短編 2

□それもまた相変わらずな 4
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つるんとした漆黒の冬空が素っ気なく覆いかぶさる港湾地区の倉庫街。
冷ややかな夜陰の底で がこんという重々しい音が唐突に響いた。
少し歪んだ側溝の重い鉄蓋を誰かが踏んだのだろう物音で、
ただただ殺風景なばかりの夜中の場末じゃあ、聞く者の存在もそうはいなかろが、
用心深くあらねばならない状況にあった者には心臓に悪い。
ましてや追っ手に狙われている只中な逃亡の徒には、
単なる迂闊と長瀬はしない大きな失態。

 「ちっ。」

忌々しげに舌打ちしつつ、
明らかに自分の居る方へと方向転換した気配からの離脱を計る。
遠く遠く、出来れば繁華街の雑踏の中とか大勢の人の中へと紛れ込むのがベスト。

 “俺みたいな雑魚は顔さえ割れてなかろうから。”

割と組織立ってた集まりによる密売グループの、されど末端の使いっ走りにすぎなくて、
なのに兄貴分からカードみたいのを預かってたので追われてる。
今宵構えられていたのは 半グレや学生向けにばらまいているドラッグの取引だったが、
どうやら公安系から目をつけられていたようで、
取り引きの現場にて相手もろともに包囲されており、
蜘蛛の子を散らすようにばらばらに逃げるのもいつものこと。
大かがりなマフィアだ何だというよな規模でもグループでなし、
銃撃戦になるとか投光器であちこちから照らされて包囲されるという段取りでもなし。
せいぜい、販路を絞る情報欲しやってレベルの所轄の捕り物なんだろうから、
逃げのびれたら御の字で、また別のグループに混ざればいっかと軽く考えてたが、

 『〜〜は見つかったか?』
 『まだだ。』
 『〇〇の野郎、保険掛けてやがったんか?』
 『女んとこにでも隠してるとか。』
 『いんや、奴の女っつったら日和見のマキだぜ。
  あぶねぇってなったら親だって差し出しちまわぁ。』

えッ?と、そちらも物陰で交わされていたやり取りに身がすくむ。
〇〇って兄貴のことだよな。
保険って何?
姐さんにも預けてないらしい何か?
まさか、このどっかのロッカーのカードキーのこと?
え?え?
いつもみてぇにカード入れごと“ちょっと持ってろ”って言われただけだから違げーよな?
兄貴から渡されたパスケース。
いつもはクレカ使っていいぜって意味で
1時間ちょっとほど時間つぶししてる間に飲み屋に行ったりしてたんだけど。
他のカードにそんなやべぇのまで入ってるなんて聞いてねぇし。

 『奴の下についてたガキはどうしたよ。』
 『▽▽とヤスか?』
 『見張りにたむろってたはずだが、見当たらねぇ。』

え?え? ヤスって俺ンことか?
そこまで絞られてる感じ?
やべーよやべぇ。これこのまま持ってちゃまずくねぇか?
そんなこんな、どんどん焦り出したところへ、

 「そこの君、ちょっと。」
 「うわぁあっ!」

いきなり大声出されて、声をかけてきた方もうわぁアッと文字通り飛び上がってる。
何だよ お前はよと、ついつい突っ込んだってしょうがないだろ。
物陰に隠れていたつもりだったが、気配を隠し切れていずであっさり不審者として見つかったまでのこと。
自分だとて大声をあげたというに、それへとびっくりしてわっと声を上げた相手をぎろりと睨み、
こんの野郎と掴み掛かりかけたその間合い、

 「何だ、今の声。」
 「まさか、ヤスの奴か?」

一気に隠しもしない大兄貴たちの胴間声が鳴り響き、辺りを睥睨している気配がして、

 「え?え?」

当然のことながら状況が判ってないのだろう、
俺へと声掛けてきた坊主があたふたしているのをとっ捕まえ、
逃げるぞと無理からその腕を引っ張る。

 「え? あのっ、何なんですか?」

いいから来いっての…っと
強引に手を引きつつ駆け出せば、
パンって乾いた音がして、耳元近くでちゅいんッとつむじ風が唸った。
うあぁ、まじでヤバいぜ、恨むぜ兄貴。

「え?え?今のってもしかしてピストル?」
「うっせぇなっ、いいから走れよっ。」
「なんでボクまで?」
「ついでだついで。」

自分でもよく判らない。
まだ自分こそが一番の下っ端なのに、こいつ置いてっちゃまずいと直感で思った。
何でか置いてっちゃまずいとそう思った。
いつも こんくらいのヤバい場面ってぇと、そう連れと一緒な時が多かったからかも。
独りで逃げるのがヤだったか、置いてったら色々聞かれて、俺への餌にされんじゃないかとか。

 “…あれ?それは無視していいんじゃね?”

とか、一応あれこれ思ったが、ほぼ反射的なもんだった。
いかにも良いとこの子みたいな清潔そうな身なりの、
それにしては夜中なのにあんなややこしいとこに一人でいた、白っぽい頭の変な奴。
引き摺りそうなほど長いベルトが、何かの尻尾みたいにひらんと泳いで
先っぽがつるんと光ったのが、駆け出す加速の舵を取る尾びれみたいだった。



     ◇◇


なかなかに物騒な事態の出來だが、
此処ヨコハマの裏社会じゃあ別段珍しくもない出来事でもあろう。
反社系下部組織のちょっとした後ろ暗い取引と、それを嗅ぎつけていた軍警の捕り方と。
尻尾を掴まれちゃあこれまでだと、一味の方は泡食って散り散りに逃げ出したのだが、
逃げた中に曰くのあるのが混ざってたらしく。
上の顔役の目を盗み、情報をこっそりと他所の組だか公安だかへと流してた手合いがあって、
今宵の取引がおじゃんになったなら、その騒ぎに紛れて高跳びしようと構えていたらしく。
手土産にと持ってくつもりだった情報のメモリ、
身に着けていてはヤバいかもとの用心から、どこぞかのロッカーへ預けていたのだが、

 「何だってまた、それを三下に預けてんだ阿呆。」

大した情報でもなさそうだが、顔をつないだのが手の内の部下だったので、
まま顔を立ててやるかと話を聞いて、
何ならそのまま情報屋にくらいは使ってやれやと、
身内の末端につくことを飲んでやったので仕方がない。
手土産とやらをちゃんと持って来れたらというのを条件に、
さあどんな按配なんだとわざわざ状況を見に来れば、
時々パンパンと銃声が立ってる失速気味な追いかけっこ状態になっており。
こっちに逃げ込む手筈になってたチンピラくんは
だがだが肝心な上納品を取りこぼしており、
しかもしかも……

 「何でまた、あいつまで混ざってるかな。」

苦虫を噛み潰すというのはこういうお顔だと、
きっちりとお手本になれそうなほど歯ぎしり付きで苦々しい貌をしたところ

 「そなんだよね。
  化け物級の途轍もない相手には果敢になるのに
  なんだってまあ一般人クラスのチンピラ相手だと振り回されちゃうかなぁ。」
 「どわぁっっ!」

気の早い幽霊みたいに
気配もなく寄って来、背中へ貼りついてそんなお声をかけてきた人物があり。
いくら“地獄の使者”と例えられる側が板についてる御仁でも、
そんな級のお人にさえ気配を読ませず悟られぬよう不意打ちされちゃあ
どひゃあと飛び上がりかかったのも致し方ない。
潮風にも揺らがない帽子が吹っ飛びかかったのを手で押さえつつ、

 「…っていうか、社員の監督くらいしっかりしとけってんだ。」
 「うんうん。国木田くんに伝えておこう。」

噛みつかれるのもいつものこととて、今更動じない長身のイケメンさん。
せっかくの蠱惑的なお顔へ陰影を落とす蓬髪の陰で、他人事のように何度も感慨深げに頷いてから、

 「とっとと切り上げて直帰扱いにしたいから、
  よければ手伝ってくれないかなお二人さん。」

そんな勝手なことを言いたてたのは、さてどこのどなただったでしょうか?




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