月下の孤獣


□駆け足で過ぎゆく春へ 3
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     3


財界でも高名という とある資産家が、秘密裡にポートマフィアに依頼してきたのは、
海外から商談にと来訪していた外ツ国のご友人の令嬢が “日本の学校を見学したい”と言い出したため、
平和な国情だし大事無いとは思うが護衛をしてはくれまいかというお願いで。
当人にすればご友人だが、対外的には準外交官にあたろう格のご一家だとかで、
そんな立場の人を無防備に扱って何かあっては一大事。
それに訪問先というのも名家の令嬢たちの集う学び舎なので
無辜非力な存在しかいない場、騒乱の修羅場となっては被害も甚大となりかねぬ。
そこでと、飛び入りする令嬢の護衛は裏社会の雄でもあるポートマフィアへ厳重にと依頼したその上で、
学舎や生徒さんたちへの表向きの守りは公の警察へ届けを出しておいたらしくって。

 「それで武装探偵社にもお声が掛かったんだね。」
 「まぁな。」

急な指令とあって、事前の刷り合わせはなかったので、
今の今、対岸の顔見知りと顔を合わせるまでそんな状況だという現状も知らなかったのはお互い様。
外回りの護衛をと配置され、突発的な事故もどきに巻き込まれかかったご令嬢を助けたつもりが
見知った顔の相手と知って、それでも慌てふためかなかったのは芥川の方もなかなか物慣れた様子であり。
とはいえ、思わぬ事態ではあったか あとが続かないで凍りつきかかっているようなので、

 『あら、ボタンを引っ掛けてしまいましたわ。』

二の腕を掴まれた側だった中島さんちのお嬢様、
不意に驚いたような声を出して相手の制服の青いシャツの手首をつかむ。
そこのボタンに長い髪の端が絡まったという体で誤魔化すらしく、
先程の自転車が飛び出してきた横道の先、非常勤清掃員の方々の仮の詰め所に配置したトレーラーの陰へと
“監視員”さんの手を取ったまま誘なう手際はたいそう自然でなかなかのもの。

 『教室に先に行っておく。』

鏡花がこそりとそう囁いて、一人で先に学園へと進んだのも臨機応変の一端らしく、
予定外な事態だが、情報の擦り合わせは大事だろうとの判断でのこの流れ。
着いた先ではではで、それぞれの役回りの格好でいた顔ぶれが仲間内ではない顔へと一瞬緊張して見せたが、
女子高生の恰好をした敦がゆるゆるとかぶりを振ったのを見て丁重な頷きを返し、
そのままお勤めなり指示や連携へだろう確認なりを続けて見せるから、
現場での想定外の事態への行動判断に、ある程度の裁量が認められている敦だということが察せられ。
こういった一連の流れからも、この白虎の少年がまだ十代という幼さながらも年季が違うことを知らしめる。
なればこそ、

「言えないことは言わなくていいよ。」

そっちにはそっちの段取りとかあるんだろうしと
口角を上げ、双眸を孤にたわめ、にっこり笑った敦の側から先んじて言ってから、

「こちらからは主に女性の構成員が校内に配置されてる。
 臨時の事務員だったり清掃員だったりというかたちでね。
 特別な聴講生が来るというのは本来の職員の皆様にも通達されてるようだから、
 そういうことでの手厚いカバーだろうという格好で把握されてるよ。」

自分たちの手勢がどう潜入しているかのおおまかなところを口にする敦であり。
肩先に綺麗にそろえた手をやって はさりと長い髪を背の方へと払いつつ、

「対象は某国から来日している高官の令嬢で、
 招待側のご一家のお嬢様が居るクラスに今日だけの聴講生としてやってくる。
 なので、ボクと鏡花ちゃんが昨日から転入生として潜入中。」

一つのクラスに二人まとめてというのは異例だろけど、
ボクの方がずっと外つ国にいたので要領が判ってないということになってて、
鏡花ちゃんは補佐役という触れ込みなんだ…と、そういう詳細まで語ったのは、
軍警の手配はせいぜい敷地の周縁止まりだろうが、構内へは探偵社の精鋭がいるんだろうなと読んでのことだろう。
探偵社の陣営の、ある意味で要にあたる太宰とは昔馴染みな彼でもあるから、
あの策士を前に下手に隠しても無駄だという思いも多少はあるのかも知れぬ。
そういう特異な背景を抜いても、情報の点でマフィア側に遺漏があるはずもなく。

「これは勝手な憶測だけど、
 そちらは国木田さんや太宰さんが教育実習の講師とかいう触れ込みで来てるんじゃあない?
 女学園でも男性教師が居ないわけじゃあないし、実習に卒業生しか来ないとは限らない。
 PTA、父兄とか後援会経由の伝手という格好でなら問題もなかろうしね。」

与謝野さんは保健室の補助員とか?
谷崎さんとか宮沢くんは年齢的に無理があろうから、君と同じく外回りの配置かな?

「あ、でも、谷崎さんはあの幻視の異能を使えば校内にいても不審がられはしないかな。」

などなどと、
ちょっと考え込む所作として、ふんわり瑞々しい口許へ細い指先を添えて見せ、
相手が否定しないのを是と取ったか、くすすと笑うのがまた愛らしい。

「以降、何か通達があるならボクの端末に知らせてね。」

以前に共闘した折に番号は交換し合っているので、そこへの支障もない。
ほほほとはんなり笑って見せ、少し離れたところにいたお仲間の黒服さんに呼ばれて、
それじゃあと会釈を残して立ち去る姿を見送って、
芥川の方も本来の配置である通学路の方へと戻ることとする。
視線だけちょろりと敦を追ってしまったのは、

 “走り方もちゃんと女子高生しているのだな。”

ブレザータイプの制服も可憐に、軽やかに駈け去る好敵手の後ろ姿へついつい感心してのこと。
カツラだろうに頬に掛かる髪を、実に自然にしかも品よく指先で捌いてたし、
やわらかく笑うたび口許にゆるく握った手を添えてもいた。
そこへ加えて、女性の小走りというものまで心得ておいでな敦だったのへ
舌を巻いた芥川だったのはおまけだったが。

 “ああいうことも太宰さんが仕込んだのだろうか。”

女性には詳しい人ですしねぇとかどうとか、
余計な合いの手を入れては後が怖いので沈黙を守ろう、うん。 (笑)



     **


結構な歴史もある古式ゆかしい学舎だが、
窓も大きく風通しも良くて、校内はなかなかに明るい。
十代のやんごとなきのお嬢様方が、
無邪気に笑い合いつつ、教室や廊下のそこここで戯れておいでの光景は何とも華やかで、

 “和むなぁ…。”

政治家やら資産家やら、結構名だたる家柄の令嬢ばかりが集う女学園ではあるが、
大財閥の創始者一族だの茶道や華道の家元一門だのというほどの級は
むしろ帝都の方でお暮らしか、ヨコハマという土地柄にはおいでではないようで。
そちらもまた帝都派か、
新進気鋭のとか、IT世界の寵児の…などという、ここ最近の成長株なご一家の係累もいないよう。
そんなせいかどこかのほほんとした、お花畑仕様の空気が満ちており、
派閥があったり、あの方ちょっと生意気ではございません?なんていう空気も立ち上がらない、
ある意味、純粋培養されているような天真爛漫なお嬢様がた揃いの学園であったりし。

 “もしかして、社交の世界に出ないまま政略結婚コースな方々ばかりなんだろうか。”

社交界はなかなか手厳しい世界だと聞く。
企業を担うトップ同士の、事業上の取引やら競争やらだけではない交流の場であり、
女性は口を挟んじゃあいかんとされているのは建前で、
各家の内儀の主導権を握っていたり、一族の総意を統括しておられたりという格好で、
ただならぬ影響力を持つ存在や、
決定権を持つも同然、一族の顔として君臨してなさる伴侶様方も少なからずおいで。
そんな方々が険を競い合い、時には陰湿な謀略を仕掛けもするというから、
なかなかに壮絶な世界をいかに切り抜け、よその競争相手を出し抜けるか、
女性眷属であれ 足を引かれぬよう構えねばならず、ちいとも気が休まらぬ世界だとも聞く。
だがだが その一方で、親御の意のままに先行きも決められていて
輿入れ先もすでに決まっているような方も依然としていらっしゃるようで。
もしかせずとも此処はそういう傾向のお嬢様方が多いのやもしれぬ。
鏡花と離れ、遅れて教室へと辿り着いた敦へと、

 「中島様、おはようございます。」
 「大事無かったのですか? 自転車と接触なさったとか。」

にっこり邪気ない笑顔を向けて下さる撫子やら白百合のような令嬢たちへ、

 「はい。ご心配おかけして申し訳ありません。」

こちらもほんわか頬笑んで、なごやかな空気へと潜り込む。
今日はいよいよの本番当日、放課後までを何としてでも無事に過ごさねばならない。
一体何がどう襲うか、どう飛び込んで来るものか。
はんなりと笑いつつも気を引き締めた虎くんだったものの……



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