短編

□春の御空の揚げ雲雀
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三月中の寒の戻りが極端なそれだったせいか、
この春は微妙にスタートが遅かったようで。
それでも気がつけば桜の華やぎも過ぎゆき、これからは新緑の季節。
常緑樹の深緑から萌え緑の柔らかなそれまで、
よくもこうまで種類があるものだと驚かされるような様々な緑が
そこここに滴るようにあふれる時期となるのだが。
今はそれへの手前にあたり、
春と言うよりもはや初夏ではないかと思わせるような強い日差しに
人々は気の早い半袖なぞ引っ張り出し、
幼い和子らが噴水へ飛び込む光景が見受けられもして。

 “…ひばり。”

周囲の空のどこに居るものか、
ぴくちゅくという忙しないさえずりが聞こえてくるのに気がついて。
芥川は何ということもなく頭上の空を仰ぎ見た。
あれは“揚げ雲雀”と言って、
春先、オスが長時間にわたって囀り続け縄張りを主張しているのだと、
この家の主から教わったのはいつだったろうか。
貧民街に生まれ育ち、
幼いころから日々の飢えを埋めることしか頭にないよな荒んだ生活を何年も何年も送り、
そんな悠長なことになぞ関心さえ向かなかった。
ある人から拾われ、人並みの生活が送れるようになっても、
日々殺伐とした任務と そのまま殺されそうな訓練とに明け暮れ、
暑い寒い、風がある無しを測る以外に、空を見上げるなんて暇間はなく。
自分を取り巻くあれこれ、
もんどりうつよな波濤に揉まれていたのが何とか落ち着いてやっと、
見守るように傍らに立ってた彼の人から、
花の名や鳥の声、風の色や雨の匂いを教わる余裕を持てるようになり。
確か菜の花や桜がほころぶ頃合いに付きものなものとして、ひばりの話も聞いたのだっけ。

 「? どうかした?」

傍らにいた子が不意に手が止まったこちらに気付き、何か気になるのかと問うてきて。
いや何でもないとかぶりを振れば、家の中から電子音が微かに届く。
稼動中の洗濯機は、第2陣を放り込んだばかりだ、
仕上がったよという合図ではなかろうから何か支障でも出たものか。
ありゃとそちらを見やった少年が、ちょっと見てくるねとサンダルの足元も軽やかに駆けだして、
そんなに急がなくても…と芥川が苦笑をこぼす。
今日は皆してお休みモードで、
この住まいの当主もキッチンで何やら腕を振るっているようだし、
虎の子の少年も、途中参加の芥川に懐いて離れないのが愛らしく。
兄弟子にあたる青年の、何かと作法を心得た丁寧な手元なの、
わあと感嘆しつつ覗き込んで来るのがまた可愛らしい。
そんな彼らに招かれた格好の芥川もまた、日頃の堅苦しく重々しい黒い装束からは離れて、
こざっぱりとした白シャツにこげ茶のワークパンツという軽快ないでたちでおり。
朝から素晴らしい好天なのでと、
数日ほど滞在するこの家じゅうのリネンのお洗濯に張り切っていた虎の子のお手伝い。
風通しのいい庭の一角に設けられた物干し場にて、
多めに持ち出した竿台へ長い目の物干し竿を幾本も渡し、
シーツやタオル、閉ざされていた部屋の更紗のカーテンなどなど、
手際よく広げてはバランスよく干し出している最中で。
そんなところへのヒバリの声に、ああ長閑だなと顔を上げ、
黒い髪やら背中やら、陽に炙られて少し暑いくらいなのへふうと長めの吐息つき、
次のシーツを手に取って、片端だけ手元に残し、あとの部分を竿の上へと躍らせ広げる。
陽光を透かし、大きくひるがえる様子の鮮やかさが爽快で、
上手に広がったのを引っ張って整え、
しわがないのを確かめ、洗濯バサミで端を留めようとしかけたその時だ。

 気配を感じたのとその衝撃が襲ったのがほぼ同時で、
 こうまで間近へ近づくまで、何も察することが出来なかったのは。
 こちらが油断していたからではなく、
 相手の気配が完全に…死んだそれのよに失せていたから。

軽く引いていたシーツがその手ごとぐんと上へと引っ張られた。
何が起きたかが判らず、だが、
風にあおられたくらいではなかろう強引な力が
彼の手から白いシーツを竿ごと奪い去る。
自身の視野いっぱいに広がっていた純白の敷布が、平和な風景ごとむしり取られて、
ガシャンばさばさという、身をすくめたくなるような荒々しい音を立て、
遠くへ無残にも投げ捨てられる。
その向こうから現れたのは、それは頼もしくも広い胸元をした誰か。
生成りのトラウザーパンツにシャツ、
上着の代わりにベストを重ね着たその人は、
何の表情も浮かべぬ顔を真正面に立つ痩躯の青年へと向け、
単調な声でこう訊いた。

  ねえキミ、
  私に断りもなく、こんなところで何をしているの

「…あ。」

何の感情も浮かべぬ双眸は、
いつもの鳶色こそ変わらぬが、光を一切含まぬ虚洞のような冷ややかさ。
それは端正に整った面差しには何の表情もなく、
だが、弛緩してはないままに、
切り付けてくるような冷ややかさだけが載っており。
ああ、この顔には覚えがある。
彼の言いつけが守れずに任務に失敗した折や
訓練中に性懲りもなく指導から逸れた攻勢を放ってしまった折なぞに、
言っても無駄かと何もかもから手を放し、取り付く島が無くなったときの顔だと思い出す。
ただただ無体なまでに異能を繰り出さすよう言われ、
そのことごとくをあっさりとかき消され、
異能がなくてはいかに無力かを骨身に染ませるよう、
気絶するまで殴る蹴るという暴虐を受け続けた。
何を言ってもどんな目をしても無駄なのだ。
ああ、今の彼はあの頃のまだ10代の青年じゃあない。
ずっと背も伸び、肩も腕も頼もしいほど精悍になった男性で。
大人びたどころじゃあない、
本物の威容をおびた冷めきった顔が無慈悲に見下ろすのが怖くてたまらぬ。
呼吸が早まり、喉がひりひりと干からびる。
総身が凍ったようになったが、そうでなくとも逃げることなんて出来ようものか。
無様に避けても引き摺り戻されるだけ、そして倍は叩かれる。
4年ぶりだろう恐怖に総身が凍り、舌が強張る。
名を呼ぶことさえ憚られ、伸ばされた腕にひぃっと喉が引きつれたような音を裂いたが、

 「…。」

伸びてきた腕は自分を捕まえはしたが、けして荒々しくはなく。
逃がすまいとの性急さこそあったけれど、
しゃにむに捕まえ、そのまま封じ込めたいとすがるように、
こちらの背を肩をぐるぐると包み込み。
そうやって自身の懐へと封じた存在へ、切なる声で語りかけ始める。

「…私、これでも節制もしているし、仕事だって真面目に出ているのだよ?」

 …。

「キミが口数が少ない性分なのは知っているし、
 でも何か言いたいときはそれなりの仕草とか見せるから、結構判ってるつもりでいたんだ。」

 ……。

「でもね、やっぱり言ってくれないと判らないんだ。
 こんな、突然こんな仕打ちをされるなんて。私、キミに何か酷いことしたのかな?」

いかにも怒髪天という乗り込みようをし、
有無をも言わさず掴みかかるほど怒っている太宰かと思ったら…さにあらん。
取りすがるようなお言いようといい、ちょっぴり湿っぽい声音といい、
どうやら彼の側が芥川青年へ何かしらの許しを乞うているような様相であり。

「えっとぉ。」

嵐の襲来のような殺気もどきを感知したか、
よもや血の雨降る修羅場かと息を飲んでいたあとの二人もまた、
この急展開には何が何だかと呆然としていたものの。

「? あ?」

何処からかひらんと飛んできた一枚のメモ用紙を敦が拾い上げ、
そこに走り書きされた一文に、あ…とその幼い表情を弾かれる。
何だ何だと横から覗きこんだ中也が、
一瞥しただけですべてを察し、こちらは はぁあと深いため息をつき、
庭ばき用のサンダルをつっかけると
急転直下、どんな愁嘆場ですかというよな様相になってる二人の、
ことに…広々とした恋人様の胸元へ頬を押し付けられて何が何だかその2とばかり、
黒々とした目をぱちくりとさせている痩躯の彼へと声を掛ける。

「あのな、芥川。
 これはよほどのこと辛い目に遭った奥さんが
 とうとう堪忍しきれずに家出するぞ離婚も厭わぬぞという時に書き置いてく文言だ。」

「…?」

何がどうしてこうなったかの原因となったらしいそのメモには、

  実家へ帰ります、芥川

との一行だけが、流麗な筆跡で連ねられてあったのだった。



     ◇◇


芥川青年が かつて鬼のような仕打ちを降らせた師匠を思い起こしたほど
太宰の顔から態度からまるきり表情や感情が抜け落ちていたのは
それほど焦燥していたかららしい。
担当案件の調査の中でどうしても遠方へ飛んで証拠固めをする必要が出来。
証人を探しの証言を取りのと結構骨を折りそうな仕儀だったので、四,五日はかかろうと思われ。
其方は休暇だった芥川は、それならばと誘いのあった身内同然の中原の家へ出向いたのだが、
そちらは仕事中の太宰に遊びに行って来るとは電話もしにくく。
いつ戻ってくるか判らない太宰が 自分が不在なことへ戸惑わぬよう、
書き置きを残したらしく、その文言が問題だったわけで。
そりゃあ張り切ってお仕事に打ち込み、
予定よりずんと早く片付けて戻ってきたらば…という次第。
そりゃあもうもう、血の気は引くわ、眩暈は襲うわ、
何がどうしてこうなったと、よろめきかかった手があたったダイニングテーブルを
壁へまで力任せに突き飛ばしてしまい、
あら留守のはずの芥川さんチで騒ぎがと、ご近所さまから不審がられたらしいのは後日の話だが。

「だって、実家と言われてもどこだか判らなくて。」

さすがに何はなくとも中也の家だろうなとの目串を刺しはしたが、

 「でもキミってセーフハウスをあちこちに構えてるし。」

ヨコハマ以外だったらもうもう雲を掴むような話だしと、
どんな凶悪犯が相手でもその美麗な口許から余裕の笑みを絶やさぬ剛の者が、
しおしおとしょぼくれたように打ち沈み。

「それで発信器情報で現在位置を…。」
「ちょっと待て。」

発信器ってのは何だ、いや性能の話じゃなくてだな。スマホに装備?

「だってこんな可憐な子、放っておいたら何があるか判らないだろうが。」

現に今日の今まで行方知れずになってたんだしと、
やっと捕まえた愛し子を懐に抱え込んだまま えっへんと鼻をそびやかすから始末に負えぬ。

「太宰さん以外に羅生門かまして勝てない相手っているのでしょうか。」
「そんな奴がいたら先手必勝で俺が退治に行っとるわ。」

敦くんの素朴な疑問へは、

こちらもこちらで過保護発言が飛び出すお父さん(笑)だったりし。

「出張から戻って来た太宰さんが、
 自宅へ向かわずまずは芥川くんの家へ行くのもいつもの運びなんだ。」
「…。(頷)」

なのでという書き置きだったらしいのだが、
会話以上に書き置きまで言葉少なな誰か様だったせいで、
とんだ連休の大騒ぎとなったよで。

「私、心臓が止まるかと思ったんだからね。」

巨大な犯罪組織や、世界に名を馳せるような反政府組織でさえ、
その言動や動向へ一目置いているような策士殿が、
たった一枚の他愛ない走り書きで真っ青になってしまったのは、
言うまでもなく、それが大切な人の意思を紡いだものであったから。
そして、彼の側からも他に比すものなく大切な存在を
そうまで戦慄させただなんてと、

「…すみません。」

細い肩をなお細くも萎れさせ、
しょんもりと項垂れてしまった芥川だったのへ、

「いや、別にそんな顔をさせたいんじゃなくて…。」

ああ ごめんね、俯かないでおくれと、
淑として端正でありながら年齢相応に精悍でもあるお顔に愁いを染ませ、
太宰が柔らかな所作で手を伸べ、愛しい人の頬を包み込む。
破綻も事なきを得の、
蜜月よ再びという甘さが滲み出している二人なようなので、

「…まあとりあえず、続きに戻るか。」
「そうですね。」

おら、連休に参加したけりゃ働け青鯖、と、
図体の大きな元同僚の耳、
中也が容赦なく引っ張りながらキッチンへと戻ってゆき、

やっと解放された漆黒の覇者様は、虎の子と一緒にお洗濯へ戻る。
愛しい人へ“ではね”とにこやかに手を振り、少し高度が上がったお日様を見上げ、
ああもうどこかへ行ってしまったかなと、ひばりの声、探してみた芥川。
込み上げる笑みに、それは幸せそうなお顔だった。




  〜Fine〜   17.05.06.





 *新しい拍手お礼にしようと思ったのですが、
  何だか途中から興に乗ってしまし、長くなったので普通に投下です。
  太宰×芥川の話はおおむねネタものが多いようですね。
  私は彼らをどう把握しとるのでしょうか。(笑)
  途中で中也さんチってマンションじゃなかったかなと思ったのですが、
  物干し竿を力任せにむしり取って放り出す鬼のような太宰さんが観たかったので、(おい)
  こちらはセーフハウスのうちの1軒ということにしました。
  マフィア版の福利厚生施設みたいなもんです。(全然違うぞ)


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