月下の孤獣


□駆け足で過ぎゆく春へ
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地球温暖化の影響とやなのか、今年はまた一段と春の訪れが早かった。
冬は結構、ここ数年の暖冬ぶりを裏切って寒かったような気もするが、
桜の開花もかなり早かったし、
春と言えばの花々も早めに前倒し気味に咲いてたような気がする。
それがあまりに生き急いでいたと反省でもしたものか、
GWを前にして、急ブレーキか後戻りかいきなり早春ばりの寒さが戻り、
土地によっては雪まで降ったらしくって。

 “まあ、春先ってのはドタバタしているうちに行っちまうものではあるが。”

さすがに普通一般の皆様と同じような行事だの出会いやお別れ等々には準じない身だが、
世に放たれる新人さんたちによる不慣れゆえの様々なやらかしを主とする、
想定外のことがあれこれと勃発するのへ巻き込まれる不運との出会いは同率だろうし。
そういうごたごたをやり過ごした後なぞに、
やれやれと人心地つきつつ、春の霞のかかった空だの初々しい緑だのへ目が行っても罪はなかろう。
そのまま“心の一句”とやらまで詠み始めはしないというに、

 『そんな風流なことへ気が向くなんて、柄じゃあないんじゃない?』

暗に脳筋のくせにとでも言いたいか、
菫色の空でじたばたしている揚げ雲雀やら、新緑にいや映える白い卯の花やらに気を取られると
必ずそんな嫌味を言ってきた奴をふと思い出し、
けったくそ悪いと実際に何かを振り飛ばすような仕草でかぶりを振る。
暑かろうが寒かろうが、晴れてようが降ってようが、
何だったら屋内だろうが頭に乗っかっている帽子の陰で、
やや眇めた目許に前髪が掛かり、
視線の先、監視対象を囲う桜木の群れの幼い若葉が風に揺れるのを透かす。
春先と呼ぶにはずんと暦も進んでいて、空の青もなかなかに色を濃くしつつあり。
新学期とやらが始まって日も経っており、
視野の中、梢の先やら芝草やらにも
新緑になりかかりの柔らかな翠が萌え出ていて瑞々しいばかり。
今は監視対象らも授業中で校舎の中にほぼ引っ込んでおり、
長閑なばかりな風景の中、
どこかから音楽の授業だろうピアノの音とやや高い声での斉唱が聞こえてくる。
日頃は夜陰の中でも目立たぬ漆黒のコーデが、
こんな目映い昼日向にはなかなかの拮抗で目立つため、
人の目も届きにくい所からの監視を強いられている身なわけで。

 「…何だかなぁ。」

そう、五大幹部殿、
こんなにもいいお日和の中、されど残念ながら鋭意お勤め中の身であったりするのだ。

 『ややこしいことを頼まれてしまってね。』

組織の表看板としている興行系の企業と
帳簿上での提携を結んでいるフロント企業の伝手の先、
政治家とも懇意にしている級の資産家のところへ、
海外の有力者の知己がご家族で外遊にと訪のうており。
そこの娘さんが、お友達でもある令嬢が通う日之本の女学園の見学がしたいと言い出したとか。
視察なんて仰々しいものじゃあなくの聴講生扱いで良いと言われたらしいのだが、
その筋じゃあ準外交官とも言えよう著名なお人なため、
そのご家族をひょいと一般のお嬢様ばかりというところへ無防備に放り出しても何があるやら。
そこもグローバル化が進んだか、民度が悪さの方向でも肥えたのか、
昨今の日本はひところほど安全とも言えないのが現状で。
一般の方々の集まりへも、
危ない薬品やら自作の爆発物やらがひょいと飛んで来かねない。
(とか書いてたら本当にそういう事件が起きてビビりましたが…。)
制御し損ねての暴走車が突っ込んで来るとかいうのと違って、
故意も故意、邪な意図あっての襲撃に晒されそうだという代物は、
悲しいかな そういう蓄積のある層からのアドバイスを受ければ防ぎようもあることなので、
……なんて言い様もなかなかややこしいことなれど。
蛇の道はヘビという言い回しもあるということ、ようよう知っておいでの練られたお人。
公安関係へそれなりの届け出をし、
その陰でヨコハマの裏社会を仕切る“ポートマフィア”へもどうかよろしくと助けを乞うたから、
ある意味で太っ腹。
のちのち恩を着せられようことも重々承知、
何なら貸しとなろう担保をもうちょっと乗っけてもいいですよ、
こんなささやかなことくらいじゃあ気が引けるんじゃないですかと、
ペロッと冗談めかして言えるほど、実はこちらの首領様とも懇意な仲だそうで。
そうまで極端な清濁を併せ呑めるだけの豪気な御仁…というか、

 “万全を期すには手を抜かねぇってお人なんだろうなぁ。”

こうまでの護衛を構えたことが、その著名なご一家との信頼というパイプを強くもするのだろうし、
結果として表社会での立ち位置を盤石にもする。
ならばどんな難しい伝手でも惜しみなく使おうということか。
その辺りの駆け引きにはあんまり関わりたくねぇなぁと
ヲトメたちを守る厳格な鉄壁を象徴するよな鉄柵をめぐらせた周縁の一角、
目立たぬようにと停車させた“社用車”の運転席から監視対象である学舎の長閑さを見やっておれば。

 「あれれ、こんなところに蛞蝓 発見。」
 「……っ。」

敷地の端とは言え、こんなところに遮蔽物があるなんて不用心なと、
それを目隠しに使ってた当人にも思わせた茂みとその後背に連なる木立から、
暢気そうな歩調でやって来た人影がわざとらしい態度と声でそんなちょっかいを掛けてきたから、
いいお日和にもかかわらず、中原幹部には厄日だったのかもしれない。
とはいえ、そういう相性なのだと達観して諦めるにはまだお若く、
意外なところはお互い様だろと、とっさの反射で言い返しそうになったが、
隠密行動なのだとぐっとこらえておれば。
図に乗ったような飄々とした態度のまま近づいてきて、
車のルーフに肘を載せ、一休みという態勢になる其奴さん。
さすがは長身の男前様で、
そんな格好になってもグラビアの一ページのように様になるから鼻持ちならぬ。
取り合えず人払いを図ろうと、帽子の庇の陰からちろりんと睨みつつ、、

「…おい。」

低めの声をかけたところ、

「不審車と不審人物がいるって騒いでもいいのだよ?」
「う…。」

此処は“何のことやら”とすっとぼけて、一旦どこかへ退避してもいいものだが、
そんなその場しのぎをさせるような相手じゃあないなと、こっちも慣れから先に察した。
何を言っても突っ掛かられるだけだろし、こっちは大事な任務中。
こんなしょむないことで破綻させるのも業腹なのでと、
ただ休憩しているだけですというお顔で無視を決め込みかけておれば、

「そっかぁ。
 それで、見たことあるよな顔ぶれの転校生とか聴講生が学舎のあちこちにいたんだね。」

そっちも独り言のつもりなのか、某女学園を取り巻く柵を見やりつつそんな言い様をし、
いいお日和でちょっと蒸すのか、いつもの砂色のコートじゃあない、
膝まであろう白衣をはたはたと振って暑いねぇと苦笑をする、武装探偵社所属なはずの包帯男さん。
何の教科担当という設定で潜入中なものか、
そちらは…恐らくは政府筋から軍警経由の依頼での真っ当な警護という名のもとに
同じ対象への護衛で此処にいるという状況なのだろうて。

 “こういうことへも駆り出されるとはな。”

そうそういつもいつも“共闘”という格好で彼らとタッグを組むわけじゃあない。
特に今回は急な話で、まま一日のことだしと突貫で配備を整えたほど。
なので、表向きの護衛がいるのだろなと想定はしていたが、
どこの誰がとかいう詳細は訊いてもないし問い合わせてもない。
当然、わざわざの打ち合わせなどしておらず、
今ここで鉢合わせて察したという順番なのも別段驚くことではないというもの。
公安ゆかりの社であるはずな“そちら”たちも、突貫でも頼りに出来る筋として送り込まれたに違いなく。
だとすれば、大人陣営は教科担当という割り振りで学舎内に配置されているはずだろうに、

 “こんなところで油売ってんじゃねぇよ。”

それでなくとも少数精鋭の探偵社。
これまでの実績は確かに群を抜いて秀逸だが、
異能が使える実務担当の顔ぶれの頭数は両手で収まるほどという少なさだ。
だというに、そのうちの一人が何でまた、こんな場末に現れているのだろうか。
お堅い場への監視だの護衛だのじゃあなく、
初々しい年頃の嫋やかな、若しくは溌剌とした女子高生たちの苑への潜入という配備。
組織にいたころは浮名を流しまくっとった優男なんだから、夢にまで見ただろうお勤めだろうに、
そういう恩恵うっちゃって、こうまでの遠巻きな場所になんで現れたのかが判らない。

 “こっちの背景くらい、此奴の頭なら察しも付いてるはずだろに。”

裏社会の怪しい顔ぶれが何でこんな…燦燦と日の当たるところに紛れ込んでいるものかという裏事情。
こっちも同じ“護衛”の任だというのも重々承知であろうに何をややこしいことしてやがると、
今にも唸り出しそうな渋面で、それでもまだまだ我慢の子で黙り通しておれば。
端正なお顔の中、最も印象的だろうそれ、
伏し目がちとなった双眸を、何を思うか憂いの潤みに浸したまま、
周囲の瑞々しい緑をちらりんと流し見てから、

「ましてや、」

わざとらしくも言葉を区切り、

「敦くんに女子高生は、そろそろちょっと無理があるんじゃあないかい?」
「しょうがねぇだろ。
 あの年恰好での潜入を構えるに、ウチで一番“あて”ンなるんだし。」

ご自身でも“ちょっとそれは…”と、抵抗感というか無理強いなんじゃあと思っちゃあいたようで。
そんな思いがあったればこそ、お見事な反射での抗弁を繰り出す中也さんだったのが可笑しくて、
化学教師か補助の講師か、そんないでたちの太宰がくつくつと肩を震わせて吹き出したほど。
そう、ハマの裏社会を仕切る反社組織代表のポートマフィアとしては、
他の半端な組織や鉄砲玉から
海外からいらした賓客のお嬢様を守るための警護とやらを、学園内にもそれは厳重に敷いており。
頭数は結構いるし、女性であっても腕に覚えの逸物も多数、
何なら異能者だって相当数抱えている組織ならではで、
軍警経由で張り込んでいる探偵社とは別枠、様々なシチュエーションにて
独自の警護の名のもとに女性陣らを潜入させており。
特にご本人の居る教室にいても不自然ではないようにと、数日前に“転校生”として配置した約2名。
女子高生として無理のない年頃の候補が数人いた中から抜擢されたのが、

 泉鏡花と中島敦というご両人。

女子高校生という護衛対象と同坐していても無理がない年頃で、
しかも殺伐としたオーラを出さない、というのが最低条件になったのは致し方のないこと。
資産家やら有名企業の創始者一族の係累やらという、それなりに名家の令嬢たちが集う学校なので、
そこへ紛れ込もうというからには最低限のお行儀とかマナーとかも必要になろうし、
今どきの世情を映して実は結構砕けているのが現実現状だとしても、

 キャッキャ・ウフフと朗らか平和な空間の只中で万が一にも何か起こったら?

銃器を自在に扱えて武芸もたしなむ黒服組のお姉さま方では無理があるし、
幼い見栄えの異能者もいないではないが、そういう顔ぶれでは臨機応変が案外と利かない。
突発時に無難にふるまえよう冷静な判断力やら、
護衛対象の安全を最優先で確保できよう身ごなしやらが求められるとあっては、
何でもありなマフィアとはいえ手持ちの駒にも限度があったようで。

「本人もちょっと抵抗してたんだが、鏡花だけでは何かあったときの取り繕いが難しいんでな。」

ポートマフィアきっての女傑、尾崎紅葉が愛でつつ育てた最強の刺客ではある。
十代の女子であり、見目も整っていて凛とした可憐な少女だが、
武術なら丸腰でも繰り出せる合気道から暗器を操る暗殺術まで、たいがいのそれをこなせるものの、
いかんせんそれらをあの幼さで身に付けた反動、
愛嬌や愛想にうとく、懐っこさや柔らかな物腰とやらをこなせない。
単なる潜入でもきっと齟齬が生まれようし、
何かが降りかかってきた折の“臨機応変”が、反撃方向へ偏り過ぎるというのが言われる前から判っていたらしく。
そこを突かれたようなもの、
中也の焦りようも重々承知の上なため苦笑が絶えぬ太宰であり。ただ、

 “…やっぱりちょっと妬けちゃうなぁ。”



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