月下の孤獣


□冬でも温か?
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そういやもう師走なのだなと、明け方の寒さに首をすくめ、
先日買いそろえたばかりの防寒装備、首元に巻いたストールに顎先をうずめて出社した。
例年だと10月の末くらいにガクッと気温が急降下するものが、
この年はたまに冷えてもすぐさま20度近くまで戻っていたため、
本来の晩秋らしからぬ気候のまま12月に突入していたこともあり、
勘も感覚も鈍りまくっていたようで。

 “そもそも頑丈な方だったはずなのだが。”

それは過酷な環境だった貧民街で
“石にかじりついてでも”という粘り強さから生き延びてきた身だのにと、
勝手の違う冬に引きずられかけている自身へ戸惑う。

 “色々と張りつめていて保てていたという、精神的な矜持だっただけなのか。”

それが不要になった現今の暮らしの安穏さから、ちょっぴり脆弱になっていたものか…。
時節柄マスクもしていたが、それでも冷えたせいだろう、
道中で何度かくしゃみが出たし、出社したばかりの自分へ向けて、

 『芥川くん、鼻先が赤いぞ?』

風邪だけは拾わないようにねと 隣のデスクからくつくつと笑った先輩は、
若々しい精悍さをまとった健常そうな肢体をお持ち。
長身で姿勢もよく、活舌のいい言動を見てもそういった気配りは万全に見えるのだが、

 『他人へ偉そうに言う前に、貴様は川へ飛び込むのをそろそろ自粛しろ。』

この時期でも委細構わずなのはいかがなものか、
確かつい数日前にも鶴見川に飛び込んで消防の方々の手を焼かせたんじゃあなかったか。
つまみ食いでも見つかったかのよにそれは朗らかなお顔でやだなぁと言い返していらしたが、
引き上げた途端、ああまたこの人かと呆れられ、
ほぼ常連と化していることへ厳重注意も付いてきた一騒ぎであり。
そういうとんでもないお人でもあることを思い出しておれば、
視野の中に入ったからだろう、こっちにまで矛先が向き、

 『お前も、もし目撃したとしても掬い上げようなんて仏心は出すな。』

異能も此奴には使えまいし、自力で頑張ったとて風邪どころか肺炎まで至りそうだと。
あんまり栄養状態は良くないまま成長期を過ごした痩躯を差してだろう、
そんな一言を寄越してくださる。
それこそ折り目正しくも几帳面そうな、その割に鉄拳制裁がすぐさま飛び出す眼鏡の先達が
注意勧告というにはややきつめの言を下さったのが今朝の話で。

 「…んん?」

賑やかさで目も体も覚ます格好、いつも通りの朝を通過し、
昼の休みを終えたというに、その朗らかだった長外套の先達が事務所に戻らない。
どこかで油を売っているのだろう探して来いと、
直属の部下にあたる芥川が命ぜられ、
朝方に比すればやや気温も上がった街なかを大きめの外套を翻しつつ探索に回る。
少数精鋭、恒常的に人手不足だというに
そんな地味な迷子探しに人員を割くほどには暇だったというわけじゃああったが、
暇なら暇で、体術の鍛錬とか手を付けたいことがないでもなかったのにと。
この時期やっと色づきが始まったばかりな街路樹が木の葉擦れの音を立てる中、
慣れてきたご近所のあちこちを、先達の消息探しに駆け回っておれば、

 「あ…。」

ややあってやっとのこと、
商業区のやや外れ、ビル同士をつなぐ格好になっている高架の遊歩道で、
手摺代わりの柵に腕を置き、手持無沙汰な体で辺りを眺めている長身の先輩様の姿を見つけた。

 “ここは陸の橋梁上だから、入水の案じは要るまいが。”

陽が高くなって多少はましになったとはいえ、それでも冬気温の屋外だのに。
カシミアだろうマフラーを増やしただけの、どうかすると秋仕様な格好でいる太宰であり。
凍るような冬の川にも飛び込むことがあり、
しかも悪くて風邪を引くくらいという強靱な生命をお持ちのお人ゆえ、
寒さには耐性があって強くておわすのか。
それにしたって用向きがないのなら社に戻ってもらわねばと、
やや気後れしかかって立ち止まった脚を進めんとする芥川。
勤務時間のうちなのだから、
戻れと促すのは無理強いではないし至って正当な声掛けだのに、
どうしたものか
人が行き来する雑踏の中、妙に溶け込んでいた背中を見つけた瞬間、
ちょっとした違和感を覚えてその足が止まったのも事実だったりし。
派手で鋭角的な華美さはないが、
端麗という言葉は彼のためにあるのだろうと思わせる風貌をしているお人で。
視野の中に何を見つけたか、
やんわりと双眸を弧にして笑うお顔は銀幕のスタアもかくやという麗しさ。
淑やかな情を含んだ、どこか柔らかで切ない雰囲気もお持ちの美丈夫様なので、
気配を殺すのも心得ておいでだが、
一旦 視野の中に収めれば、なんて印象的なお人かと心奪われ見惚れる女性が多いのも頷ける。
お顔のみならず、均整の取れた四肢はすんなりと長く、
しかもそれへ添う所作がまた品があって優美なため、知的な雰囲気を醸すには十分で。
待ち合わせだろうか独りでいる姿には、周囲に居合わせた主に女性の方々が
芸能人でも見たかのように、
連れとこそこそ何かしら言葉を交わしてははしゃいでいるのも拾えたりするほどで。

 “そんな存在に声を掛けるのは、さすがに…。”

こちらにまで周囲の注視が集まるので、
そういう感覚が沸いて躊躇ってしまったのだろうと、
ため息交じり、自身の反応に無難な答えを出しておれば、

 「…今はあのままそっとしといてあげてほしいなぁ。」

そんなお声が不意打ちレベルの唐突にすぐ間近で立ってギョッとする。
胸の内を覗かれでもしたかのような間合いだったが、
大きな声ではなく、むしろ空耳か?と思うような。余韻もない淡としたもの。
だが、声掛けと同時、肩に手を置かれもしたので、え?とそちらへ顔を向ければ、
それは人懐っこそうな笑顔で芥川に微笑みかけている青年がおり。

 「人虎?」

もはやそれで定着しつつある自分への呼び方へ、
ついのこととて ちろりんと双眸が座りかかったものの、
それもまた特別扱いだと思うことにしたものか、

 「業務時間中だろから褒められたことではないのだろうけど、
  今邪魔をすると機嫌が悪くなると思うよ?」

それか地味に嫌がらせされるかもしれないから辞めた方がいいと、
妙に制してくるものだから、

 「今?」

そういやこの彼がひょいと居合わせた間の良さも関係あるのかなと、
そこへと想いが至り、そちらさんもまた色白で愛らしい面差しをした青年のお顔を見やっておれば。
宝石のような淡色の双眸をぱちぱちと瞬かせてから

 「……ともかく、こっち来て。」

腕を掴まれ、やや強引にその場から遠ざかるのを促された。
何が何やらと思ったものの、ごちゃごちゃしているこちらにも衆目が集まりかけてもいたため、
面倒になる前にと素直に退避する。

 “…まったくもう。自覚無いんだもんな。”

時々、日常の中ではかなりの天然さんだという自覚がない黒狗さんで。
サイズがやや合っていない外套を羽織っているので実際以上に華奢に見え、
そこから出ている首だの手許だのが小さく見える困った効果にも気づいてはない朴念仁。
まま、だからといって可愛いとか愛らしいとかいうタイプではないけれど、
そのアンバランスさに、判じ物の如く“???”と注意を止めてようよう見やれば、
硯石のような漆黒の虹彩が大きめの双眸が印象的で、
それへと添うて鼻梁や口許が小さく収まっているバランスが絶妙な、
とんでもなく美形だということに気づかされる。
しかも、貧民街で育ったことから思いがけないことへ物知らずなままなため、
ちょっとした略語や何やへ“???”と何とも廉直に目を見張ったりするものだから、
冷淡な印象が強い第一印象とのギャップに取っ捕まる女子も結構いるようで。

 『…ってことに気づいてる敦くんもたいがいなんじゃないの?』

暇な身じゃあないだろうに
街なかで見かければ遠ざかるまでガン見しているのがバレバレだよそれと、
元上司様から楽しそうに指摘をされるまでもなく、
敦からすりゃあ実のところ関心ありまくりの対象さんだったりし。

 “ご自分だって、さりげなく中也さんのスケジュール押さえて
  通りすがるタイミング測ってる可愛い人だってのにな。”

いかにも奇遇を装って、その実、
敦に社外秘の移動スケジュール的な情報を流させてまで、
偶然の出会いを持ちたがってる可愛いお人。
憎からず思う“誰かさん”の動向なぞ、
どんな騒動に関わっているのかという視点からなら自慢の頭脳で推量も出来ように。
それじゃあダメだ、忙しかろうし裏社会のすったもんだへ積極的にかかわる気はないしと、
微妙な矜持みたいなことを持ち出す我儘なお人で。

 「寒いからその辺のお店で話そう、うん。」
 「あ、おい。」

そこまで付き合う気はとかどうとか、意外な流れへの文句が出始めるが、
そこを押さえ込むのはかつての師匠から良き教えを受けてる身なので造作なく。
気になるマフィアさんを待ち伏せする探偵社員さんの行動、
出来れば お身内も丸め込んで協力者に出来んものかと、
虎くんの企みが発動中の、至って平和なヨコハマの昼下がりだったりする。






     〜 Fine 〜    21.12.20.




 *なんのこっちゃな代物になっちゃいましたな。
  急にがくんと寒くなったので、
  温かい想いをお届けしたかったんですが。
  そういや旧双黒のほうはなかなか進展しとらんかったの思い出しまして。
  ちょっと ほわほわした太宰さんが書きたいなぁと…思った割に入水の話とか出てますが。
  朴念仁で罪作りな芥川先輩が書けたので良しとしよう、うん。




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