるヨ。子猫ちゃん。」



39 夢の先には…(最終話)



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