短編

□夜桜花霞
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春の夜陰の任務の後で、ふと夜桜に気づいた中也と芥川で。


もやんとした霞のかかった夜空に、
煮凝りみたいな月が浮かんだ春先の更夜歩きは、
心持ちが何とはなく浮かれてしまうから困りもの。
春の宵といやぁなんて
昔からの季節につきものな風物詩だったように言われがちだが、
はるかに大昔、戦国の世あたりならいざ知らず、
江戸時代なんぞは、
治安維持のため 夜更けになるとご町内毎に“木戸”を閉じ、
それ以降に出掛けるには、
当番の家の人に開けたてを頼まにゃならなんだ。
勿論、用もないのにぶらついておれば、
見回りの岡っ引きの旦那に呼び止められるのは必至。
要は出歩くことに制限があったので、
夜桜見物と言ったら
郊外に 立派な一本桜つきの
“寮”(と呼ばれる別邸)でもあるよな御大尽でもない限り、
それが向島でも上野でも、
昼間の花見のあとは
宵の口の内にとっとと帰るしかなかったのだとか。
まま、そんなうんちく話は置いといて。

 「……へえ?」

まったりとした夜陰の陣幕の前、
自分でも仄かに光を宿しているかのような、
不思議な緋白の花たちをみっちりと、
まるで大奥の上臈の打ち掛けもかくやと
風格添わせて艶やかにまとった満開の桜たちは。
観る者もない寂寥を、だが、物ともせぬ気高さもて、
人の気配のない堤防沿いの煤けた道沿い、頭上の月とだけ対話しているかのようで。
わざわざこれを目指して来た訳じゃあない身には思わぬ僥倖、
想いも拠らないご褒美のような出会いとなったものだから。
おやまあと一瞬ほど気を逸らされたのは、
ほんの数刻ほど前まで
所謂 修羅場に身を置いていたポートマフィアの前線コンビだった。





 「…っ。」

ひゅっ、と。
風籟さえ追い抜く素早さで、漆黒の空を飛んで来たナイフを、
僅かほど身を逸らして避けると、
そこも算段に入っていたか、
避けた先の頭を目がけて飛んで来た第二陣は異能による鞭で弾き飛ばされる。
命あるもののように自在にしなって
主人の衣紋へと戻った黒獣の堅固な盾に庇われたものの、
ただ単にそちらの戦闘のついでに為したこと。
守られた格好の人物もまた、そんな流れは判っているようで、
余計なことをしやがってと言いつつ、それでも余裕の笑み浮かべており。
そんな助力なぞなくとも問題などなかったのがうかがえる。

 「異能もねぇ身にしちゃあ、鍛錬積んでて感心なこった。」

血気盛んな相手方の何人か、一気呵成に仕掛けて来るのを
こちらは優雅にも舞うよにひらひらと躱しつつ、
見通しのいい、しかも無人だろう丘を目指して上がって来たのも、
実をいや段取りのうちの分散術だったに他ならず。
砂利交じりの土を踏み締め、
さりげなく腰を落とした構えは、
軽口を叩いた飄々とした様子を裏切って
なかなかの心得と肝の座りようを感じさせるそれであり。

 「……。」

古倉庫の残骸に添う斜面(なぞえ)の際、
ぎりぎりで夜陰の中に没している何物かも居るのが窺える。
一人二人では無さそうと踏んだその微かな気配が、
だが ぎゅうと一瞬で凝縮するのを、

 「…。」

深々と吸い込んだ呼吸と共に把握したその上、
しかもニヤリと笑うところが只者ではない兄様でもあって。
そんな笑みを挑発と取ったかどうかも判らぬほどの俊敏に、

 ざしゅっ、がりりっ、と

様々な方向から一斉に、
ぼんやりした夜陰の垂れる幕を引き裂くようにして、
何人かの疾風のような殺気が錯綜して翔った。
ある刃はぶつかるかのような勢いのいい直進で真っ直ぐに、
また ある者が振りかざした鉄パイプは
手前で跳ねて頭上から渾身の力を乗せて落とし込むように。
数本の小柄を投げ打った者もあれば、
周囲を旋回して脇手から横薙ぎに振り払われた、
小ぶりな重しのような得物もあったようだが、

 それらを一つも余さず
 完全に拾い上げた、体術によるガードの厚さもまた凄まじい。

目潰しにか飛んで来た礫(つぶて)と何本もの小柄は
軽やかな身ごなしと共に高々と蹴り上げられた靴の爪先で難無く弾き飛ばし、
一直線に突っ込んで来たナイフ持ちの手合いは
切っ先をわずかに避け、柄を握った手許を横薙ぎに叩くことでそのまま後方へ受け流しの、
反転させた身が返る勢いをそのまま生かし、脇へと襲い来た長刀を横薙ぎに拳の甲で払いのけ、
上から降って来かけていた手合いには
鉄パイプという得物ごと手首をひっつかみ、そのまま大雑把に横へ振り投げて叩き伏せのと。
向こうが一瞬という狭間へ大勢で詰めかけて、四方八方から一斉に畳み掛けて来たのへ、
こちらはたった一人にて、
やや小柄なその身を撓やかに操り、
まるで打ち合わせのあった舞踏もかくやという機能美あふるる無駄のなさで、
右へ左へ上へ後ろへと、全てを捌いてしまった鮮やかさよ。

 「…っ。」
 「なんて奴だ。」

特殊な異能でもって躱しているのではないし、
そうだとしたって別に卑怯な仕儀じゃあない。
裏社会の仁義なき諍い、
そもそも掟破りをやらかしたからこんな事態に追い込まれているのだろうに、
綺麗ごとを持ってくる方が甘すぎるというもので。
歯が立たない現状には変わりなく、
見極め出来ない格上の相手の無敵に近い実力差に、今更ながらに怯んだか。
結構な頭数がいてこその威勢のよさも、
話が違うと尻込みする手合いが増え始めると、臆病風はあっという間に蔓延したようで、

 「お、俺ら関係ねぇし。」
 「そうだぞ。こ、こんなマジもんのやくざが相手だなんて聞いてねぇ。」

いきがってた顔をあっさりと引きつらせ、薙ぎ倒された仲間にも目もくれず、
文字通りのへっぴり腰になって後ずさりを始める面々と、

 「な、何 勝手に言い出しやがんだよっ。」
 「裏切んのかよ、〇〇の兄貴に言い付けんぞっ。」

敵を前にこんな言い合いを始めるあたり、
本当にガキの集まりでしかなかったらしいことも窺えるというものだが。
自分たちの今現在の立場が分かっているものかどうなのか、
捨て鉢半分なのだろう結構な物言いへは、
まるで追い打ちをかけるよに マフィア側の幹部様が低く笑って応じて差し上げる。

 「〇〇の兄貴とやらは、とうに組の代貸が俺らへ差し出して来てんだがな。」

シマで勝手をやらかした莫迦がいた、
こちらの不行き届きは認めるし、後日どんな制裁も受けましょう。
その印にコトの元凶を差し出しますと、
既にぼこぼこになぶられた後らしき青二才が、荒縄で縛り上げられて項垂れている無様な画像。
そのくらいの情報なら寝ぼけていても収集は容易い、
相手のリーダー格だろう数人の、スマホへピロリンと送ってやり、
結構な活劇の間も揺るがなかったつば付きの黒帽子の下、
端正だからこそ凄惨な色合いになろう、凶悪な笑みでにやりと笑ってやった中原幹部。
潮風に外套の裾がはためき、ばさりという重々しくも不吉な衣鳴りを爪弾いて。
そんな彼のやや後方に、そちらも漆黒の長外套をまとった青年が声もなく立っていたが、
足元や後背の地べたには、身体に穴が開いていよう、それでも何とかとどめは刺されていないがため、
空を引っ掻くようにもがいている残酷な供として従えており。

 「…。」

寡黙な佇まいの口許へ拳を寄せ、こほりと小さく咳き込んだ様子が、
もしかして病弱な人なのか?なのにこの戦果だってのなら、
成程自分らは途轍もない考え違いをして、触れてはならない鬼たちへ喧嘩を売ったらしいと、
今さらながら気づいたそのまま、みっともなくもへなへなと座り込んでしまった やんちゃどもだったとか。




本来なら彼らのようなずんと高位の幹部らが直々に出て行くほどの案件でもなかったが、
よそ者やら若年層やらに名を馳せていたらしき新進の集団だったのでと、
見せしめというお題目をくっつけた殲滅を手掛けた幹部様たちだったのであり。
完膚なきまで叩き伏せたあとは処理班に任せて、
ひと暴れした後の身、のんびりと帰還の途につきかけたそんな視野の中へと
ふわり、木の葉擦れならぬ花枝擦れのざわめき付きで波打って揺れたのが、
ちょっとした並木になっていた桜の帯で。

 「こんなところに穴場があったとはな。」

物騒な土地柄、しかもやや場末だったので、
昼日中ならともかくこんな夜更けに
公共の交通機関からも遠い、
ほぼ機能してはない堤防までわざわざ出向いて来る酔狂な馬鹿もおるまい。
さわさわと風に揺れては花同士が擦れ合うものか
さざ波の音への応じのように、微かに衣擦れのような音を立てる桜花の群れであり。
自ら淡い光を滲み出させているかのように、
木々の枝々にみっちりとついた花々が夜陰の中で幻想的な風景を織りなしている。
緋白の花手鞠が重なり合うての密に疎に、
彼らの頭上へたいそうな厚みでの天蓋を差しかけており。

 「…見事ですね。」

その異能で逆らうものを片っ端から刈り取ることしか知らぬ身だったはずが、
この直近、不意にひらけた様々な交友やふれあいで
いろいろと柔らかくなったところも増えたらしい禍狗さん。
感にたえたような声を絞り出したのへ、
おやおやと視線を向ければ、
内側の奥底から淡い光が滲み出しているような
そんな印象を与える白い頬へ睫毛の影が淡く落ちていて。
親しい側にいなければ知らないままだろう、実は繊細で端正な横顔に、
微笑ましいもの見るような視線を向けていたものの。
そんな帽子の幹部殿が何か言いかけたその間合いへ、

 「中也さ〜んっ。」
 「あ?」

何とも絵になる更夜の夜叉二人という構図だったものが、
それは朗らかで伸びやかな声を飛ばされ、
実際に声が出たのは中也だけだが、
芥川の側も黒みの強い双眸、ギョッと丸めたのは言うまでもなく。
つられて見やれば、堤防の上を伸びやかな影がこちらへと駆けておいで。

 「な…っ。」
 「えいっ。」

最後の数歩、焦れたか一気に飛び上がり、そぉれと飛びついてきた無邪気さは、
こんな時間帯のこんな場にはまるでそぐわむ代物で。
とはいえ、知らぬ相手ではなかったし、
このような態度や所業も、なるほど似合いの和子ではあって。

 「あ〜つ〜し〜〜。」
 「あ、すいません、重たかったですか?」
 「違げぇよ。」

ぱふ〜んと飛びついて来たのは中也の上体で、
微妙に上背が勝る身を、さりとて揺らぎもしないで受け止めた反射には一縷の無理もなく。
何ならもっと太れと再三言っては美味しいものを食べさせたおす、
愛しい対象の不意打ちもいいところな突撃へ、
叱るより先にそんな仏頂面でのお返事を返してから、

 「なんで敦連れてんだよ、糞太宰っ。」
 「私としては不本意だったのだけれども。」

やや遅ればせながら、そちらは優雅に歩いてやって来たお連れさん。
長身の若々しい精悍さに切れのある所作もそぐう、
周囲を幻惑の緋色で埋める花王にも負けない麗しさをたたえた顔容の、
探偵社が誇る稀代の策士、もとえ、遊撃参謀の太宰治が、
後輩の敦くんを連れて現れた段取りには、中也の側でもいろいろと察しは付いていたようで。

 「だって太宰さん、今日に限って定時までいたんですよ?
  これは帰りしなに芥川に逢うんだなと思って。
  それと夜桜見に行くならどこが穴場かとか卓上電算機で調べてらしたし。」

そしたら、付いて来てもいいけどすぐじゃあないよって。
中也さんのお気に入りっていう、小料理屋さんとかおでんの屋台とか教えてくれて、と。
恐らくはその中也のツケが効きそうな店々で時間つぶしをしたらしいことまで暴露してくれた
そりゃあ無邪気な白虎の少年へ、

 「…まあいいけどよ。」

言いたいことは多々あれど、
あまりにも弱い者いじめに過ぎなんだ案件を消化した直後の、
微妙に落としどころにもやんとしていた心持ち、
桜のフェイントで霞まされたその上へ、
こんなあどけない笑顔で温められたのでは文句も出やしないというもので。
そちらこそが本命だったのだろう、黒衣の死神さん、
ただし今は覇気もふしゅうと緩んで含羞みまくっている恋人さんを
長い腕で難なく捕まえた悪友さんへ、やや口許尖らせて一言突き返し。
ああほらこんな薄っぺらい上着じゃあ寒くないか、
家へ帰るぞ、何か温かいもの作ってやるからなと。
夜桜より勝さろう愛らしさ、ただし こちらも戦闘態勢に入ったら鬼も逃げ出す恐ろしき虎神の
無敵な坊ちゃんを小脇に抱え、
帰途へ着くこととした素敵帽子幹部様だったそうな。






    〜 Fine 〜    21.03.31.




 *わん、終わりますね。あっという間だったなぁ。
  さすがにヨコハマティは無理があったのか、第2期を期待してます。

  何か気が付きゃあちこちで桜も咲いて花見が始まってるとかで。
  それらしいお話を書きたいなと思ったものの、
  ついついドカバキシーンに力が入りまくってしまった、
  相変わらず荒くたい作者だったそうでございます。(笑)
  油断すると敦くんが孤獣の子になりかけるので、
  銀盤のお嬢さんをお手本に描いたら無難だったのが我ながら笑えました。




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