・No one…

□8 Remain
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「おはよ。一般的には酒を飲んで酔うと素が出るなんてわれてるけど、お前さんがあんなに寂しがり屋だったとはね。昨日のあれは可愛かった。」


そんな一言を堂々と言えたら、どんなに幸せだろうか。大和は朝からそんなことを考えながら現場入りした。


酔って寝てしまった朔を見たのもあるが、胸に秘めていた思いをミツに指摘されたこともあり、気持ちはますます募っていくばかりだった。


俺が、一番傍にいたい。
特別に、なりたい。
守ってやりたいとさえ思う。

湖の底に、たった一筋、細くても光を伸ばして、射し込ませたい。

光が射せば、植物が生える。
光合成がされ、水の中とはいえ少しは息苦しくなくなるだろう。

生き物が生まれ、湖の底は豊かになっていく。
上を見上げて、いつしかその光の先を見てみたいと思って湖面に顔を出すかもしれない。

なぜかそんな童話めいたことを考えながら、差し入れのコーヒーを啜る。

不思議なことに、自分の中の気持ちをきちんと認めてからというもの、その思いは留まることなく積み重なっていくのだからたまったもんじゃなかった。


大和は撮影中に顔がにやけるのを必死に我慢しながら、いつもの数倍の疲れを背負い帰寮すると、環が鉄砲玉のように飛んできた。


「ヤマさん!はやく!サクっちが!」



「は?いなくなった…?」



大和は一織から渡された書き置きを見て、言葉が出て来なかった。

書き損じたスコアの端っこには、綺麗な字で「しばらく出かけます」と一言書いてあった。


「部屋は?」

「その…もともと荷物が少なかったから、よく分からないんです。」


めずらしくしょげているイチは、ミツに背中をさすられている。恐らく学校から帰って一番最初に書き置きを見つけたのだろう。

「誰か行き先に心当たりは…?」

「それが、誰も…。」

イチの代わりにソウが答えるも、ソウも相当ショックだったのか言葉が続かなかった。

「もしかしたら万理さんが何か知ってるかもしれないから、ちょっと聞いてくるわ。もしかしたら朔がふらっと帰ってくるかもしれないから、お前等はここにいろよ。」



大和はスマホと財布を持つと、事務所へ走った。


朝から甘い考えに浮ついていた自分を、はっ倒してやりたくなった。

事務所に駆け込むと、万理さんは何かを察したようで事務仕事を中断した。


「えっ…朔がいなくなった?」

「正確には、書き置き残して帰ってきてないんです。」

「はぁあ…まったく進歩してないというか…そういやあのときも短い手紙一つで出ていったんだよなぁ。」

ため息と共に天井を仰ぐように見つめた先には、何があるのだろうか。

過去の、「あの日」なのだろうか。

大和は一瞬陰った心を振り払うように座り直すと、過去を振り返る万理をこちらへ連れ戻そうと声を掛けた。

「何か心辺りありませんか?」

「う〜ん、あ、もしかしたら千の方が何か知ってるかもな。」


そう言うと万理さんは千さんに電話を掛けてくれた。


「小屋、ですか?」

「うん、正確にはロッジらしいんだけど…どうも昔住んでいた場所があるらしいんだ。でも千も詳しい話は分からないみたいで…。」

「それって、どの辺になります?」

「えっと…」


万理さんの話を聞き、事務所のパソコンを借りて地図を見る。地図を写真に切り替えてみると、確かにそこには麓から続く一本道の先に小屋らしきものが立っていた。


「俺、ちょっとここ見てきます。」

「だめだ。大和くんは明日も仕事だろう。」


万理さんの制止を背中で受け止めながらも、止まれなかった。

とにかく聞こえないふりをして、一目散に事務所を出る。

万理さんが電話に気を取られている間に拝借した事務所の車のキーを握りしめると、俺は駐車場へ向かった。


高速に乗って2時間。

焦る気持ちを抑えながら、法定速度めいいっぱいにスピード出して走らせた。

已に時刻は深夜になろうとしている。

そこに朔がいるなんて確証はない。

それでも、よかった。

自分の目でその事実を確かめない限り、きっと暇さえあれば悶々と考えてしまうだろう。


だったら身体を動かしている方がマシだった。


小屋があるらしい場所に来てみると、辺りは真っ暗で街灯がぽつぽつとあるだけだった。

そのとき、急に強い光が目の前を横切った。

どうやらタクシーのようだった。
人を下ろしたのか、タクシーは狭い道を丁寧に切り返しながらUターンして下っていく。

大和はもしやと思い目をこらすも、さっき受けた強い光のせいで暗闇の先がよく見えなかった。

仕方なく車を降り、道を聞く振りをしようと近づくと、立っていたのは探していた人物だった。


「あれ、大和じゃない。こんな山の中でどうしたの?」

「っ……どうしたのじゃねえよ馬鹿野郎!あんな書き置き一つで…心配して探しに来たにきまってるだろ!出かけるにしてもどこに行っていつ帰るかくらい言え!一緒に住んでるんだぞ!」

「っ……わ、悪かった…ごめん。」

「千さんが昔の話を覚えてくれてたから何とかなったけど、勘弁してくれよ。」

ため息を吐きながらその場にずるずると座り込む。

安心して、力が抜けた。

冷たいコンクリートの上に座るのも気が引けたので、何とか気合いを入れ直して立ち上がると、朔の手を掴んだ。

「あのな、お前さんにはそう見えないかもしれないんだけど、お兄さん案外これでも心配性でさぁ。命削って作曲してるお前さん見たときもハラハラしたけど、今回みたいなのも不安になるんだわ。作曲に関しては命を削るほどの頑張りがあるから輝くような曲が生まれるってことは分かってる。ただ今回のはそういうのとは違うだろ。朔が急に消えたら、例え帰ってくるって言われても心配になるんだよ。信じるとか信じないとか、そういう問題じゃなくて。」

わかるか?と小さい子に言い聞かせるよう瞳を合わせると、朔は思いの外しゅんとした顔をしていた。

「うん…。わかった。本当にごめん。ごめんなさい。」


朔は、素直に反省しているようだった。

何年も一人で好きに生きてきたからその辺りも緩いのだろうと大和は思っていたが、どうやら違うようだった。

自分の行動で、誰かが自分を心配してくれるなんて、考えつかなかったようだった。

こんな時でも、朔の生い立ちや境遇が垣間見えてしまうことに内心動揺したが、ひとまずこのままでは埒が明かない。

「ごめん。いきなり怒鳴ったりして、俺も悪かった。とりあえず帰るぞ…ってことでいいか?」

「はい。」

「ん。あのさ、もう怒ってないから、そんな風にしょげないでくんない?」

「うん、わかった…。」

助手席の扉を開ける時、大和は朔がスーツを着ていることに初めて気づいた。いつもゆるく紐で縛って肩に垂れ流している髪は背中側で綺麗にまとめられており、グレーのスラックスに黒いジャケットを羽織っていた。しかもうっすらとだが化粧をしているようだった。
普段の朔はぼろぼろのデニムにオーバーサイズのカットソーやカラーシャツを着ていたため、あまりの様変わりっぷりについ凝視してしまった。


とりあえずエンジンを掛けて車を走らせる。


感情にまかせて言いたいことを言ったのは、久しぶりだった。

今回の件で、いるべき人がいないと不自然で、不安で、とてつもなく堪らない気持ちになることを嫌と言うほど感じる羽目になったと同時に、それだけ朔の存在が自分の中で大きくなっていたことを思い知った。

そうだ。もう朔は、とっくに「いるべき存在」になっていた。

また一つ、自分の中にあった気持ちに気づかされる羽目になった。


朔は、どれだけ俺を暴くのだろう。
無論、当人はそんなつもりは毛頭ないのだろうが。


車内はどちらも無言のままだった。


高速に乗る頃になっても、二人の間に言葉はなかった。

大和は感情にまかせて怒鳴ってしまった負い目もあり、沈黙がいたたまれず話しかける。

「そんで、お前さんの用事は終わったのか?」

「いや…まだ。恐らくだけど、全部終わるのに一ヶ月くらいはかかりそう。」

「そっか。そりゃ大変なこった。とりあえずこんな所まで来るのは大変だろうから、空いてるときは俺が送ってやるよ。」

「それは悪いよ。個人的な用事だから。」

「内容は言わなくてもいいから、とりあえず遠慮しなさんな。俺もたまに運転しないと感覚が鈍るし。」

「…万理に相談するよ。大事なアイドルが事故ったら困るだろうし。」

「おいおい…もうちょいお兄さんのこと信用してくんない?ちゃんと安全運転だから。」


いつものように軽口をたたけるようになったのは、朔の気遣いのおかげだと思う。


そうやって一人来た道を、二人で帰るのは悪くなかった。




寮に帰ってきたのは午前三時だった。


てっきり真っ暗だと思った寮のリビングでは、電気を煌々と付けたまま6人が折り重なるようにして眠っていた。


「みんな心配してたって、分かったか?」

「ん。後で謝るよ。陸、こんなところで寝たらまた咳が出るだろうに…一織も環も学校があるのに。ナギも三月も、大和だってバラエティーの生放送があるでしょ。壮五は環と夕方からラジオの収録があるだろうに…。」

「お前さんは、そうやって皆がどこで何して、何時頃帰るか聞いてるから知ってるだろ?だから今度から、出かけるときはちゃんと同じように書き残していってから出かけてくれよ。ホント、頼むからさ。…ちなみに万理さんはまたお前さんがそのまま海外に飛んでいったんじゃないかって青い顔してたから、万理さんにも謝っておけよ〜。」

「万理には、昔のことを思い出させちゃったかな……。それにしても、人と暮らすって大変だ。」

「嫌になった?」

「いや。全く。帰る場所があるだけじゃなく、こうして待っていてくれる人がいる温かみを、身を以て知ることが出来た。それに、大和が心配して迎えに来てくれたのも、嬉しかったよ。ありがとう。とりあえず、顔が科学物質に侵略されて気持ち悪いからシャワー浴びてくる。」

「はいよ。…なぁ朔。」

洗面所のドアノブに手を掛けた朔が振り返る。

「そういう恰好も似合ってる。綺麗だよ、お前さん。」

「ふふ…なんだかそう言われるとくすぐったいね。ありがとう。でも恥ずかしいから、他の皆には内緒にして。大和…今日は本当にありがとう。ゆっくり休んで。」


ぱたん、とドアが閉まった瞬間、大和はぶわっと自分の顔が赤くなったのが分かった。

あんな顔して、あんなことを言われて無事な野郎はこの世界にいるのだろうか。

痒くもないのにがりがりと頭をかきむしって苦し紛れのため息を出していると、重なり合った山の一つがもそもそと動く。


「ん…あれ、朔?帰ってきたの?」


陸の声につられるようにして、6人がのそのそと起き上がる。

大和は朔が帰ってきたことを伝えると、皆ゾンビのようにそれぞれの部屋に引き上げていった。



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