・No one…
□二回目のキス
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「水族館のBGM?」
「ああ、リニューアルオープンにあたってBGMを依頼したいって。どうする?」
万理が差し出してきたのは、都内にある水族館のパンフレットだった。とりあえず手にとってぱらぱらとめくってみるが、目は滑るだけで何も拾おうとしなかった。
「受けていいよ。ただ…見たことのない場所の曲は作れない。」
「そう言うと思って、来週の夜に下見の時間を取ってもらったよ。」
万理と仕事をするようになって、新しく分かったことがある。万理はアーティストとしての才能だけじゃなく、マネージメントに関しても素晴らしいほどの才能を持ち合わせているということだ。
オーバーワークをして以来、万理はこちらが抱える仕事のバランスと質がうまく保てるよう気を回してくれていた。
最近はその素晴らしい管理体制にすっかり甘え、やりたいことをやりたいようにして作曲していた。
万理が準備しているのを待つのが退屈に感じ、座っていた椅子をくるっと一回転させてみる。
何となく面白くなり、そのままムダにくるくると回っているとだんだん気持ち悪くなってきた。
「朔、子供じゃないんだからやめろ。吐いても知らないぞ。」
「面白いんだよ。三半規管が悲鳴上げるこの感覚。ああ、この感覚を曲に取り入れたらある意味中毒性があっていいかもなぁ。」
「作曲家ってどうしてこうも変わったヤツばかりなんだか…はぁ。」
「ねぇ万理。先方の希望は?フロアの広さと音響機器の種類は?何平方メートルにいくつスピーカーがある?床材の種類と壁の材質は?一番大きな水槽のある部屋の天井の高さは?一番水槽が多い部屋の広さは?一般的な滞在時間と来客の年齢層は?時間別でも頂戴。」
「はいはい、今から説明するから。」
万理に根掘り葉掘り聞きたいことを聞き、ある程度の構想と着想を得る。
当日その場で仕事をするので完全な人払いが必要なことを伝えたとき、ふと良いアイディアが頭をよぎる。
「え?水族館に行くのか?俺たち全員で?」
「そう。万理やマネージャーも含めて全員でね。2時間水族館を貸し切りにしてもらった。作曲の仕事のついでで悪いけど、皆で行こうよ。」
「まじで!サクっちやるぅ!おれ、ちょーたのしみ。」
「よかったね環くん!朔さんありがとうございます。でも、作曲の邪魔になりませんか?」
「問題ない。スコアを書くのに別行動を取るけど、みんなは常識の範囲内で好きにしてもらって構わないよ。」
「やったー!俺、子供のころ家族で一度だけ行ったんだ!天にぃと手繋いで、すごく楽しかったなぁ。」
「Hm,ここなの限定グッズがあると思うのですがゲットできるでしょうか?」
「六弥さん、朔さんを困らせないでください。お土産はまた別の時に買いましょう。」
「イオリ、ろっぷちゃんが海の生き物とコラボした限定ストラップありますよ?」
「ぐっ…。」
「こらこら、土産物は各自リニューアルオープンしてから買えよ〜。」
よく考えると、IDOLiSH7のみんなには日頃生活を支えてもらっているのに何もお礼が出来ていなかった。多分曲を書くことが一番のお礼にはなるのだろうが、アイドルである彼らが人目を気にせず、息抜き出来る空間を提供するのもいいと思った。
ひとまず、水族館の話題で盛り上がる皆を横目で見つつ、内心ホッとした。
水族館が嫌いだとか苦手な人がいなさそうでよかった。
大和も、心なしか楽しそうに笑っていた。
本当なら、二人きりで行くべきなのかもしれなかったが…そこまでの勇気はまだなかった。
「わ〜すごーい。魚がいっぱい!あっ!こっちにもいる!」
「七瀬さん、迷子にならないでくださいよ。」
「おー、この鰯の群れどれもめっちゃ丸々してるな。流石水族館。管理が行き届いてるんだろうな。」
「鰯か〜。なめろうにしたら美味いだろうな。日本酒のいいアテになるし。」
「ヤマト、こっちのイカはどうですか?」
「そーちゃん!見て!大きいエイ!」
「ほんとだね。生のまま切るとアンモニア臭がすごいって言うけど、食べると美味しいらしいよ?」
意外にも…なんというか、水族館の魚を見て美味しそうだという話題が飛び交う。
まぁ、楽しいなら何でも良いかと思いつつ、彼らの興を削がないよう万理と小声で打ち合わせする。
先に全部のフロアを見て回ると、一番大きな水槽の前の床に座った。
持って来たギターを取り出すと、まずは思うままに弾いていく。海の中に音が流れているとしたら、きっとたっぷりフェルマータが使われているだろう。音はあまり多くない方がいい。
いいフレーズを拾ってはこまめにスコアに書き留めていく。
水族館の入り口と真ん中、この巨大水槽のフロアと出口付近で、曲を変えるのもいい。それぞれのフロアの曲が少しずつ混ざるように工夫すれば、いけるだろう。
日中はピアノにして夜はクラシックギターやエレクトーンのものに切り替えてもらうのもいいなんてあれこれ考える。
あー、バイオリンも良いかもしれないなぁ。
大和は…今日、どんな気持ちでここに来たのだろう。
いま、楽しい時間を過ごせているだろうか。
忙しい日々とは別の世界のように思えるこの青い空間で、息抜きが出来ているだろうか。
さっきみたいに魚を見ては美味しいお酒が飲みたい…なんて思っているかもしれない。
一緒に、歩いて見られたら…もっとよかったのかもしれない。
大和も、そう思ってくれるだろうか。
そんな、温かくも切ないような気持ちになった。
いつの間に、指は水族館のBGM作成という仕事をほっぽり出していた。
あの日、大和の部屋でしたキスを思い出す。
大きい掌に包まれるようにして眠った時間は、残念ながら覚えていない。
ドキドキしていたはずなのに、気づいたら朝になっていたからだ。
それでもいつも通り、朝日が昇る頃に目が覚めた。そっと起き上がろうとしたら、切ない声でいくなと言われた。
朝特有の、掠れた声。
あの声が、また聞きたい。
大和の、高い体温が恋しい。
大和の香りに、すっぽりと包まれたい。
あのたくましい腕に、抱きしめられたい。
一度しか知らないはずなのに、もう何度も思い出しては胸がいっぱいになって苦しくなる。
こんなにも好きなのに、この思いをどうしたらいいのか、さっぱり分からなかった。
ちょうどタイミングよく音が途切れたところで目を開けると、すぐ隣で大和がこっちを見ていた。
「まだ弾く?」
「…っ、び、びっくりした…。」
「はは、ごめんごめん。朔でも驚くことあるんだな。」
「集中してたからね。何かあった?」
「いや?なんもないけど、どんな曲になるか興味があったから。途中から随分切なくて甘い音色だったな。最初の方のも好きだけど、俺は後半の方が好みかな。」
大和を、思って弾いたから。
なんて、口が裂けても言えそうになかった。
いや、言わなくても、伝わってしまっているかもしれない。
いくら館内が薄暗いとはいえ、水槽の前は明るい。
顔に体温が集まり、赤くなってしまっていることは、とっくにバレているだろう。
それでもごまかしたくて、ギターを床に置いてみるも、それ以上どうしたらいいか分からず、すぐに手持ちぶさたになってしまう。
なんて言ったらいいか分からず押し黙っていると、大和はそっと背中に手を回してきた。
「仕事中でも、こんぐらいなら許される?」
「も、もう、仕事は済んだから…。」
「んじゃ、せっかくだから俺と見てまわる?それとも…。」
控えめに、背中が押される。
その力を借りて目蓋を閉じると、唇がふさがれた。
離れたくなくて、目をつぶったまま手探りで大和の身体を探す。
何とか見つけた服の裾をぎゅっと掴むと、背中に添えられた手にぐっと力が入り更に大和の方へ引き寄せられる。
苦しい。
酸素が欲しい。
そう思うも、離れたくない気持ちの方が勝ってしまう。
ぎりぎりまで我慢するも、どうしても絶えられなくなり一瞬だけと思い唇を離す。
水の中から顔を出したみたいに息を吸うも、すぐに大和の唇が追いかけてきて再びふさがれる。
「ふ…っ、やまと、くるし…。」
「鼻で息して、吐息は、全部俺に頂戴。」
「は、っ…ふ…ぁ、ん…。」
「上手。しかも色っぽい声。」
「は、ずかし…やまと、まっ…っぁ…」
「あんま煽んないで。俺、余裕ないから。」
「…え?」
ぎゅうっと音がしそうな程、きつく抱きしめられる。
大和の鼓動が、伝わってくる。
早くて、強くて、あの日の晩のようだった。
「…その、さ、あの日から、ずっとまたキスできるタイミング狙ってたんだけど、俺が忙しくなったり、朔が忙しかったりでタイミング掴めなくてさ。だっさい話、考えすぎて余裕がなくなった。今日だって朔は真面目に一人で仕事してるから邪魔したら悪いと思ってたんだけど、生の演奏聞いてたら刺激されて、我慢できなくなった。そんぐらい…後半の曲は良い曲だった。やっぱり世間から天才って呼ばれるだけのことはあるわな。」
「えっと…ありがとう。」
「二回目のキスがしたいって思ってたの、俺だけ?」
いたずらっ子みたいな顔をした大和に、もう一度キスをされる。
今度は、ちょっと触れるだけの可愛いキスだった。
それでも離れるとき、湿り気のあるリップ音が鳴らされたことに、どきりとしてしまう。
「朔、さっきの曲、俺のこと考えてたって思っていい?」
「そうだよ。初めてキスして、大和と眠ったときのことを思い出してた。」
「そっか。あの曲、是非採用して欲しい。」
「気に入った?」
「アレ聞いたら、どんなカップルもキスしたくなるって。」
「ふはっ、そっか。じゃあそういうタイトルの曲にしよう。」
ギターをケースにしまい、書いたスコアをファイルに入れる。
念のため録音をしていたことをすっかり忘れていたが、あとで大和と二人で聞き返してみようとそのままデータを保存した。
ギターケースを持って立ち上がると、大和はスコアの入った鞄を持ってくれた。
代わりに空いた手を差し出すと、海から歩いて帰ったあの日みたいにどちらからともなく指を絡めあった。
「出口までだけど、デートしよう。」
「う、うん…。うれしいよ。ありがとう。」
「そうやって恥ずかしがってるの、可愛いよ。そうだ、今夜、また一緒に寝てみる?」
「うん、そうしたい…。大和さえよければ。」
「お兄さんは大歓迎です。なんなら毎晩でもそうしたいくらいなんだけど。」
「それは…ちょっと、心臓が持たないかも。」
あはは、と二人分の笑い声が水槽に吸い込まれていく。
無数の魚だけがいる海の底のような世界で、何度目かのキスをする。
もう、大丈夫だ。
今度からは、こっそり隙を見て、素直に求めてみよう。
足りなくなる前に、欲しいと言おう。
思い出だけで生きるのは無理だと、今日初めて知った。
だから、これからもたくさん今を見つめていこう。
「朔と大和さん、うまくいったかな?」
「そうだね。二人っきりで水族館なんてなかなかないだろうから、恋人同士の素敵な時間を過ごしてるといいな。」
「お二人とも、普段の生活でも私たちや相手に対して必要以上に遠慮していますからね。そうでなくともなにより二階堂さんはアイドルですし、朔さんは作曲家としてお互いおおっぴらに二人で出歩くのは難しいでしょうから、いい時間になったのではないでしょうか。」
「そうだよな〜。ただせっかく恋人同士になったのに、二人とも見る限り甘くもなんとないし、その気配さえ一ミリも感じさせないもんな。ま、俺たちが寮にいないときは知らないけど。愛や恋にも色んな形があるからあんまりお節介するのもアレだけど、今回はナイスアイディアだったよな。」
「ミツキ、ちっともよくありません。あの二人はもっとハグもキスもすべきです。愛しい相手が目の前にいるのです。二人は毎日素直に、オープンになるべきです。」
「ナギっちはいつもみんなにハグしてるじゃんか。」
「今度オープンしたらさ、どんな曲が出来たか聞きに来ようよ!お土産も欲しいなぁ。天にぃと色違いのイルカのぬいぐるみとか、欲しいなぁ。」
「そうだね、またみんなで来よう。最近はありがたいことに忙しいけど、息抜きも必要だよね。」
「そーちゃんは、作曲に行き詰まった来たら?おれも、いっしょにいく。」
「イオリ、今度こそ限定グッズを手に入れましょう!」
「わっ、私は別に…。」
「一織〜、お前も素直になれよ!」
あはは…と優しい笑い声が夜空に響く。
こうして無事に水族館のでのミッションを終えた6人は、2人が出て来るまでゆったりとした余韻に浸っていたのだった。