月下の孤獣


□月下の孤獣 5
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深みのある真紅の敷物や段通、
落ち着いた色合いのマホガニーや黒檀を用いた、シックで高価そうな調度の数々。
機能美のみの整然とした空間ではないが、
ゴシックだのロココだのという華美な装飾に走るでなく、
執務のためというより 謁見のための私室風にという雰囲気にしつらえられているのが、
ヨコハマの闇を統べるポートマフィアの首領、森鴎外の“執務室”であり。
表向きの看板、某優良商社の本社ビルの最上階、
弦楽団を置いてのちょっとした舞踏会でも催せそうなほどの広さと、
天井を高くとっているので二階層分はあろう広々とした空間は、
海側の壁の一面ほぼ全部が強化ガラスをはめ込んだ格好になっているというに、
そこを全開にしていても、印象はというとあくまでも暗くて重い。
主人の肩書も含め、通されたそのまま 得も言われぬ威容に圧倒されてしまい、
良くも悪くも背条が伸びるか、逆に途轍もない圧を受けたそのまま潰されそうになるか…なはずだが、

 「もしかして芥川ってお人を攫って来いっていう任務を仕損じたことへの罰ですか?
  それとも、太宰さんを見つけた報告しなかった罰ですか?」

一応のわきまえなのか、相手が座している上座へまで詰め寄りはしないまま、
それでも それははきはきと元気良く、
長テーブルの対面から 高射砲ばりに勢いのいい文言を波状攻撃のように繰り出している青年がいる。
いい陽気になりつつある頃合いだというに、漆黒の長外套に身を包み、
襟元も顎先までかぶさるようなハイネックなそれと来て、
いかにも怪しそうな風貌の輩かといやあ、本人を見るとそうでもない。
銀髪に近い白髪に 肌の色も随分と薄く、
意気軒高な気勢に合わせ、やや力んだまま見開かれた双眸は、
明け方の空を映したような紫と琥珀の淡い玻璃玉のようで美しく。
とはいえ、では欧米の血が入ってでもいるものかといや、
お顔のこしらえは すんなりと清冽な整いようで、中性的に見えての愛らしいくらい。
そんな風情だというに、顔から気勢から険しく尖らせての喧々諤々、
仕えている最上級上司様へ容赦なく噛みついているのだから
事情を知ってる者がいたらば腰を抜かすか右往左往するよな様相であり。

 「いやいやいや、そういうわけじゃあ…。」

こうして真っ向から苦情をつけつけと言い募ること自体畏れ多いこと、
裏社会をその手に統括なさっておいでの首領様への不敬にあたるというに。
そして、そんな基本的なことくらい、
陽が東から昇ること以上の常識として この子には 叩き込まれていることだろうに。
言いようからして“自分に非がある”と そこは判っていながらも、
だからってそれはないでしょうと、もっと大事なことのためだといわんばかり、
噛みつくような勢いで鴎外に向けて問い詰めに掛かっている敦であり。
一方で、

 “やれやれだねぇ。”

鴎外としては、この、ちょっと子供じみた物言いで、見るからに子供じみた拗ね方をし、
いかにも不満ですという心根を隠しもしないで、
畏れ多くも首魁様へ険のある顔を向けている少年が、それでもやっぱり可愛くてならぬ。
日頃はそりゃあお行儀もよくての大人しく、
才気煥発なところもあるくせに 大人たちの言いなりになっているかのごとく、
非の打ち所のない“いい子”でいる彼で。
誰がどう挑発しようと、皮肉や厭味を投げかけられようと、
時に自分がドジっ子だったからすみませんと即妙に引き取ったり、
相手によっては“やあ構っていただけて嬉しいですぅ”と喜んで見せたりし、
場の空気や事態の流れ、それは器用にも収まりよく畳んでしまう。
よく言って“いい子”だが、自分を晒さない、油断をしない慎重な子でもあるものだから。
そこのところが透けて見えてしまうほど、こちらも色々と錯綜した大人である身には、
自分が相手でもそんな態度でいられることが何とはなく歯がゆくもあり。
偉いお人だ、怖いお人だと尊敬されてはいるようだけれど、
信用されていないのか、いやさ安心できぬと思われているものか、
一線引かれたままというのは何とも口惜しい。
人の機微にもようよう通じ、それは鮮やかに振る舞えて、
何と言っても 裏社会で育ったとは思えぬほど 利他的で、
労を惜しまず手を尽くしてくれる、案じてくれる優しい子だというに。
いずれも練達で名の通った上位にいる顔ぶれには 才や人柄から等しく可愛がられているほどの
こんないい子にすっかり凭れられてないなんて、
せいぜい 目を掛けてくださる人へのご恩返しレベルの思い入れしか
持たれてはないなんてのが悔しくてならぬと。
もしかしてそれって片恋の焦燥ではといわれそうな、
微妙な煩悶を抱えてしまいもする“敦くんシンパシィ”たちなのであり。

 “これも一種の平和ボケなのかねぇ。”

今の今も、それは勢いよく非難されているにもかかわらず、
ああやっと素顔を覗かせてくれたねぇという
親心みたいな甘酸っぱい心持ちが沸いてくるのが自分でも可笑しくて。
紅葉くんが、いやいや太宰くんが聞いたらば、
それこそ胡散臭いと言いたげに酸っぱそうな顔をしたに違いないねぇとも思いつつ。
肘をついての重ねた手の甲の上へ顎を載せ、
やや年寄りじみたポージングのせいでちょっぴり前かがみになっていた猫背を起こすと、

 「ともかく落ち着いてくれないかね、敦くん。」

こちらから口を挟む暇間さえくれないようでは話したくとも話せないよと、
白い手套を履いた手を立てつつ、まあまあまあという合いの手を入れる。

 「うん、確かにキミが紅葉くんから預かっているあの女の子、
  鏡花ちゃんへ とあるお願いをしたのは認めるよ。」

くどいようだが、異能も人性も仕事の手際の良さも 他とは代えがたい存在である秘蔵っ子。
なので、どんな裏打ちがあっての自信か知らぬが
ただただ尊大で上から物言う連中からの依頼に応じる義理も無けりゃあ、
たかだか70億ぽっちの代替として “どうぞ”と差し出すつもりも元からない。
なのでと目を付けた、やはり獣の異能を持つらしい青年を
彼こそご依頼の異能者ですと突き出すプランを立てたというに、
そんな対象の傍に なんとあの鬼っ子だった太宰も居たとあっては、
成程 かつて世話になってた敦の矛先が鈍ってしまったのも頷けなくはなく。

 「でも、大したお仕事じゃあない。太宰くんを此処まで連れてきてほしいって。」
 「…はい?」

だからね、
あの太宰くんが探偵社に居るから君もびっくりして手を引いてしまったんじゃないかって。
そんな格好で障害になってる人、
交渉が済むまで此処に居てもらえば良いとは思わないか?って…と言いかかったところ、

 「まだまだあんまり人慣れしてない鏡花ちゃんへ、言葉巧みにそんな“お使い”をさせたんですね。」

皆まで言わさず、
そんな言い回しであの子に自発的に略取なんて真似をするよう持ち掛けたんですねと。
淡色の眉を双眸ごとギュウとしかめた愛し子なのへ、あわあわと戸惑ってから

 「だから。太宰くんの異能は覚えているだろう?」

いたいけない子供を言いくるめるとは何て恥知らずなと、一語一語を噛みしめるように受けて立つ少年だったのへ。
今日の虎の子くんは微妙に沸点が低いらしいと今更気づいて あわわと焦りつつ、

 「元からなのか、それとも何時どこから襲撃食うか油断ならぬと構えてそうなったのか、
  ほぼほぼ開放型の“異能無効化”なのだよ?
  彼女の異能が暗殺向きの殺傷力高めのそれであれ、触れたらそのまま消されるのがオチだ。」

 「それは…。」

そうと言い募られて、
テーブルの上へ身を乗り出すようにして抗議していた白の青年の気勢がやや削がれる。
自分の保護下にある子なのに、断りもなく勝手に連れ出して任務を与えるなんてと
子を取られた親のように怒かってさえいた敦だが、
太宰を攫って来いとはまた、聞かされた身としては何とも微妙なお使いだったからで。
確かに鏡花の異能は太宰へは働かぬだろうし、
彼女自身も紅葉の指導を受けており結構な小太刀捌きをこなせる身だが、
殺害せよというのではなく攫って来いという指令なだけに、
真昼の雑踏や宵の繁華街を棲み処とする身の人物へそうそう大胆に襲い掛かれはすまい。
自棄になってコトを起こしたならならで、
体術はさして心得のない人ではあったが
それでもかつて荒事の現場にも頻繁に立ってたほどのお人、切り抜けるすべはお持ちだろう。
はっきり言って太宰の側への案じはない。
ただただ、巧妙な言いようで鏡花をそんな任務に向かわせたというところがどうにも飲み込めない。
現に今の今、まだあの少女の行方は杳として知れないのであり、

 「面識はあろうし、土地勘もある子だから迷子にはなるまい。
  何より、太宰くんが標的の傍にいることが
  君の任務遂行の障害になってると言ったら素直に請け負ってくれたがね。」

ふふと笑った首領様だったのへ、やや俯いていた虎の子の少年。
その手元がいつの間にか虎の爪を剥き出しにしたそれへと転変しており、
ギリギリとクロスごとテーブルの端を鷲掴み、
結構 頑丈で銃撃戦になれば障壁の代わりも務められようそれを、
素手でぺきぺきパリパリ握り砕いていることへと気づいた鴎外が青ざめてしまったところへと、

 「で? その結果はどうなったんです。教えていただけるんでしょうね?」

素直に地を出せばいいというなら、ご遠慮なく言ってくださればよかったのにねぇと言わんばかり、
例がないほどの正直なそれなのだろう 憤怒の滲んだ低くて凄みのある声を
床に一旦落としてから迫り上げるような響きで寄越した、
ポートマフィアの白い暗器、鏖殺の白虎くんだったものだから。

 「怒ってるね、ごめんごめんよ、いい子を怒らせるとおっかないって忘れていたよ。
  頼むから執務室の中だけにとどめてね、
  外にまで響く壊しようをされると誤魔化しが効かないからね。
  他の者はともかく、紅葉くんとか中也くん辺りに知られると……
  わ、わ、敦くん、その燭台は替えが利かないから手荒に使われると…っ!」




to be continued.




 *微妙に見切り発車ですが、
  原作沿いのお話、行ってみます。
  ドキドキドキ…



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