・No one…
□6 Unknown
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6Unknown
千直伝のレシピと、三月や一織が甲斐甲斐しく世話を焼いたおかげか、すぐにとは言えなかったが朔は日に日に回復していった。
時々、環や陸が心配そうに三月や一織を手伝った。環や陸は何か感じるものがあったのか、何をするでもなく傍にいることもあった。
ナギはと言うと、時々ノースメイア語で話相手をしていた。なにやら難しい話をしているらしく、二人だけの時は二人とも深刻な顔をしていることが多かった。
そして壮五は、朔が作業途中だった作曲を手伝ったときのお礼にと、元気になってから作曲を教えてもらえることとなった。
大和はというと、寮内に誰もいない時や、みんなの寝静まった夜中にそっと様子を見ていた。
時々昼に寝すぎたために眠れなくなっている姿を見かけた時は、白湯を運んだり少し話相手になったりもした。
そして倒れてから数日後、大和は昼間から朔の部屋を訪ねた。
「よ。具合はどうだ?」
「ありがとう、もう大分良いよ。」
朔は読んでいた新聞を畳むと、大和に座るよう促した。大和はすっかり定位置になりつつあった机の椅子に腰掛けると朔の方を向いて座った。
「大和、ありがとう。昨日三月に聞いたよ。大和が万理を呼んで、千斗も呼んでくれたって。」
「ああ、まぁあんなことになってたしな。お前さんが死んでなくて何よりだったよ。今後はあんまりお兄さんをヒヤヒヤさせないこと。それと、困ったことがあったらいつでも相談すること。…とは言ってみたんだけど、実際朔って年いくつ?」
「さあ?」
「さあって…中学出て何年とか、数えない?」
「大和は数える?中学出て何年?」
「数えないわ。こりゃ失礼。」
「ふはっ、いいや、いいよ。」
二人でいるときは、こうして声を出して笑うことも増えてきた。
朔は自然に笑うとき、少しだけ鼻の頭に皺が寄る癖があった。
この癖は、恐らく自分だけが知っている。人前では…リビングでは見せたことのない顔だからだ。根拠もないような確信だったが、そう思いたかった。
「年なんて、あんまり関係ないと思うんだ。日本人は気にするよね。」
「まあな。そういうお国柄だし、芸能界は上下関係厳しいしな〜。」
「大変だよね。あんまり肌に合わないんだよ、そういう考え方。もちろん先人は敬うけどね。」
「じゃぁお兄さんも敬ってもらおうかな。」
「そうだね。恩人だから、拝んでおこうか。」
「おいおい、そりゃないぜ。」
恐らくこの間の身の上話からすると、本当の誕生日を知らないかもしれない。
さらに言えば、引き取ったというじいさんがきちんと適齢期で小学校に入れたかどうかも怪しかった。全寮制エスカレーターの学校に、試験も受けずある日突然ポンと入れることなどそうそうない。
すると…朔は自分が何年間生きているか、本当に知らないのかもしれない。見えざる力と金と権力に、色々が捻じ曲げられている可能性は十分ある。
ひとまずあまり突っ込んではいけない個人的な部分の地雷は避けるべきだろう。世間話になりやすいよう、軽い調子で話題を振る。
「そういやお前さん酒は飲めるの?」
「あるときから自然にね。煙草も吸ってみたけど、あれは全く駄目だった。」
「へぇ、酒が結構いける口なら、今度飲むか。そういや年齢書くときはどうしてんの?」
「適当に。町中で服屋に入って、店員に「いくつに見える?」って聞いて、言われた年より少しかさ増しして書く。」
「なんでまた?」
「お世辞かもしれないし、なにより日本人は幼く見える。」
「なるほどねぇ。んで、女の子だっていうのを隠してたのは?」
「隠してない…と言ったら嘘だけど、女に見えると色々面倒でね。どちらでもないしどちらでもあるように見せる事が、習慣化していった結果だよ。それにあまり情報を与えすぎると、すぐばらして拡散するヤツがいるからね。名前が売れてからは、特に気をつけているんだ。さて、尋問は終わりかな?」
「尋問だなんてとんでもない。お兄さんの興味本位なインタビューな。それと、今日は珍しく昼間っから全員いるんで、ちょっと顔出してくれない?」
大和は一瞬、朔が嫌がるかと思ったが、朔は一言「わかった」と呟くとベッドから降りてすたすたとリビングへ歩いて行った。
リビングでは各自が自由に座っていたが、何かを察したのか、朔が部屋から出て来ると自然と集まってダイニングに座った。
「こんな格好のままで悪いね。今回は本当に、申し訳ないことをしたと思っているよ。」
「ううん、朔が元気になってよかったよ!俺、すっごく嬉しい。」
「陸、ありがとう。」
「えへへ。」
「あの、朔さん…」
「壮五、敬語も敬称もナシで普通に接してくれていいよ。」
「でも、先輩ですし…」
「人として敬ってくれれば、それで十分。」
「朔、ソウは誰に対してもこんな感じだから、勘弁してやってくれない?」
大和が仲介に入ると、壮五も朔も何とも言えない顔になったが、今回は朔が折れることになった。
「とりあえず、お前さんはもうちょいみんなの仲間に入りなさい。子供ばかりで疲れるかもだけど、同じ屋根の下で暮らすんだから。ご飯はちゃんと食べて、風呂にも入る。あと持ち回りでしてる家事分担も担当してくれると助かるんだけどな。」
「そう。家事分担は参加するよ。ただあまり皆に介入するとグループのバランスが崩れるから、本当ならいないと思ってくれてもいいくらいだ。」
「でもせっかく一緒に住んでいるのに…そんなの寂しいよ。」
「陸、そんな顔しないで。ここにいるのは、曲を作れるかどうか見極めているだけだよ。もちろん…君たちが大切に、一音一音意味を持って歌えるかどうかもね。無理なら書かないし、気に入れば…まぁ気が乗れば書く。」
「てっきり私たちの曲を作って倒れたんだと思っていましたが、違うんですね。」
「俺もイチと同意見。となると、お前さんがぶっ倒れたのは?」
「Re:valeに、曲を書いたから。あの二人に歌って欲しかった。それにお礼もしたかったしね。Re:valeは千斗が曲を書いているけれど、一曲くらい他の人間が書いたものを歌ってもいいかなと思ってね。というのは建前で。どうしても書きたかったんだ。あの二人を見ていて堪らなくなったんだ。音を鳴らして欲しい、受け取って欲しいって。そんなわけで音晴さんに頼まれた仕事とブッキングさせちゃったんだ。ああ、そうだ……ちょっと待ってて。」
朔は部屋に戻ると、机の引き出しに仕舞っていた封筒を取り出した。
そしてギターを取り出すと、リビングに戻った。
黙ったまま、もといた倚子に座ってチューニングを済ますと、弦をつま弾いていく。
1つ1つ丁寧に、アルペジオを重ねていく。
時々緩やかにストロークも入れると、少しずつ曲が見えてくる。
感情を入れすぎないように、それでも簡素にならないよう、言葉も音も大事に歌いだしていった。
その瞬間、大和は朔の細いからだから紡ぎ出されている音が、粒のようにきらきらと舞い散るのを見ているような錯覚に落ちていくのを感じた。そうかと思えば風が吹き、水が流れ、木々が揺れる景色が見える。
聞いているはずなのに、見えるのだ。
ギター1本に、人1人が歌っているはずなのに、何もかもが圧倒的だった。
でもそれは決して力でねじ伏せるようなものではなく、優しく、全部を包み込んでいく海や空や、森のような大きく、広いものを感じた。
気が緩むと、涙が出そうだった。
懐かしいはずなのに、全く知らないそれに酷く狼狽する自分がいる。
胸の奥からせっつく何かをぐっと飲み込むと、隣でナギと三月がぽろっと涙をこぼしているのが見えた。
最後のアルペジオが終わり余韻が心地よく途切れたころ、朔は封筒を差し出す。
「壮五と環に。」
「えっ…。」
「まじで!今のおれらの曲ってこと?これめっちゃ良い曲だった!すっげー。まじで最高だった!めっちゃ嬉しい!ありがとう!」
「アレンジは壮五が出来るだろう。アレンジして、自分たちが歌いたいようにしていいよ。歌詞も少しなら変えていい。ただし…OKだと思うまで何度でもリテイクするからそのつもりで。それともし、君たちがその曲を自分の物に出来なかったら、この曲には死んでもらう。この曲を全力で愛して。コピーじゃなく、自分達で理解して歌うんだ。」
「わかりました。環くんと二人で頑張ります。」
「おう、見てろよ!ぜってーサクっちびっくりさせてやんよ。」
「待ってるよ。君たちに歌って欲しいと思って産んだ曲だからね。と言うわけで、自分で言うのもあれだけど今回は完全にオーバーワークだね。一応専門はBGMとかそういう類いの物だからね。今回は欲望のままにしすぎたけれど、本当に骨が折れたよ。」
「なぁなぁ、俺、Re:valeのも聞きたい!」
「ナイスです三月!ワタシもおなじことを思ってました!」
「あっ!俺も俺も!」
「いいよ。弾こうか」
そのまま続けてRe:valeの曲を弾く、今度はストロークをはっきりさせて切れよく弾いていく。
リズムを取るために鳴らされたギターのボディが、鼓動のように震える。熱く、熱く何かを押し上げていくような、高ぶりと期待で引っ張り上げられていく。
弾き終わると、自然と拍手が起こった。
「なんか、すっげぇな。ギター1本で、しかも歌ってる人違うのに、Re:valeの曲だ!って分かる!」
「そうですね。兄さんの言うとおりRe:valeのお二人のことが容易に想像出来ました。朔さん、こんなに素晴らしいのになぜデビューされないのですか。」
「君たちの前でこんなこというのも悪いけど、人に見られるのが嫌いなんだ。知らない誰かのためにじゃなく、もっと具体的な特定の…自分の傍にいる大切な人に、自分の持てる全てを賭けて曲を作る方が楽しいからね。それに、自分が大好きな人のための曲はいいし、相手がこの曲を愛してくれるなら、それで十分だ。…個人を知って欲しいとか、有名になりたいとかは思ってない。」
大和はこの愛情深い作曲家から、目が離せなかった。
朔は、世界中で…自分の足で歩いて受け取ってきた愛を曲にして、自分の好きな人たちに直接返しているのだ。
つまり曲は、朔のありったけの愛の証だというわけだ。
だから、売れるのだろう。
愛に触れて、心が揺さぶられる。
例えそれが自分に向けられたものでなくとも、聞いた瞬間、その世界にいるのは自分と、朔の愛なのだ。
対峙して、ありったけの愛を注がれている。
そんな錯覚を起こすのだ。
だからこそ、作った曲は多くの人に愛されるのだろう。
自分の曲で、大事な人が愛されたい。
自分の曲で、大事な人を愛したい。
その思いが強いからこそ、自分にレッテルを張りたくなくなくて、自分を呼ぶ名前も、敬称を付けさせたがらない。
まるで、そこに自分は存在しないとでも言うように…。
だから、朔の曲は広く大きく感じるのだろう。
聞いた瞬間には分からなかったが、今思い返せば、それは湖にも似ているのかもしれない。
曲に注がれた愛は、魚が住めないほど澄み渡っている。
ひたすらに一途で、純粋な愛は、不純物がない。
湖の底が見えるほど水は澄んでいるのに、手を伸ばしても限りなく果てがない。
本当は、ずっと、ずっと奥深くの、光の届かないような場所に湖の底はあって、朔はそこに住んでいるのだろう。
光の届かない、水の中で。
ただ、じっとしている。
時々吐き出す空気の泡がゆっくり上っていくのも、気づかない。
だから…そこに光が射したとき、この上なく感謝するのだろう。太陽の光が、熱が、空気が恋しかったとても言うように、与えられた希望に感謝するのだ。
朔の曲は…朔は、本当は自分自身を愛されたいのではないだろうか。
男か女じゃなくて、自分そのままを見て欲しい。
だから…付けられるレッテルを嫌う。
こいつは本当は誰よりも、自分という存在に固執している。
大和はそんなことを考えなから、ちらりと朔を盗み見た。
倒れたあの日、いや、そのもっと前から…本当は初めて見たときから、已にそうだったのかもしれない。
いつしか自分も、そのめいっぱい注がれる清らかな愛を、渇望していたのだ。
誰もいない時や深夜に顔を合わせていたのは、生やさしい心配なんかじゃない。
千さんや百さんに触れられるのも、他の誰かが傍にいるのも、見たくなかったからだ。
いつのまにか、子供じみた嫉妬を、自分の過去の荷物とすり替えていた。
見ないように…していたのに。
向けられる愛を、例え気のせいだったとしても、独り占めしたかったと気づいてしまった。
曲に当てられて盛り上がる面々とは対照的に、大和は気づいてしまった自分の気持ちをどうしようかと、一人やり場のないため息をそっと吐き出したのだった。
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