狂犬の娘
□四章「娘と、壊れる街」
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夜の帳も完全に降りて、神室町は活気づいていた。
居酒屋で仲間と飲み明かそうとするサラリーマン、客の呼び込みをするキャバクラのキャッチ、帰路についているOL。
「……平和だなあ」
柄本医院から真島組事務所に戻ろうとしている奏もまた、それらの中に混じっていた。
今日はいつもと違って少し忙しかった気もする。電話は多かったし、患者もいつもよりたくさん来ていた。
医者の繁盛ほど、不安を呼び起こすものはない。
「……いや、考えすぎ」
きっと事務所では、真島が手ぐすねを引いて待っているのだろう。と、足を少しだけ早めたときである。
「あれ、奏ちゃん?」
「……秋山さん」
背後から名を呼ばれ振り向くと、以前自分をスカウトした秋山がいた。
偶然だねえ、と笑って隣を歩き始める。
奏は少し眉をひそめて歩みを進める。
「何か、御用ですか?」
「いや別に?見かけただけ」
「そうですか。相変わらずお元気そうですね」
この人は暇なのだろうか。
当たり障りのない会話をしていると、またしても背後から大きな靴音が聞こえた。
「秋山さーーーん!!」
少しふくよかな女性がこちら目がけて走ってくる。秋山は彼女の顔を見ると、少し驚いたような顔をした。
「は、花ちゃん!?」
彼女は目の前までくると荒い息で秋山を怒鳴る。
奏は訳が分からず、ただ見ていた。
「何やってるんですか、もう!約束忘れちゃったんですか!?」
「…………えーと」
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる秋山に、花と呼ばれた女性は畳みかける。
「集金ですよ!今日こそちゃんとやるって、社長言いましたよね!?」
「い、言ったかな……」
あ、これは言ってる顔だ、と外野の奏が思う。
花はがっくりとうなだれてまた言葉を続ける。
「んもう!私こんな体調なのに、街中探しまわって……熱もほら、37度ですよ!?」
「ほとんど平熱じゃない」
「微熱ですよ!……いいんですか、私倒れちゃっても。社長だけでうちの会社やってけます!?」
「やってけ……ないよね、うん」
そこは言い切れよ、とまだまだ外野の奏は心の中でツッコミを続けるが、花は自分の体温計をしまって携帯電話を取り出した。
それをポンと秋山に手渡す。
「だったら自分のケータイくらい持ち歩いててください!」
「以後、気を付けます」
……スカイファイナンスって、安泰なんだなあ、と思っていると、ようやく花が奏の存在に気付いた。
「え、あれ、社長。この方、お知り合いさんですか?」
「うん。そうだよ。奏ちゃん」
「どうも。初めまして」
「初めまして!秘書の花です」
「あー、秋山さんの秘書さんですか。えっと……奏です。よろしくお願いします」
さすがに職業を大っぴらにするわけにはいかないか、と思って若干濁す。
互いにペコペコと頭を下げ合っていると、秋山が口を挟んだ。
「苦労している秘書同士だし、仲良くなれそうだね」
「誰のせいだと思ってんですか!?」
「よろしくお願いします、花さん」
「こちらこそ!奏さん!」
久しく女性の知り合いができ、秋山と知り合ったのも悪くないかもしれない、と奏は気を晴れやかにした。
そのままスカイファイナンスと別れた。
が、そのときである。
「……?」
秋山と花が行く先に、少し人だかりができていた。
いつもは全く気にしないものだったが、なぜか異様に気になってしまう。
あの二人も、人だかりの前で歩みを止めていた。
別れたばかりであるけれども、と奏はその人だかりに方向を変えた。
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