・No one…
□深夜1時のグラビティ
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ああ、くたびれた。
こんな時に思い出すのは、果てなく続くスカイブルーの空と青々とした草原だ。
しかし今いるのは、コンクリートに囲まれた箱の中だ。
ひとまず気分転換がいると思い、少しでも広いリビングへと逃げた。
酒を飲むか水にするか悩みつつ、結局ワインにシナモンを振ってレンジで温めた。
すると意外な人物が姿を現した。
「深夜にキッチンドリンカーですか。」
「違うよ。息抜き。君らの曲が書き終わらなくてね。一織こそ夜更かしだね。」
何か飲む?と聞けば「水で良いです」とそっけなく言われた。
「世界が望む天才作曲家でも、苦労するんですね。」
「天才なんかじゃない。このあいだ見ただろう?ボロボロになってようやく生み出せる曲もある。魔法のようにポンポンとは出てこないんだ。」
「分かっています。朔さんの書く曲は貴方の愛であり、経験と努力の証でしょう?ボロボロになられては困りますが、それだけ曲に込める愛が桁違いなのは私たちが知っています。貴方の曲は作られる過程は過酷ですが、完成品は誰もが夢見る一級品です。」
「…信じてるものがなければ、曲なんか書けないよ。」
「今日は高校生なのにって言わないんですか。」
「なに、言って欲しいの?」
「いえ…。」
一織のなんとも言えない顔を見て、はっとする。
いくら疲れているとはいえ、子供相手に何をしているんだと思いため息が漏れる。
「一織はしっかりしてるから、つい高校生だと忘れてしまいそうになるんだ。だから忘れないよう自戒の念を込めてあえて高校生って言ってたんだ。でも今は…すっかりすっぽ抜けた。深夜はどうも調子が狂う。ごめん。」
「いいですよ。貴方に一人前の…一人の人間として接してもらえるのは嬉しいですから。」
ちらりと見遣ると、一織は疲れた顔をしていた。
そういえば試験が近いと言っていた気がする。
「まだ勉強頑張る?」
「あと、少しだけ。」
「明日学校は?」
「あります。」
それでもまだ続けるのか。
彼にはきっと彼なりの譲れない物があるのだろう。
それならと、小鍋に牛乳を入れ、温めながらココアを溶かすと、数滴赤ワインを垂らして更に加熱する。
そういえばうさぎの形をしたイチゴ味のマシュマロがあったはずだ。
「どうぞ。」
「私は未成年ですから、飲酒は出来ません。」
「チョコレートボンボンと一緒。数滴なら問題ない。どちらにせよ温めて飛ばしてるから、アルコールも感じないはずだ。身体を温めて。脳には糖を。早くしないと、可愛いうさぎがとけてなくなるよ。」
「…いただきます。」
ふーふーと冷ましてココアを飲む一織は、年相応な気がした。
「ゆっくり大人になりな。どうせ大人の時間の方が長いんだ。大人になると甘えたくても色んな事が邪魔してそうはいかなくなる。今の君がそれを背負うことはない。もし背負っても、たまにこうして下ろしな。」
「貴方も…朔さんもそうでしたか?」
「ん?なにが?」
「早く大人になって、後悔しましたか?」
「後悔はしていない。でも、もうその時間を永遠に手にできないんだと思うと、惜しいことをしたなとは思う。だから一織はもう少し子供の時間を大切にしな。」
「…はい。」
一織がゆっくりココアを飲む横で、同じようにホットワインを飲む。
そういえば各地で年をごまかしまくっていたこともあって、一織の年にはちょこちょこ酒に手を出していたなぁなんてことを一人思い出す。
「…ごちそうさまでした。」
「おそまつさま。だっけ。いい言葉だよね。一緒に洗っておくよ。」
「いえ、それくらいはやります。」
「甘えなさい。気になるなら、今夜のことは内緒にして。二人だけの秘密のお茶会ってことで。」
「朔さんは私の事を甘やかしすぎですよ。」
「いいんじゃない。さっき一織に甘えたし、おあいこだよ。」
そう言うと、一織はぺこりとお辞儀をして部屋に帰っていった。
あの日以来、一織はテスト前に夜更かしする時、作曲の進捗を聞いてくるようになった。
そしてそのたびに秘密のお茶会は開かれた。