・No one…
□#6
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メインテーマが決まらなくてイライラする日々が続く。何度も何度も映像を確認してみるが、人の気配が多すぎて集中というか……いまいち没入出来ない。
かといって映像を持ち出すわけにもいかず、フレーズを弾いてはボツにする作業を、1日に何度も繰り返していた。
流石におかしいと思ったのか、周りが気を遣って1日個室に1人きりにしてくれたが、何も変わらなかった。
最悪だ……。
どこかに行きたい。こんな……曇りと雨と霧ばかりのコンクリートの中にいたら息苦しくて圧死する。爽やかな、山から吹きおろす冷たい風の吹く草原に行きたい。湖があって、一面が青々とした草原に行きたい。
苦しい。
ダメだ……年々この映画の作業がキツく感じるようになってきている。いいものを作るために仕方ないと分かってる。この作品が好きで、楽しみにしてくれている人がいっぱいいるのも知っている。ただ……こんなに人が多いとどうしても無理だ。
こんなに知らない人間が出入りするところで、一日中スタジオに閉じ込められて作曲なんて無理だ。
第一弾の時はよかった。数人の、気心知れたスタッフと作った頃が懐かしい。
断りを入れてスタジオの外に出る。
もう今日はやめよう。
多分こんな苦しい気持ちじゃ、何も生まれない。
そもそも……苦しみの中から生み出した、そんな曲なんかが今回の映像に合うわけがない。
誰がどう見たっておかしい。
ただ納期は迫ってくる。
こういう時、タバコの一つでも吸えたら違うのだろうか。
残念ながら昨晩ワインをひと瓶空けてみたが、効果はなかった。
大和とは、結局来た日から毎晩同じベッドで寝てもらっている。夜中になると、淋しさと苦しさとでごちゃ混ぜになった感覚で涙が出そうになる。なんとか押しとどめるも、やはり無理があるのか眠れなくなってしまう。大和も疲れていると分かっていても、優しさに縋ってしまう自分が恨めしい。
「何やってんだか……本当。なんでこんなことになってるんだか」
1人空に呟いた言葉は、響くこともなく湿っぽい空気に溶けた。
どんな環境でも、自分だけの小さな世界を降ろして曲を書いてきたはずなのに、どうしてそれがここに来てさっぱり働かないのか。分からない。
一つ心当たりがあるとすれば、やはり良い環境に馴染みすぎたのだろう。
「はぁ……はは。あーあ、それは甘えだよなぁ。違う。違うんだよ。もっと何かあるはずだ…」
決めた。今からなら……明後日には帰って来られる。どうせできないのなら、もう抜けようが抜けまいが同じだろう。
花壇の縁から立ち上がってスラックスの裾についた露を丁寧に払い落とす。
スタジオに戻って明後日戻ることを伝えて、すぐに簡単な荷造りをする。
大和に簡単な書き置きを済ましてドアを開けると、息を切らして泣き出しそうな顔をした4人が並んでいた。
「朔 ……どこ行くんだ」
「……明後日戻る」
「朔、行かないでくれよ。ごめんな。朔も仕事があるのに、俺……朔にあれこれ頼りっきりで。朔に迷惑かけっぱなしで。出発前にあれこれしてもらった意味が今めっちゃ身に染みてる。でももう少し頑張るから、俺たちを置いて1人でどっか行かないでくれよ」
「朔……アナタは1人ではありませんよ」
「朔さん、私たちは貴方を信じています。だから貴方も私たちを頼ってください」
「朔……ごめん。毎晩苦しそうにしてるのは知ってたのに、何もしてやれなくて……でもこのままでいいなんて思ってない。今からでも間に合う。だから出かけるのは少し待ってほしい」
大和が手からギターケースを抜き取り、そのままそっと抱きしめてくれたのをきっかけに、涙が溢れてきた。
床に落ちるシミは、点々と広がっていく。
「朔……ごめん。辛かったよな」
「大和のせいじゃ……みんなのせいじゃない」
「それでも、多分俺たちみんな、朔に甘えてたし、朔のことがちゃんと見えてなかった」
「朔、もう我慢すんなよ。俺、朔にこの仕事振ってもらえてすっげえ嬉しかったんだ。だから、ちゃんと朔と作っていきたいって気持ちで仕事すればよかったって後悔したんだ。慣れない環境で、普段使わない言葉と習慣にいっぱいいっぱいでさ。ちゃんとしなきゃってわけわかんないものに囚われてた。本当ごめん」
「三月は何も悪くない。よくやってるって、スタッフが褒めていたよ」
「朔、座りましょう。今温かいお茶を淹れます。少しリラックスして、楽しいことをしましょう」
「ナギ、悪いね。それこそナギにはあまり構えなくて……君は大丈夫だって思ってしまって……大和を付けたのに、結局大和はこっちで仕事してることの方が多いくらいだ……」
「No problem!ヤマトとイオリは良い作品を作る一員です。そのために力を尽くしに来たのですから、朔は何も気にしなくて大丈夫ですよ」
「そうですね。六弥さんの言う通りです。ところで……朔さんは書けない理由が分かったから出掛けようとしたのですか?」
「違う……と言えたらいいんだけど。なんていうか……ここ、現場が息苦しくて。昔もこの国に少し滞在したことがあったんだけど、割と環境が合わないんだ。だから……昔来た時に療養したところに行こうかなと思ってた。そこに行けば……もしかしたらって……」
ナギの入れてくれたハーブティーを口にすると、ぽろっとまた一雫涙が溢れた。そのままポロポロとこぼれ続けるのを袖口で拭おうとしたら、ナギがハンカチを差し出してくれた。
「あ……あ、あ……っ」
「朔、大丈夫だから」
大和の手が、背中に置かれた瞬間、その温かさにじんわりと体の強張りが緩んでいく。
「っ……は、……ぅ……」
「うん、朔……よしよし、大丈夫。よかったよ泣けて。ずっと苦しそうだったのに、涙のひとつも溢さないから心配してたんだ」
「え、大和さんの前でも泣いてなかったのか?」
「朔は……俺の前でも滅多に崩れないよ」
「朔 は人の笑顔が好きです。ですが貴方が幸せであることは、私達の幸せでもあるんですよ」
「朔さん、貴方は大人になりすぎなんですよ。それに大人だからって完璧である必要はありません」
みんなの言葉が、じんわりと胸に染み込んでいく。乾いた大地に優しい雨が降って、少しずつ呼吸ができるようになっていく。身体を二つに折って、まるで生まれたての子供のように声を上げて泣いた。
いつから、息をしていなかったのだろう。しっかり身体の奥に酸素が行き渡る感覚が懐かしかった。
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