・夢の先には…

□30 アルバイトしよう!
1ページ/1ページ


それからというもの、日々はあっという間に過ぎ去り、いよいよアルバイトを始める日が来た。鬼龍さんが作ってくれた衣装を身にまとい会場へ向かうと、鬼龍さんは最後のチェックをしてくれる。

「良さそうだな。苦しいとか、どこか直して欲しいところはないか。」

「大丈夫です。素敵な衣装をありがとうございます。」

お礼を告げると、鬼龍さんは満足そうに頷いて背中を叩いてくれる。

ペダルは踏みやすいように、黒い革靴。白のシャツは襟が少し大きめで首回りにゆとりを感じられる。タイはクロスしてピンで留めるもので演奏中首元やタイが気にならないようにと配慮してくれた。ジャケットとワイシャツは袖が鍵盤に引っかからないように七分丈ほどになっている。ジャケットとスラックスは無地だったが、ベストはチェック生地になっている。こういう遊び心がある物を着られるのはなんだかくすぐったい。

スリーピース自体を着るのは初めてだったので少し緊張したが、そこは鬼龍さんだ。袖を通すと、ピッタリと身体に寄り添うようになじんでくれたため緊張はすぐに消えた。

「いい男に見えるぜ。あとは好きに弾きな。」

鬼龍さんの手に送り出され、一度だけ頷くとピアノの元へ向かう。途中、会長や副会長、そして弓弦君の姿が見えた。そして恐らく心配だったのだろう、真緒たちTrickstarも来ていた。

アルバイトの内容は、お昼か放課後、ガーデンテラスにあるピアノでBGMを演奏するという物だった。BGMといっても、食事や場所に相応しい曲ならなんでもいいと言われたのだ。おまけに提示されたお給料はなかなかに高額だった。

提示された直後、「こんなにいただけません」と抗議するものの、会長からは「その金額に相応しい演奏をしてくれるようにという意味も込めているんだ。」と言われ、押し黙るしかなかった。

とりあえず、今日は初日だ。なるべく無難に済ませたい。お辞儀をするとぱらぱらと拍手が聞こえた。


***


「ねぇ、泉ちゃん!あれ見て!」

「へぇ…蒼生じゃん。」

泉と嵐の視線の先には蒼生はガーデンテラスでお洒落なスリーピースを着てピアノを弾いている。そしてよくよくみれば、何人かの生徒がお昼を食べているようだった。

「はっ…ゆ〜むぐっ!ちょっとぉ、なるくん何するの!チョ〜むかつく。」

「泉ちゃん、静かにしないとつまみ出されちゃうわよ!」

あまりに正論だったため、泉は言い返せずイライラが目に見て取れる。しかし騒げないという点を逆手に取れば今日こそゆ〜くんに逃げられないのではと思うと、ガーデンテラスへと足を向ける。

(「ゆ〜う〜く〜ん。お兄ちゃんとお昼たべよっか〜。」)

(「いっ…?!」)

案の定、真は泉の突然の登場にうろたえる。しかし蒼生が演奏中である上、ここには生徒会の面々も揃っている。コトを荒立てたくない真にとってはおとなしくしているしかなかった。

(「アタシもご一緒してもイイかしら?」)

(「おぅ、せっかくだし一緒に食おうぜ。」)

二人はTrickstarと同じ席につくと、食事を始める。だかこんな空間にいたためしがないため、どんな風に振る舞っていいのか分からずちらちらと周囲の様子を窺う。Trickstarの面々も同じようで、緊張した面持ちで昼食を取っている。

「あの…」

丁度曲を弾き終えた蒼生が声を発すると、六人はびくっと一斉に肩を揺らす。

「いや、あの、そのですね…鑑賞会ではないので、普段と同じようにお話しながら召し上がってください。緊張せずに。楽しく食べて楽しい時を過ごしてもらうのが、俺の仕事なので…。」

蒼生が申し訳なさそうにシュンとしている様子をみるなり、英智はすかさずフォローの声を掛ける。

「素敵な昼食時を過ごせて、僕はこの仕事を頼んで良かったと思っているよ。それにみんなが静かにしているのは蒼生君の演奏が聞き惚れてしまうほどいい演奏だということだと思うよ。あまりに気せず、好きに弾いたらいい。」

「俺の方こそ、堅苦しい曲が多いみたいですみません。初日なので、その辺は大目に見てください。」

ぺこりと頭を下げ、再びピアノに向かう。

「ああ、そうだ。」

独り言を呟いたかと思うと、急に立ち上がって弾き始める。

「わー!すごいすごい!!なんか楽しそうな曲だね!」

「あぁ、これはジャズ…か?」

「これはエンターテイナーという曲じゃのう。」

スバルと北斗が声のした方を振り向くと、零が買ったばかりのカツサンドとトマトジュースを日陰の席に置き、いとおしそうに蒼生のことを見つめていた。

「珍しいな。朔間さんが昼間に出て来るなんて。」

「愛し子の様子を見にのう。それに昼時で腹が減っておったのもある。」

零は優雅に座ってカツサンドをほおばりながら、何とか聴衆を楽しませようと必死になる蒼生に目を向ける。ジャスや即興、アレンジは不得意だと漏らしていたことを思い出すと、今の行動はなかなか勇気のあるものだ。

2曲目はさすがに疲れたのか座ったものの、メープルリーフラグを演奏する。先ほどよりも難易度が高いせいか、額にはうっすらと汗が滲んでいるのが見てとれる。

「人を喜ばせたいと思う気持ちは、アイドルもとい表現者にとって大事じゃからのぅ。」

曲の終わりと同時に、零が立ち上がりBravo!と声を掛ければ、蒼生は一瞬はっとしたものの、すぐに零の方を向き笑顔を返し小さく手を振る。

「笑ってる…!ぶ、ブラボー!」

「あぁ、笑ってるな…。蒼生もかつての俺と同じだと思っていたが、違ったようだ。」

「ブラボー!いいね!もっとキラッキラの笑顔が見たいなぁ!」

「蒼生は、笑わない訳じゃないんだ。嬉しいときはちゃんと笑う。今は、嬉しかったんだろうな。自分のしたことがこんな風に認めらてもらえてさ。」

Trickstarが零と同じように声を掛けながら拍手を送ると、蒼生はちょっと照れくさそうにしながらも同じように笑顔を返したのだった。

英智や敬人、弓弦も同じように成り行きを見守っていたが、なんとか初日を乗り切れたことに安堵しつつ、拍手を送っていた。

「やっぱり僕の目は正しかった。この仕事、彼には向いてるみたいだね。」

「あぁ、そうだな。」

「大変良い物を聞かせていただきました。是非次回は坊ちゃまにもお聞かせしとうございます。」

和やかな雰囲気の中、初日の昼はこうして幕を閉じた。

***

「ってことが今日あったのよォ!」

嵐はもう毎度おなじみになりつつある練習前の時間を使って司や凛月に報告をする。

「鳴上先輩…!どうして、どうして司も呼んでくださらなかったのですか!お姉さまの曲を聞きながらlaunchなんて!しかも天祥院のお兄様までいらしたなんて!」

「あらあら。泉ちゃんとはたまたま一緒にお昼を食べることになって、その流れで偶然知ったのよォ。明日からもお昼か放課後、どっちかは演奏するみたい。」

嵐は今にも泣き出しそうな司をなんとかなだめる。

「ふぁあ〜じゃ、あの辺は蒼生の子守歌つきになるんだねぇ。なるべく安眠できそうな曲のリクエストでもしておこうかなぁ。」

「ま、でもあの場に王さまがいなくて良かったかもね。いたら今頃大変なことになってたかもねぇ〜。」

泉はスマホをさわりつつ、今日のことを振り返る。ゆ〜くんとご飯が食べられたのは最上の幸せだったが、なにより蒼生の音楽には引きつけられる物があった。

バレエの経験がある泉にとって、クラッシック音楽は一時期、切っても切れない関係にあった。それこそものすごく専門的ではないにしろ、聞いただけでいい物かどうかぐらいの判断は付くし、その辺の人たちよりは詳しいと自負している。

隣の音楽科ならまだしも、蒼生はアイドル科ではなかなかその音楽的才能を認めてもらえないだろう。否、認められる人物は限られるだろう。

せっかくの才能だ。この世界で慣れないことが多く戸惑っているであろう蒼生は、自分が守らねば。

「ふふふ…お兄ちゃんがちゃ〜んと見ててあげるからねぇ。」


泉の独り言はすぐ近くで巻き起こっている喧噪に届くことなく消えていった。



Next→31 あらしのひに



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ