月下の孤獣


□月下の孤獣 5
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良くも悪くも歴史ある港町ヨコハマの
主に裏社会を統べる存在として君臨しているポートマフィアの本拠には、
先進の電脳&電網機能を完備しているのと同じほどに、旧態依然としたあれこれも残っており。
在籍する人間たちはもとより、訪問者や関係各位らへ威容や威厳を示すための、
ある意味で遺物っぽいものが大半ながら、
古いにもかかわらず現在も稼働中という代物も結構ある。
不揃いの石を積み上げられた頑丈そうな岩壁は、
長年の拷問の歴史も刻み込まれているものか ところどころが砕けてもいて、
明かりもないではないけれど仄かな白熱灯止まりという心細さ。
コケやカビの饐えたような匂いが淀んでいる、いかにも胡乱な空間は、
マフィアの関係者らから“地下牢獄”と呼ばれている場所であり。
敵対組織の捕虜や、時には内通者を吊るしては、
残虐な拷問を仕掛け、情報を引き出す地獄のような場でもある。
そんな物騒な記憶の残滓の香も深い、牢獄の壁に 鎖のついた手枷でつながれ、
他には人の気配もない地下空間に囚われ人となったらしき存在があり。
じかに見張りを付けないこともまた、
不自由という格好での放置、若しくは無視という形でのある種の折檻にあたるのか、
時折どこかで水滴が落ちる音が響くのみの、至って無機質な牢獄に監禁されていた誰か様だったが、

 「相変わらず悪巧みかァ、太宰!」

がったんと鋼の扉が叩き開けられ、そんな大声が張られたことで、
それまでの沈黙があっさりと蹴破られている。
嬉しい待遇ではないが、それほど焦燥もしてはなかった囚人は、
それも古めかしい石の階段を、廊下からの光の帯という絨毯を足場に こつりこつりと降りてくる存在へ
唐突な目映さに眉をしかめつつ胡散臭そうに視線をやったものの、

 「うわぁ、最悪。」

心からの嫌悪感を滲ませて、せっかくの美麗なお顔を目一杯歪めた美丈夫様。
それへ相対する側も、これまた冴えた美貌をシックな装いで固めた
銀幕や歌劇の二枚目男優として出て来そうな麗しの君であり。
仲良く寄り添い合えばなかなかの眼福となったろうが、そういう相性ではないらしい。
むしろ、

 「こりゃ最高の眺めだ。百億の名画にも優るぜ」

不自由な虜囚となっている元相棒を、それは愉快とにやにや見やる帽子の君であり。
黒い長外套からスーツに手套、黒の帽子までと、きっちりと正装仕様のいでたちをした訪問者は、
囚われの君の前で、まるで展示物でも見やるよにまじまじと相手を眺め回し、
さぞかし辱めの苦衷を噛みしめているのだろうという口調で嘲笑ったものの。
頭一つ分は優に身長差のある囚人の側はと言えば、
不愉快そうに表情を歪めていたのも一時、
どこか とほんと暢気そうな顔つきになって相手の頭を眺め返すと、

 「前から疑問だったのだけど、その恥ずかしい帽子 何処で買うの?」

まるきり関係のないことを訊いて来る。
大してダメージは受けていませんと言わんばかりな態度であり、

「ケッ、言ってろよ放浪者 (バガボンド)。
 いい年こいてまだ自殺がどうとか云ってんだろどうせ」
「うん」
「…否定する気配くらい見せろよ」

ムキになっているのが自分の側だけのようで、とんだ肩透かしに幹部殿の罵声の勢いが一旦萎えたほど。
昔日には此奴と二人、裏社会 “最凶”の二人組という意味合いで「双黒」とまで呼ばれていた。
有り得ないほどの最短時間で敵軍勢を制覇殲滅し尽くす完璧な作戦や時間配分を構築する うら若き天才参謀と、
かなり無理強いな構成でもあったそれを 余裕でこなし切れる運動能力とずば抜けた反射神経を持つ人間核弾頭と。
向かうところ敵なしという身だったが、まだ十代でそんな化け物じみた存在だった時期はそれほど長くはもたず。
頭でっかちな参謀殿が 首領を裏切るように組織から逐電してしまい、
それと同時に、忌々しいほど胸のすく ぎりっぎりの作戦との付き合いも失って久しい。

「かつては マフィアになるべくして生まれた男と言われ、
 手前の敵の不幸は手前を相手にせにゃならない身となったことだとまで言われた、
 裏社会でも一,二を争う天才策士。
 格闘や体術は今一つだが、要らんことをよく知ってるし記憶力もいい、
 銃の扱いもこなれてて、何よりどんな異能が相手でも手をかざせば無効にできるチ―トな野郎だ。」

公的にはまだまだ都市伝説な“異能”も、裏社会では立派な火器や飛び道具だ。
華奢な女性が巌のような家具や資材の山を宙に浮かせたり、
渋団扇のように痩せ細った老爺が何もないところから火炎を生み出したり、
たった一人でゴジラばりの働きをこなしさえする存在を、どこの組織もこぞって傘下に引き入れているし、
そういう人物に付随する情報はちょっとした財産扱いで取り引きされてもいる昨今だが、
武器や火器なくしては対抗できまい物騒な種の“異能”であれ、この優男さんには何の楯にも鉾にもならぬ。
その身にまとう彼自身の異能にかき消されてしまい、威力を発揮しなくなるからで、
それも込みでの大胆不敵、自身を危地へ放り出すよな作戦だって数えきれないほど繰り出しちゃあ、
図に乗った敵方をあっさりと殲滅させた武勇伝には事欠かぬ。

 「だが今や手前は悲しき虜囚。
  泣けるなァ、太宰…。否、それを通り越して―――」

目の前に迫った太宰の髪をガッと乱暴に掴んで引き寄せた中也であり。

 「少し怪しいぜ」

中国の故事に曰く、麒麟(きりん)も老いては駑馬(どば)にも劣る。
どれほど切れる刀でも仕舞い込まれては錆びるばかり。
マフィアから離反し身を隠して四年。今は表社会の武装探偵社に籍を置くと聞く。
日向に居つつも目立ってはいけない生活を続けた末、さぞかし腑抜けになっていようよな、
それが証拠にあっさりと拉致られて…と本来なら思うところだが、
とはいえ、それらが当てはまる事態だとは到底思えぬ 元相棒の幹部殿。
形の上では あの鏡花に攫われたという態だが、この男がそんなあっさり連れ去られはしなかろう。
相手が異能を使ったならならで
彼には“異能無効化”というチ―トな異能があるのに、何故それを発動させなんだ?

 「あの太宰が不運と過怠で捕まる筈がねえ。そんな愚図なら…」

切れ長鋭角な目許を眇め、その声も一段と低い凄みを帯びさせて、
切りつけるような睥睨を添えて、何物も見逃さぬとした幹部殿が言い放ったのは、

  「俺がとっくに殺してる。」

凄みも深く睨み据えれば、だが、さして委縮も動揺もしないまま、
突き放された首をふるふると軽く振って見せた、長身の元相棒さんはといえば。
こちらさんもどこか不敵な笑みを唇の端へと浮かばせると、

 「鏡花ちゃんだっけ?
  可愛いもんだね。本来、気が進まぬことだったようだのに、何かのためにと頑張ってて。
  あれかい?
  森さんが唆したのかなぁ。敦くんを内通者にしたくはないだろう?とか言って。」

 「……だとしたって、手前にはどうこう言う資格はなかろうよ。」

敦の立場が揺らいでいるのも、手前の昔の失踪が原因だ。
そうと言いたい中也の想いをひったくるよに皆まで言わさず、

 「森さんほどの切れ者ならば、敦くんが内通者じゃあないってのはようよう判っている筈だけどもね。
  むしろ、一緒にこんなところ出て行こうって誘ってもかぶりを振ったあの子が可哀想だよ。」

やれやれと溜め息交じりに首を振り、
そのっくらいはとうに洞察出来ていように、
気付かぬ振りして いたいけない少女へ不安を浴びせて踊らせてまあと。
相変わらず嫌っているらしき“育ての親”様へ軽く毒づいてから、

 「まあ、私の庇護していた子だったのだから、どうあっても疑われはしようけど。」
 「判ってて…っ。」

置いてくことがどれほど酷か、後々の仕打ちも判ってて置き去りにしたのかと。
ついつい言いつのれば、その語尾を引っ手繰るような間合いで返されたのが、

 「無理強いしたくなかったからだよ。
  共に行こうと誘ったのに、居残りたいって言われたのは少なからず衝撃だったのだよ、これでも。」

あ〜あと投げ出すような言い方をする。
ちっとも残念じゃあなかった時のわざとらしさとも解釈できなくはなかったが、
視線が逸れてる辺り、残念だったのは本当だろう。
本心から拗ねてやがると、それが判ってしまう自分にちょっと苛つきつつ、

「で? 異能無効化持ってる手前が 鏡花にあっさり拉致られてるところからして平仄が合わねぇ。」
「こっちこそ、
 あんな年端も行かない、もしかしてまだ実務もこなしてなかろう子に
 大人一人 拉致って来いなんて命じるリーダーの気が知れないねぇ。」

  まさかに森さんからの勅命かい?
  私が気になって敦くんが大胆な行動がとれないとかどうとか言いくるめたとか。

  ……さぁな。

すっぱり指摘されたのが忌々しいが、
確かに…あの少女は今現在 敦預かりな身なので、
他の大人や構成員が顎で使うのは順番が違うし、
なればこそ 誰の指示で何をしているのかは敦のみならず中也にも伝わってはいない。
よって、もしかして鴎外が直々に何かしら吹き込んで動かしている可能性もなくはない。

「まあその辺を敦くん寄りなキミへ言うはずもなかろうよね。
 大方、私が探偵社に居ては 敦くんが芥川くんを略取する任務の邪魔になるとかどうとか言って
 物事の道理が半分も判ってない子を 言いくるめたってとこだろうけど。」

そして、もしかせずともそんな浅っさい心胆なぞあっさり読み取った上で私の側も乗るんじゃないかと、
そこまで思ったロリコンなのに違いなく。
現に抵抗らしいこともしないでホイホイ捕まっている彼なのだし、

 「う…。」

きっちりと説かれると…実は中也自身もうっすらと思っていたことへ駄目押しをされたような気になるものか、
此処までのお怒りはどこへやら、ぐうの目も出ませんという顔になる中也だから、いっそ判りやすい。
まま、この彼は何も言われちゃあいなかろと、先程告げた推察の裏が取れたようなものなのを噛みしめて、

 “やっぱ、首に縄かけてでも連れ出すべきだったのかなぁ?”


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