・夢の先には…

□20 不本意な取引
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私は背中にじんわりと冷や汗が伝うのを感じる。
目の前では…というか背後では、茂みの奥から手が伸びてきていて、私の腕をしっかりと捕らえている。

恐る恐る捕まれた手の先をたどると、先日見た、同じクラスだという零さんの弟…Knightsの朔間君が座っていた。そう思った瞬間、朔間君は掴んだ腕をぐっと自分の方へと引っ張った。無論私は体勢を崩し朔間君に覆い被さるような格好になってしまう。

「ふぅん。女の子ってやっぱり軽いんだね。」

「先ほどから…何かの間違いだと思います。」

どこで知ったのか…ともかく平然を装い素知らぬふりをするしかない。掴まれた腕を払って体を起こそうとするが、なぜか体はくるりと半回転して朔間君に押し倒されるような体勢になる。

「朔間さん、申し訳ございませんが急いでおりますので、本日はこれで失礼致します。」

「りつ」

「え?」

「凛月って呼んで。苗字で呼ばれたくないんだけど。俺と兄者とを一緒にしないでよね。」

「凛月君、すみませんが少々力がお強いようで、肩が痛みますので起き上がらせてください。」

「やだ。」

そういうとなぜか私の足にごろんと頭をのせ、すうすうと寝息を立て始める。おまけにお腹にがっしりと両腕が巻き付けられているので全く身動きが取れない。

どうしたものか。というか彼は一体どこから情報を掴んだのか。零さんが言うとはとても思えない。もしそうだったとしても、事前に零さんから話があるはずだ。私はなんとか上半身を起こしてみるものの、周りが草木に囲まれているせいで人に気づいてもらえそうもない。



そのまま、凛月は日がとっぷり暮れるまですやすやと寝続けた。赤い瞳が開かれたころには、既に私の足はしびれきっていた。

「ふあぁぁ〜。女の子の足って柔らかくっていいねぇ。ねぇ、これからも俺に膝枕してよ。」

「お断りします。」

ふらつく足をなんとか踏ん張らせ立ち上がると、一刻も早く立ち去ろうと歩き出す。しかしまたもや腕をつかまれ、今度は膝からがくんと体勢を崩す。そしてそのまま後ろから抱きしめられるような体勢になってしまった。首に回された腕は一歩でも動いたら締められそうだ。

「すみませんが、もう時間がありませんので…」

「ねぇ、質問には答えないの?藤崎蒼生さん。みんな蒼生って呼んでるから、俺もそう呼ぼうかなぁ。」

耳にふ〜っと柔らかい息が吹きかけられ、意図せず体がびくっと反応してしまう。そんな反応が面白いのか、凛月は耳元でくすくすと笑っている。

「答えないなら、今すぐここで証明しようか。俺、人よりちょっと嗅覚がいいから匂いに敏感なんだよね。いま、生理中でしょ。始まったのは休んだ日の朝からだよね。」

そういえば真緒と鬼龍さんはこの間のことを誰にも言わないと約束くれた。しかし零さんはその日の放課後、すぐに私が生理だと気づいた。もし凛月の言うことが本当だとしたら、零さんがすぐ私の生理に気づいたのも納得できる。ともすればもうごまかしはきかないだろう。

「訳があってこのような様相をしておりますゆえ、どうか他言しないでくださいませ。」

女の声に戻し、ひっそりと告げる。その答えに満足したのか、凛月はようやく首に巻き付けていた腕を離してくれる。ようやく解放されたことに安堵しふっと息を吐くと、凛月に向きあう。

「このことを知っている人はわずかです。お願いですから、暴こうなどお思いにならないでください。」

「そ〜だねぇ。ま〜くんが困るのも嫌だし、とりあえず黙っておいてあげるよ。でも、そのかわり授業のノートと膝枕、よろしくね。」

「授業のノートは構いません。ただ膝枕に関しては授業時間外でお願いします。」

「ふ〜ん、まあいいや。でも、よりによってKnightsに入れたい新メンバーが男装だなんて、王さまには困ったねぇ。」

ま、俺は関係ないけど〜と呟くと凛月はすっくと立ち上がる。どうやら思っていたよりも背格好が零さんに似ている。

「ん。」

「なんでしょうか?」

差し出された手に何だろうと考えあぐねていると、凛月はめんどくさそうにしながらも私の腕をぐいっと掴み立たせる。ついでにズボンに付いた芝も丁寧に手で払ってくれた。

「Knightsだからね。女の子には紳士に優しくが信条。なにより俺、蒼生のこと気に入ったし。」

前言撤回。目を細めてニタリと笑う顔は、零さんとは全く似ていなかった。この人は、少し苦手だ。というかKnightsの人たちは、なんというかみんな考え方や発想が独特すぎてイマイチつかめない。

どうしてこうなってしまうのか。元はと言えば自分で蒔いた種だ。男装しての生活を選んだ時点でやはりアウトだった。よく考えれば分かる事なのに、どうしてあの時判断を誤ったのだろう。

「変な顔。どうしていつもそんなに悲しそうな顔なの。」

「…元々ですのでお構いなく。」

「可愛くないなぁ。この間の歌とかピアノも、みんな今にも泣きくずれそうな音してたくせにさぁ。」

そんなつもりは毛頭ない。歌はもちろん、あの日披露したものは短調もあるが重く陰るような曲はない。歌やダンスはまだ素人だが、クラシックは兄様を追いかけて毎日毎日練習に明け暮れてきている。演奏者は楽譜の奴隷である。そこから大きく脚色したり逸脱することは許されない。

もし、凛月のいうとおり悲しみが滲んでいたとしたら、今の私はただのピエロだ。



あれから私は毎日放課後になると音楽室でひたすら練習をする日々を繰り返していた。まるで今までさらってきた曲をさかのぼるように。


零さんはバイオリンを貸そうかと申し出てくれたが、人の楽器を借りて練習するのは零さんでも些か気が引けた。私の癖が付いてもよくないし楽器を共有するのは魂の共有だと、前に兄様から言われていた

楽器はもう一人の自分なのだから大事にしなければいけない。自分の体のように歌い奏でる為に楽器に魂を宿す。長い時間を共に過ごし持てる全てを捧げ、共に生きる。そんな考え方は私にもみっちりと染み込んでいる。

毎日同じ日々の積み重ね。それは昨日は今日だったか、今日は昨日だったかと見た光景に錯覚を覚えるほど、練習に明け暮れた。


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