・No one…

□1 Know
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1Know



久しぶりに、日本に来た。


この国特有の、けだるく湿気った空気を肺いっぱいに吸い込むと、急に身体が重くなった気がした。気のせいだと思いこむように吸った息を半ば強制的に吐き出し、ベルトコンベアーから流れてきた荷物を受け取った。


行く当てがないのは、いつも通りだ。


しかし幸いにも、この国は世界の中でもかなり平和ぼけしていて安全だ。

「今夜は久々に野宿かもな…」

肩に食い込む荷物の重さをごまかすように大げさに一歩踏み出すと、ギターを抱えて歩き出す。

空港から出て、当てもなく適当な切符を買って電車に乗る。

空港で一夜を明かしてもよかったが、ここはLEDの光が強く、白いリノリウムの反射光が一層きつい。自分の感覚が死んでいくような、あんな病的で潔癖な場所からは早く抜け出したかった。



離れている間に、日本は更に潔癖に拍車を掛けたように進化していた。


どこもかしこも科学物質をたっぷり使って、汚い物なんて何もないし、何もなかったかとでも言うように加工している。そのせいでどこへ行っても、何もかもがつるりと整えられているようで気分が悪かった。


適当に買った切符の駅前は、人でごった返していた。

大きなスクリーンに、真昼よりも明るい白々しい光で音楽番組が映し出されている。


その喧噪を背に、人の流れに逆らって歩く。



そろそろ肩に食い込んだ荷物が重い。

喉も渇いた。



しかしこの国は、まったく本当に便利な国だ。


公園の自販機で水を買い、一気に飲み干す。
少々科学物質の味が気になるも、すぐに慣れていった。

一息ついたところでギターを取り出すと、適当に、好きに弾く。

弾いているうちにボディが気候に慣れたのか、いい音が出るようになってきた。

時刻は8時過ぎた頃。

空を仰ぐと、そこには黄色っぽい月がぽっかり出ていた。

星は、一つも見えなかった。



そのままぼうっと手に任せてギターを弾いていると、スーツを着た男性が近寄ってきた。

「ねぇ、君…」

「はぁ。なんでしょうか。」

「君はミュージシャンかな?もしCDを売っているなら…」

「いえ、違います。」

「そっか…それは残念だ。デビューすればきっと売れるだろうに。」

「それはどうも。」

「少し話さないかい?夕飯がまだならご馳走するよ。」


こういうのは、一番危ない。
ただ下手に断るのも、危ない。


「駅前の居酒屋なら。」



久しぶりに口にした醤油や味噌の味には、意外にも懐かしさを感じてしまった。その反射反応に一瞬顔をしかめるも、おじさんは何を勘違いしたのか声を上げて笑った。


公園で声を掛けてきたおじさんは、焼き鳥や卵焼きを摘まみながらさっき弾いた曲やギターのことを一つ一つ丁寧に聞いてくる。

どうやら…この人は、本人曰く「芸能事務所の社長」らしかった。

こんな話はごまんとある。今までも嫌と言うほど聞いてきた。

やっぱりどこの国でも、同じなのか。

そう内心でため息を吐く。


「君は、今夜行く当てはあるのかい?」

「いえ…これから泊まるところを探そうと思ってます。」


あえて誘うような質問をして鎌を掛ける。これでのってくれば黒だ。

「そうか…それならしばらくうちに来ないかい?ちょうど住むところもあるし、君にお願いしたい仕事もある。どうだろうか?」


そら、きた。

やっぱりこの男は、黒だ。

ああ、嫌だ。吐き気がする。

急激に店内に充満しているみりんの香りが臭く感じる。

それでも食事をご馳走になった義理がある。ひとまず丁重に断ろうと顔をあげると、おじさんは笑いながらも、こっそり小さな声で囁いた。

「僕の思い違いじゃなければ、君は【NOne】じゃないかな。」

「…やだな。人違いですよ。」

「さっきも言ったけど、僕は芸能事務所の社長でね。今売り出しているアイドルがいるんだけれど…よければ君に彼らの曲を書いて欲しい。」

「人が良いと、損をしますよ。」

「君がさっき弾いていた曲は、少し前に西の国で話題になっていた曲だったね。そしてその後に弾いていたのはその隣の国で大ヒットした映画音楽で、サウンドトラックは歌がないのに何ヶ月もヒットチャートに残り続けた。日本にも支社がある国の商品のCMソングも弾いていたね。コピーにしてはそっくりすぎだ。もし本人でないとしたとしても、そのギターの腕前をそのままにしておくのはもったいないと思っている。」

「…おじさん、何者ですか?」

「ははっ、おじさん、か。」

「あ…すみません。気分を害してしまって。」

「いや、そういえば話に夢中で名乗ってなかったね。僕は小鳥遊音晴だよ。君は?」


まいった。この展開は初めてだ。


「…小鳥遊さんが言うとおり、作曲家の【NOne】…です。よく分かりましたね。」

「実は大ファンでね。君が各国を回って渡り鳥のように活動していることは知っていたからね。公園ででギターを聴いたとき、恰好からしてもしやと思ったんだ」

「なるほど。ですがこういうことをしている人はごまんといるはずだ。」

「そう。どこにでも、夢を見る若者がギターを持ち、マイクを握りしめて立っている姿はたくさん見る。だからこそ、君はその人たちとは違っていると思ったんだ。」

「人の話を簡単に信じない方がいいですよ。小鳥遊さん。人類みな友達にはなれない。」

「そうだね…でも僕はこれが千載一遇のチャンスなら、逃したくないんだ。」



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