月下の孤獣


□月下の孤獣 3
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日之本の伝統色で言うと深みのある猩々緋、
クラシカルなクリムゾンとでもいうものか。
落ち着いた深紅を基調にした、分厚い段通や品のある調度が据えられたシックな広間は
ちょっとした講堂くらい広々としており。
天井から足元までという、ある意味で壁の代わりのような大窓を海側一面にしつらえていて。
スイッチ一つでゆったりと開閉する緞帳ばりのカーテンが引かれると、
初夏の真昼でも深夜のように濃密な暗がりに満たされる。

 「敦くん。」

本日はいいお天気なのでか、カーテンも引かれずの明るい空間にて、
それは素晴らしい青空を借景に、奥まった上座に坐した首領様が呼び立てた部下と向かい合っており。
窓辺側の開いた空間では、赤いドレスを着た愛らしい幼女が一人、
ベロアのスカートを花のように広げてカーペットの上へじかに座り込み、
大人たちのお話には関心ありませんということか、スケッチブックを広げて何やらクレヨンでお絵かき中。
部屋の中央には、随分と格の高いそれだろう純白のクロスを敷いた会食用のダイニングセットを据えていて、
デスクもないではないが、部下との対面にはそのテーブルの上座に坐し、
両肘をついてのその顎先に手套を嵌めた両手を組んだブリッジを渡し、
フランクリーにも威容重厚にも見えるよう構える首領様なのもいつものこと。
余程の突発的な事態でもない限り、
このように首領という組織のトップと直に対面してお言葉を頂くというのは
それなりの格なり階級なりを得た存在でなければ有り得ないことで。
本日只今、首領様に召喚されての向かい合っているのは、
年齢こそ十代という若輩の少年だが、
こちらで揉まれた履歴は既に7,8年となろうかという中堅手前というから人は見かけによらない。
両手を後背へと回して腰の後ろに組み、背条をまっすぐ伸ばすという恭順の姿勢も堂に入っており、
襟元を幾条かのベルトで留めてハイネックとした黒外套は膝丈で、
夜を支配する一党の身内には相応しい黒づくめないでたちだが、
それにしてはそれをまとう存在がどうにも白い。
色素の薄い体質か、髪は銀色をおびた白で、素肌も日之本の生まれにしては随分と白いし、
双眸に据わった瞳も、澄んだ紫とあわい琥珀が入り混じった玻璃玉のようなそれであり。
何とも淡く透き通った印象のする見栄えであるその上に、
だったら欧米の血筋かといやぁ、それは繊細な風貌をしており、
しかもしかも若木の如くにしなうような痩躯と来て。
漆黒の鏖殺集団の一員というよりも、神秘をまとった月よりの使いと言った方が通りそうな佇まい。
とはいえ、そこはポートマフィアの首領と直々に顔を合わせて対話できるだけの人物ではあって、

「先の任務、失敗に終わったそうじゃあないか。」
「はい。申し訳ありません。」

そのような負の報告でも悪びれずにはきはきと口に出来るから只者ではなく。

「確かに日を限ってはいたけれど、期限はもっと先だと言ってあったよね?
 まだまだ接触する機会は作れように、もう諦めてしまうのかい?」

問いかけというより諭すような口調で紡いだ首領様だったのへも、
特にたじろぐ様子はないままに応えを返す青年で。

「相手の属すところがところ。天下の武装探偵社ですからね。
 略取の対象と知られては警戒も強まりましょうし、何故標的にされたかという探りも入りましょう。」
「うん。それはそうだろうが、だからこそ畳みかけるという手もあろうよ。」

キミの異能は尋常ならざる体機能を発揮しもする。
相手の異能も今のところは物理的なそれだそうだから、相性もさほど悪いことはないと思うのだがと、
名のある名匠の手になるそれだろう品のいいティーカップを持ち上げ、香り高い紅茶で口元を潤す首領様。
何とも優美なそれを姿勢のいいまま見やっていた黒装束の青年は、だが、

 「…もしかして、対象の青年へ情を掛けてしまったのかな?」

そうと続いたお言葉へ、ちらと視線が揺らいだ。
痛いところを衝かれたためかと、眉を上げかかった鴎外だったが、
やはり何かしら取り繕うような様子も見せぬまま、
そこまでとは打って変わってしょぼんと眉を下げてしまった虎の青年は、

「ただ悪手を踏んだだけですよ。
 初めて部下というものを配されて浮足立っていたものか、
 街なかでの発砲などという騒ぎをどう収めたものかと混乱しましたし。
 それにしたって70億をふいにしたのは相済みません。大きな損失ですものね。」

「…敦くん。」

失敗したらば すぐ素直にすみません、3つのSを必ず守るいい子なのは常のこと。
ただ、今回の任務は微妙な裏事情もあるため、単独任務専任だった彼に託したのでもあって。

 「私としては、この依頼の標的がもしやしてキミなのかもしれないとの恐れもあるのだよ。」

随分と威張り腐っての大上段からという格好で届いた依頼は、
北米の “組合(ギルド)”という組織からのもので、

 __ その身へ獣の特性を降ろす異能の持ち主を見出して略取して来てほしい、というもの

この中島敦もまた、その身に月下の飢獣、それは巨大な白虎を降ろす身。
若しかしたら、その依頼の求める存在とは、こちらの彼なのかも知れぬと、
するりと想いが至ったのは首領様ほど切れ者でなくとも容易な推理ではあったれど。

 おやおや奇遇ですな、ウチに居ますよそんな異能の持ち主が…とは運べなかった鴎外殿。

なので、同じ条件であろう黒獣の異能を持つあの彼を 熨斗つけて引き渡してしまえば、
依頼主はもとより、虎視眈々と裏社会の雄の座を狙う輩へも、
はたまた 敦を贔屓とする身内へもと、多方面に義理も立つ。
依頼してきた“組合”とやらの胡散臭い肩書は、確かに政府筋が制止できない高次な保障にもなっていたようだが、
ヨコハマの異能を持つ者らを把握していよう異能特務課やポートマフィアを意のままに牛耳るには微妙に資格が足りぬ。
無いはずの機関や裏社会の非合法組織に外交官特権なぞ通じない。
そこでということか挨拶代わりのように大枚積んで見せた相手だったが、
その程度の対価なぞ笑って蹴飛ばせる此方であること見せつけたっていいのだし。
なので何も恐れることはないのだと続けかかった首領様だったが、

 「ボクが 70億ですか?」

まだ具体的な手配書こそ回ってはないですが、先だって軍警に写真撮られてしまったような愚図ですのに?
小首をかしげて言いつのる事態は、彼自身の言うように当人がしでかした失態のはずだが、

 「それに関しては、真の事情も知っているよ。」

飄々としていて、だというに古株から可愛がられている彼であることを、
単に見栄えや調子の良さから贔屓されてでもいるのだと勘違いをしている顔ぶれがあり。
ずっと秘蔵っ子として鴎外直属ならではな特別の任ばかり負っていたため、
どれほどの貢献がある身か下層の存在にはまるきり知られていなかったことや、
彼の教育係だった存在が “あの裏切者の”という形でしか記憶にないらしい層であることが重なって、
この青年を良く思わず、
目に見える失態を負わせれば上の方々だって見限るだろうなんて浅はかな腹積もりから
わざとに足を引っ張るような真似をし、
彼の姿が監視カメラに映らざるを得ないような運び、
つまりは自分たちこそ失態を散々やらかした馬鹿どもの仕業なのであり。

 『それこそ首領が気付かぬとでも思っていやったのだろうかね。』

確かに、表向きの交易商社の方も手広く展開させている身ゆえ、
こまごまとしたことへまで監視や詮索を入れるほど暇ではない御方だが、
それならそれでという耳目役も抱えておいでだし。
それより何より、風貌は二の次、異能は単なる切っ掛けに過ぎず、
当人の機転や気性も含めた秀でたところを愛でている秘蔵っ子なのであり。
尾崎幹部が呆れて失笑しつつ、
そのような流れを作った愚かな連中をまとめて“準謀反”という罪状で引っくくり、
表向きには身内の妬みとは情けない、反省を促すという形で、
見せしめも兼ねて 拷問室へ引っ張ってゆき、苛烈な仕置きをくべてやったとかどうとか。

 「キミはいつだって私の意を酌んでそれは見事な働きを続けてくれている。」

連中が思うほど、親ばかな感覚で可愛がっているわけじゃあないし、
ただただ悧巧で冴えた思考をし、機転の利くところを、使い勝手のよさとして重用しているわけでもない。
束ねる立場のお人がどれほど懐深くとも、看板へ泥を塗られた格好の恥辱は拭わねばならぬ。
高尚な理念や何やが判らぬ層を抱えている以上、
手足でもある彼らが単純なものであれ不満をくすぶらせるのは良くないし、
相手方の下層構成員から一方的に馬鹿にされるのも忍びない…という
組織ならではな掟や裏社会ならではな恩讐大事という方針もこの若さでしっかと心得ており。
そのうえで、いつもいつも真っ直ぐな目でこちらを見、無垢な笑顔を見せてくれるのが何とも言えず癒される。
今更良心が疼くのどうのと、蹴落としてきた数多の亡霊たちから嘲笑われそうな殊勝なことは思わぬが、
それでも時には清いものに優しく見据えてほしくもなるのへ、この子はそりゃあ素直に応じてくれるから。
こたびの依頼を請け負ったものの、
この子をハイどうぞと差し出すことは出来ないとそりゃあ自然な選択として思い及んだというに。

 そして

地獄のようだった孤児院からともすれば助け出すような形で引き取った関係上、
組織へ、自分へ、心からの忠節誓ったそんな彼だと判っているからこそ、
こたびのとんでもなくはっきりくっきりと思い切った格好の“失敗”は
何ともわざとらしい故意の匂いがしてしょうがないと。
上手の手から何とやらじゃあないが
突発事態や偶発的な不手際が重なった末の失態というのを
どこにも不自然な破綻の無いよう、上手くまとめたようにしか思えなんだものだから、
わざわざ呼び立ててその態度で見極めんとした鴎外だったのだが。

 “それへの引き合いのようにして、軍警に出回ってしまった写真の話を持ち出すとは、”

こぉんなドジっ子なんですよと、選りにも選ってそれを持ち出すか。
そこを“だってそれはこういうことだろ”と説いてほぐすのに手間を掛けさせる
いわゆる “面倒臭いちゃん”に成りすます、ある意味周到なところが恐ろしい。
他でもないこの権謀術数に長けた鴎外でさえたじろぐことがある辺り、
自身が見初めた双黒の一翼、直系師弟筋がアレなだけに恐るべしと、
またまた翻弄攪乱されかかった首領様。
うぬぬと胸の内にてあれこれ爪繰っての果てに、

 「そうそう。そういえば太宰くんが武装探偵社に居たらしいね。」

攻める角度を変えようかと、そんなカードを切ってみたところ、
どんな反応を見せた白虎の青年だったかといえば…。


to be continued.




*敦くんがポートマフィアの構成員で、芥川さんは武装探偵社に入ったばかり。
 Beastっぽい配役ですが微妙に違います。
 設定的には原作基盤、ポートマフィアの首領は森さんですし、
 織田さんを捨て駒にして異能許可証を得ようとした森さんにご立腹した太宰さんは、
 4年前にマフィアから離脱して、戸籍を洗ってののちに陽のあたるところで生活を始めております。
 敦くんと芥川くんの立ち位置だけ入れ替わってるという感じでしょうか。
 太宰さんに育てられたのでちょっとばかし(?)別人はなはだしい敦くんです、すいません。


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