・うたプリ 中短編
□1.意識
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女優のあの子は、たまに数ヶ月ほど休んではどこか遠くへ行っているらしい。
「蒼生、今度はどこへ行ったの?」
「アラスカよ。オーロラを撮ってきたの。シロクマやアザラシ、オオワシなんかもいたわ。」
アイアイは彼女の話を興味深そうに聞いている。パソコンと同期させているらしいごついカメラは、見た目の割には彼女の手に馴染んでるらしく、落とすそぶりもなければ持ちにくそうなそぶりもない。
「綺麗だね。実物の方が綺麗だった?」
「それはもちろん。いくらカメラやこの画面の性能がよくても、やっぱり限界はあるわ。それに空気や雰囲気も違うからね。静寂に包まれた雪と氷の中、たった一人で張ったテントから見た景色は何にも形容出来ないわ。」
「そう。この時期のアラスカだと体調管理が難しそうだよね。」
「それはカミュのおかげよ。」
「当然だ。シルクパレスの品は一級品だからな。」
彼女はいつのまにかミューちゃんと仲良くなったらしく、シルクパレス製の防寒着を貰っていたらしい。彼女がミューちゃんと話をしている間も、アイアイは彼女の撮ってきた写真や映像を興味深そうに眺めていいた。
「ねぇ蘭丸、ちょっといい?」
「んだよ。」
彼女がランランに声を掛けるも、ランランはそこから動きたくないのか、だるそうにソファーに寝たままだ。彼女はランランが横になったままのソファーに近づくと、膝を折って身体を低くした。
「シルバーアクセサリーのお店、教えて欲しいの。」
「…何が欲しいんだ?」
「指輪。」
「メンズのか?」
「んー、サイズがあれば…その辺りはこだわらない。」
「んなのどうすんだ。」
「あらやだ。自分の指にするに決まってるじゃない。ね、彫刻が細かくて、幅のあるものがいいんだけど知らない?」
「あぁ?知らなくもねぇけど…」
「じゃあ、ご飯おごるから教えて。」
「しょうがねぇなぁ。ってまさか今日じゃねぇよな?」
「あら、お仕事?」
「ああ、別日にしてくれ。後でメールすっから。」
メール。僕だってまだ知らないのに。ランランでさえ知っている事実に打ちのめされた。無論ミューちゃんも知ってるのだろう。
それよりも…指輪。自分で買って、自分でする…ってことにも驚いたけど、なぜ指輪なのか。そこばかりが気になって仕方ない。サイズが合えば厭わない。彫刻の入る…名前でも入れるのだろうか。
「ねぇ蒼生。この写真僕にくれない?」
「藍がそのままの画素数でいいなら、ダウンロードしていいよ。小さくするならメールで送るけど。」
「このままのサイズで頂戴。ただ今後も連絡取りたいから、メールアドレスも教えて。」
「名刺でいい?」
「紙がもったいないから、データか、今読み上げて欲しいんだけど。」
「そしたらカメラデータの1枚目に名刺を撮った物があるからそれ見て。」
「なぁ、なんで名刺なんか写してんだ?」
「万が一カメラをなくしたり、逆に私が死んで遺体になっても、証拠として残るからよ。」
「…ほう。愚民にしては危機管理が徹底しているな。」
「まあね。さ、帰ろうかな。お邪魔してごめんね。」
彼女はアイアイからカメラを受け取り、黒いバッグに厳重にしまい込むと、リュックを背負い、更に重そうなメタルケースを両手に持って立ち上がった。
「寿、送ってやれ。」
「え…。」
とっさに話を振られて反応できなかった。もしこれがバラエティーだったら結構ヤバい展開になったかもしれない。なんてことはすぐに思いつくのに、うまく切り返せない。
「あら、悪いわ。荷物も多いし。」
「それなら尚更送ってもらえ。心配するな。運転はそこそこ出来る。」
「ミューちゃんそこそこって…」
「送ってくれるんですか?」
真っ黒な瞳がこちらを向いている。メタルケースが重たいのか、細く白い手の甲の筋が浮かんで見える。
「僕の運転でよければ、乗ってく?」
ようやく、なんとか喉の奥から一声絞り出すと、彼女はこちらの気持ちなんか余所にさっぱりとした声で返事をした。
楽屋を出て二人で歩く。駐車場まではまだ距離がある。
「荷物、持とうか。」
「ありがとうございます。せっかくですが、重たいけど命と同じくらい大事にしてる物だから。」
「そっか。」
言葉に詰まったのをごまかそうと、僕は車のキーをポケットから取り出すなり、指にはめてくるくると回す。
何を聞こう…指輪…の話はちょっとプライベート過ぎるか。アラスカ…のことは何にも知らないし…さて、困った。共演経験もないし、同じ事務所とはいえ接点がない。食事に誘うにも、きっと機材が気になるだろうし…ああもうダメだ。お手上げだ…。
「寿さん。」
「え?ああ、はいはい。どうしたの?」
「いえ、声を掛けても返事がなかったので。…大丈夫ですか?」
「ああ、うん、ごめん…その、僕たち今まであんまり接点なかったなーって思ってさ。」
「そうですね…確かに。あ、後で名刺渡しますね。」
「ホント?嬉しいな〜。」
「ついでに写真集も買ってくださると嬉しいです。」
意外にも、ちゃんと笑うと人なつっこい笑顔だった。真っ黒な髪に、真っ黒な瞳の容姿についクールな印象を持っていたけれど、ギャップがすごかった。
可愛い。
ホント…ずっとファンだったなんて絶対言い出せない。今までの作品も、写真集もみんな全部見てきたし、なんならラジオも録って聞いてるほどだ…。情けない。気になるあの子を前にして、こんなにただの男にされるなんて…情けないにも程があるけど、僕の心臓は今まで止まっていたんじゃないかっていうほどドクドクと熱い血が流れているのを感じていた。
「あのさ…寿さん、じゃなくて、嶺二でいいよ。」
「でも先輩ですよね?」
「う、うん…まぁ、確かに芸歴も年も僕ちんの方が上だけど…でもみんな嶺二って呼ぶし。」
「そうですか?じゃあ嶺二さん。」
「う〜ん。もう一声!みんなのこと、呼び捨てで呼んでたよね?タメ口だったし。僕も僕も〜。」
ちょっとおどけた感じが、ようやく出せてきた。せっかくのチャンスだった。お近づきになりたい。もっと、彼女のことが知りたい。それは…一ファンとしての感情をとうに越えていた。
「みんなとは…仲良しだからなぁ。」
「じゃぁ…お兄さんとも仲良くしてみる?」
ちらっと瞳をずらして横目で伺えば、少し頬に赤みが差した。
これは…ひょっとして…ちょっとチャンスがあるんじゃないかな。
なんて、はやる心を何とかなだめる。焦るな。がっつくな…あくまで大人の男でいなきゃ格好悪い。
「ふふ、可愛い。ね、機材を家に置いたらさ、僕とご飯食べに行かない?運転するから。どこへでも、ご所望の場所へ連れてっちゃうよん♪」
「じゃあ…お言葉に甘えて。お願いします。あ、でもお店あんまり知らなくて。」
「大丈夫大丈夫。そこはお兄さんにお任せあれ。よーし!じゃ、まずはお家だね。」
「そうだ!名刺です。遅くなってすみません。」
もらった名刺は、事務所の名前とパソコンのアドレス、そしてファーストネームだけが載っているシンプルな物だった。
女優なのに名刺…というのもちょっと意外だけど、本も出してる彼女には必要なのだろう。
「苗字…ないの?」
「はい。あ、本名にはちゃんとありますよ。でも個人として存在したいので、あえて苗字付いてないんです。」
「蒼生ちゃん。」
「はい?」
「んーん。呼んでみただけ。」
嘘だ。
いや嘘じゃないけど…ずっと、何度も呼んできた。本人に面と向かって言うのは初めてだけど…ずっとずっと、呼んでみたかった。
ここから、始まりそうな…ううん、始めるんだという決意を込めて。
「ったく…」
「世話のかかる奴らだ。」
「ねぇ。もしかしてみんな知ってるの?」
「蒼生が嶺二のファンだってことか?」
「寿が蒼生の筋金入りのファンだってことがだろう。」
「どっちもだよ。あの二人、ずっと互いのことばかり気にしてたけど、なんで?」
「そりゃ…そういうことだろ。」
「ふん、愚民の色恋沙汰に興味はない。蒼生の目も、男を見る目は節穴だな。」
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