・No one…

□5 Degraded
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5Degraded


しん…と静まりかえった寮内に、大和は微妙な居心地の悪さをおぼえていた。

あるときから、朔はずっと部屋に籠もりっぱなしになった。


時々朔の部屋の様子を窺うように扉の前に立つも、部屋の中からは物音一つ聞こえなかった。

もしかして以前、生い立ちやら収入やら突っ込んだ話ばかりさせてしまったから嫌煙されているのだろうか。


ここに来たとき、朔はあまり個人的なことは話したくなさそうな雰囲気だった。

ただその秘密主義な姿に悪戯心と好奇心が湧き上がり、先日はついつい調子に乗ってしまった。



なんとなく責任を感じていた大和は、本当なら直接顔を見て様子を伺いたかったが、肝心の本人が閉じこもってしまったので話にならなかった。


それまでの朔は、割とリビングで過ごしていた印象が強かった。

無論、それは自分たちを見極めるためだと大和は気づいていた。


色んな国を転々としてきたと言うから、きっと人が好きなのだろうと思っていたのだが、どうやらそういう訳でもないらしかった。


話しかければ答えは返ってくるし、会話も成立する。

ただ向こうから話しかけてくることは殆どなく、いつも誰かの話を聞いたり、様子を注意深く見ているような気がしていた。

無論、無遠慮な視線を露骨に投げて寄越すようなことはしてこなかった。

だからこそ、溶け込めているのだろう。


タマも朔の身の上話を聞いてからというもの、朔に英語の問題は質問したが、それ以外の時はソウやイチに聞いているようだった。

そして時々現場からもらってきたお菓子をお土産と称して渡していた。

おそらくそれは、施設という「同郷」のよしみとしての行動であり、環なりの謝罪なのだろう。

しかし朔は、あの日を境に少しずつ部屋に引きこもる時間が長くなっていった。ソレこそ最初は気づかなかったが、あれ…と思った頃には、とうとう一日も姿を見なくなっていた。


「なぁ大和さん、朔さんは今日も部屋から出てないのか?」

「みたいだな。部屋に籠もって何してんだか。」

「そりゃ、作曲だろ。っても…無音なんだよな。壮五も曲作るときは静かだけど、朔さんはピアノとかギターで作るんだろ?それなのに静かだっていうのは…おかしいよな。」

「そうだな。部屋でぶっ倒れてても困るし、さすがに今夜は夕飯にでも誘うか。」

「そうだな。俺、部屋覗いてくるよ。」


三月はエプロンを外すと、朔の部屋へ向かった。

三月が扉をノックしてみるも、中から返事はない。

今度は少し強めにノックしてみたが、やはり返事はなかった。

まさか本当に倒れてるんじゃないだろうなと思い、三月はおそるおそるドアノブに手を掛ける。意外にも鍵が掛かっていなかったため、扉はすんなりと開くも、中の惨状に一瞬固まる。


「なっ……。」


部屋の中は、カーテンが閉めきられており真っ暗だった。そのせいか、唯一デスクに置かれたランタンの光がぼんやりと宙に浮いているみたいだった。

床は水の入った大量のペットボトルが所狭しと置かれていた。その中でも飲み終わったらしきものは、いくつか倒れて転がっていた。
そしてその間を埋めるかのように、書き損じたのか、はたまた書き終わったのか、書き込みのされた五線紙が大量に散らばっていた。


「や、大和さん!…大和さん!」

「どうしたミツ…って、やっばいな。なんだこの部屋。」


大和は惨状に絶句しつつも、机に突っ伏している朔に近づく。

まさか死んで…と一瞬思ったが、どうやら息はしている。もしや寝ているだけかもしれないと思い、朔の背中に声を掛ける。


「おい、お前さんしっかりしろ。」

「…ん……ぁ…」

「なにやってるんだか。朔、起きなさい。ほら、しっかりしろ−。」

「…っ…ふ、……ん、五月蠅い。大きな声を、出すな。頭に響く…」

「意識はあるからひとまず大丈夫か。しかしここ空気悪いな…とりあえず一回部屋を出るぞ。」


大和が抱えようと朔に手を伸ばそうとすると、朔はその手を遮るかのように自力で立ち上がった。そしてふらふらと頼りない足取りながらも、素直に部屋から出るとリビングへ向かった。


大和と三月は顔を見合わせると、ひとまず朔の部屋のカーテンと窓を開け後を追った。


リビングの倚子に座る朔の顔は、酷い物だった。

目の下は真っ黒い隈が出来、もともと細い腕が更に細くなっている。

髪はぼさぼさで、唇はひび割れている。


ぼーっと焦点を定めずに座る朔に、三月はおそるおそる声を掛けた。

「朔さん、最後に風呂入ったのいつだ?飯は?ちゃんと食わないと身体に悪いですよ?」

「敬語…いらない。……風呂、入ってくる。」

「あ、おい……あの人、飯食うかなぁ。」

「食うんじゃねぇの。ありゃ相当だな。つーかなんでああなった?」

「さぁ。希代の天才って一織は言ってたけど…あんなにぼろぼろになって作曲してるんだとしたら、普通に…なんていうかさ、「人」だったってことだよな。」

「まぁ、そうなるわな。」


風呂から出てきた朔は、見た目は多少マシになっていたが相変わらず焦点が定まっていなかった。


ぼーっと虚空を見つめる目に光はなく、亡霊のようになっている。

「大丈夫か…?」

「…ん。」

「なんか食った方が良いよ。顔色最悪だぜ。ほら、丁度スープ煮込んでたんだ。」

「…いただきます。」


朔は力の感じられない手で匙を取ると、スープを口にした。

おいしかったのか、その動作をゆっくりと、何度か続ける。

食欲が出てきたのか、中に入ってる具材を食べ始めた時だった。

急に席を立ったかと思うと、音を立ててトイレの扉を締めた。

大和は短いため息を吐くと玄関に向かった。

「俺、事務所行って万理さん呼んでくるわ。ミツ、多分あいつ吐いてるからあと頼む。」

「えっ…ちょ、大和さん!」



どうしてこうなった。
なんでだよ。
天才だなって誰が言った。
あんなになるまで自分の事を追い詰めて仕事するなんて、加減の分かってない子供じゃねぇか。

事務所に向かいながら延々と出て来る苛立ちは行き場がなく、出来るなら今すぐどこかにぶつけてしまいたかった。

「あんなに…ぼろぼろになった姿見せられたら、曲を書いてくれなんて頼めねえよ。ったく。」

口から出る悪態は、誰に向けたものでもなかった。それでも言わずにはいられなかった。

つい調子に乗って個人的なことに首を突っ込んだのを反省しようとした矢先にあんな姿を見せられたのでは、今晩は穏やかに眠れそうになかった。自分だって少し前まで出自をメンバーにさえ内緒にしていたのだ。

自分がされて嫌なことは人にするな…と言う教訓が頭をよぎる。

もし本当に、俺のせいだとしたら…

大和は喉元にこみ上げる苦みのような不快感をなんとか飲み下した。

朔が食べ物を受け付けず吐いてしまうような身体になったことも、それほどまでに追い詰められてしまっていたことにも、ショックだった。


ひとまず疑問と後悔が渦巻く頭を何とか冷静にしようと、深呼吸をした。


「念のため、何か知ってるか聞いてみるか…」


俺は嫌々ながらも手短にラビチャを打つと、事務所の扉を開けた。


万理は大和から朔を部屋で見つけた状況と、食べ物を受け付けない身体になっていることを聞くなりデスクから勢いよく立ち上がった。

「しまったすっかり忘れていた…。悪いね大和くん、今行くよ。」

万理は慌ただしく事務所を後にすると、寮に向かいながら大和に朔のことを話した。

どうやら朔が作曲中、自分の事に構わなくなるのは昔からのことらしかった。

「なんていうのかな、危なっかしいヤツなんだ。普通に見えて恐ろしく繊細で、突然思い立ってふらっとどこかに行ったら道中で迷子になって木の下でぼろぼろ涙こぼして泣いてることもあったよ。そうかと思えば度肝を抜くような突拍子もない行動を起こしたりもしたしな。あとは人前に出るのが嫌いでね。そうやってどこか脆いのに意志だけは岩みたいに固いから、作曲し始めると良い物を作りたいって思いで没頭しすぎるんだ。昔もさんざん手を焼いたのに、すっかり忘れていたのは俺の落ち度だ。」


万理が寮内に入ると、ぐったりした朔がリビングのソファーで三月の手を借りて水を飲んでいるところだった。


そして大和が想定したよりも早く、千と百が寮へやってきた。そして丁度その頃には仕事を終えた面々が続々と帰宅し、寮内は凄まじいことになっていた。

「バン!どうしてバンが付いていたのにこうなった!」

「仕方ないだろ。昔のこと過ぎて色々忘れてたんだ。とりあえず医者を呼んで点滴打ってもらったからもう大丈夫だ。」

「そんなの言い訳にもならない。しかも何が大丈夫なんだ。だいたい彼女をここにいさせたのはバンだろう。命がけで作曲させて…正気か?」

「か…彼女?へ?え?朔が…?お、おお女の人?!三月より背が高いのに?!」

「マジかよ…お兄さんてっきり野郎かと思ってたんだけど、女の子だったのか。」

「陸…今の聞き捨てならねぇぞ。ってか…うわ〜…俺、女の人の部屋に無断で入っちまった…。」

「サクっちって、女なの?男のフリ、してたってこと?」

「いや…それはないんじゃないかな。よく考えれば、朔さん一人称を使ってなかったよね。服装もシンプルだし、隠していたというより、そもそもそういう概念に囚われていないとかじゃないかな。」

「皆さん、彼女がレディーだと気づいていなかったのですか?」

「ナギ!気づいてたなら言えよ!」

「すみません兄さん…私は気づいたのですが、言えませんでした…。」

「えっ、一織気づいてたのか…?」

「ちょっとバン、全員彼女が女性だと知らないってどういうこと。彼女が女性だって知っていながらこの寮に住まわせたのは、こういうことが起こらないようにするためじゃなかったの?」

「いや、朔が女の子だってすっかり忘れてたんだ…多分社長も気づいていないんじゃないかな。」

「今すぐ行って報告して。」


千のすごみに負けた万理は、そのまま身を翻し事務所に戻っていった。

残された面々は、今は閉まっている朔の部屋の扉をじっと見つめていた。


「ユ、ユキ…どうしよう、俺も朔さんが女の人だって気づいてなかったんだけど。」

「そうなの?てっきりモモは朔のことが好きなんだと思ったけど。」

「違うよ!いい人だって思ったけど、それなら余計パンツ一枚でうろうろしたりなんかしないよ!」

「…いつの話?」

「朝、ユキが起きる前に先に起きてた朔さんの前で着替えた。」

「…そうね、次は止めた方がいいかもね。」

「俺、後で謝るよ。」

「そうね。とりあえず朔が口に出来る物を作ろう。台所貸してくれる?」

「あ、俺手伝います。」

「そう?そしたら三月くんにいくつかレシピ教えるよ。ああそうだ、それとMEZZO"の壮五くん。君は朔に弟子入りしたら?こんな時だから作曲の手伝いして恩を売って、弟子にしてもらいなよ。」

「そんな、図々しいこと…。」

「世界的な作曲家が身近にいるなんてそうそうないと思うけど?それに朔も助手がいた方がしっかりするんじゃないかな。仕事も助かるだろうしね。」

「…っ、わかりました。あとで、お願いしてみます。」

「それがいい。」





しばらくすると目を覚ましたのか、青い顔をした朔が部屋から出てきた。


「ご迷惑を、おかけしました…。千斗も、百瀬まで来てくれたんだ…ごめん…。」

「朔、まだ顔色が悪い。…とりあえず話は後だ。ほら。部屋に戻ろう。モモ、手を貸して。」

「う、うん。朔さん、肩貸してください。」

「百瀬、敬語、いらない。名前も…普通に…。」

「わかった!わかったからベッド行こう!ね!」


千と百に付き添われる姿を見た大和は、自分の中に何とも言えない不快感が渦巻くのを感じた。

千さんを呼んだのは自分のくせに、朔を支えながら隣を歩くその姿が嫌で堪らなかった。どろっとした何かが不気味な音を立てて流れ出してくる。

昔の感情を、まだ拭い切れていないのだろうか。マイナスの感情に翻弄される自分を出すまいと大和はそっと視線を外した。



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