短編

□大好きなあなた、大切なキミへ
1ページ/2ページ



携帯電話のメモリへ登録された番号。
だから押すボタンは1つだけでいい。
なのに途轍もなく緊張する。
押してからちょっとだけ後悔。
今じゃなくても、もう少し後でもよかったかも。
容赦なく呼び出し音がして、1回、2回。
ああでも今日は忙しいのかもしれない。
平日の予定はよく知らないが、
でもでも今日は特別な日で。
あの人はたくさんの人から好かれてもいるから、
引く手あまたで晩まで予定がいっぱいなのかもしれない。
やっぱり後で掛け直そうと、あっさり割り切り、
切りかけたそのタイミングで、呼び出し音がプチりと途切れる。

【あ】
「あっ、えと…。あのあの、えっと…っっ。」

まだちょっぴり、こなれた会話とやらには慣れないその上、
今日のこのお誘いは ある意味で彼にも恐らく想定内のそれだろうから。
余計に変な緊張がまといつき、喉を舌を、口許をきゅきゅうと絞る。
向こうのお声が聞こえたかどうか、
そんな微妙なタイミングにて
フライング気味に妙な声が飛び出してしまい。
それを繕おうと意味のない“あのあの”が続いて
早くも頭が真っ白になりかかる。
簡単な一言二言、日頃も使うよな言い回し、
しかもしかも何度もシュミレートしたはずなのに。
顔が熱いよ、息が苦しいよぉ。
ああどうしよう…どうしよう……

【…あつし。】

ふふとかすかな笑みを含んで、
耳元で誰かがボクの名を呼ぶ。
あのあのが止まらぬボクへ、やんわりとした調子で

【あーつし。】

名前だけをのんびりと繰り返す。
ああ、この声はあの人の声だ。

【あつし?】

何かの呪文みたいに、それでいて
愛しい愛しいと紡ぐよに。
甘い甘い響きで繰り返されるボクの名前。

【あーつしくん。】

きっと携帯を片手に微笑っているに違いない。
あの綺麗な青玻璃の眼を細め、
しょうがないなぁなんて、でも まろやかに。

【敦、】
「…はい、中也さん。」

もしも向かい合っていたならば
あの頼もしい手で髪をわしわしと撫でられているのだろ、
そうやって宥められてたはずな大好きな中也さんへ。
やっとのことで“あのあの”が止まったボクは、
お騒がせしましたすいませんと小さな声で謝った。
それが可笑しかったか、ククっと小さく吹き出す気配が届いたが、
吐息のような響きはそれは優しくて…くすぐったくて。
胸の底へとふわり広がって、すっかりとボクを落ち着かせてくれるから。

 ふうと小さく深呼吸をし、頑張って仕切り直し。

「今晩、逢ってもらえませんか?」

いつもならせめて前の日に聞いている。
それでなくとも幹部格で忙しい人だもの、
携帯電話だから捕まえられはしても、そこがあの本拠地の執務室とは限らないほどで。
それに、

「何かご予定とかありますか?」

あくまでも私的な記念日だから
日中はあえて触れぬままにされていて、
お祝いしたいという人たちと終業後にどこかへ繰り出すことになっているのかも。
そうだったなら残念だけど諦めなきゃだなと、
早くも視線を下げて肩をすぼめておれば、

【勿論、空いてるぜ? つか、図々しくも敦からのお誘いを待ってた。】

からりとした声がそうと言い、
何なら車出して探偵社前まで掻っ攫いに行こうかと思ってたなんて、
誰かに訊かれちゃまずいよなと言いたげに低められた声で紡いでから、
くくくと楽しそうに笑う人で。

「うう…。」

ああもう、あんなにドキドキしたのに、
今も携帯を持つ手がカクカクと小さく震えているのに。
心配要らない、さあ来なと、
双腕広げて待ち受けててくれてる頼もしさは、こんなところでも発揮され。
自分だけ焦ったのがちょっぴり憤懣、
でもあっという間に ふふふとこっちも吹き出していた虎の少年であったりするのである。



     ◇◇



食事は用意してあるから、お腹を空かせて来るようにと念を押され。
出張中の乱歩さんと付き添いの谷崎さん以外、
今は特に残業するほどの案件にも携わってはない皆さんとともに、
無事に退社時間を迎えた敦くん。
ロッカー前で常の荷物の肩掛け鞄を取り出して、
まずは一旦自宅へ戻ろうと社屋の階段を軽快に駆け下りれば、

「あーつーし く〜ん♪」

こちらもまた響きのいいお声で
ローレライのごとくに後輩くんを呼び止め誘う
困ったお人が待ち受けていたりして。

「何ですか、太宰さん。」
「なに、久し振りに一緒に食事でもどうかと思って。」

朗らかににこにこと言ってから、
ふっと目許を伏せがちにすると、
一気にその麗しい風貌へ柔らかなウェット感が加増され。
愁いを染ませた表情に添うた、落ち着いた声音が付け足してのいわく。

「今宵は芥川くんも出張で寂しい晩なのでね。
 春の夜長に寂寥感を覚えぬよう、互いに慰撫し合おうじゃないか。」

「じゃあ、あのメトロの降り口に立ってる人は誰なんでしょうか。」

社屋前の通りを挟んだ向かい側、地下鉄の駅へと降りてゆく屋根付きのステップ前に、
春の黄昏を柔らかく吸い込む黒外套の青年が立っており。
それは彼にも想定外だったか、え?と振り向いたまま背高のっぽの先輩さんが固まったのも一時。

「それじゃあ、よい夜を。」

ではねと手を振り、あっさり去ってゆくところが判りやすい。
今の一幕って何だったんだろと、敦が小首を傾げておれば、

「大方、自分だけ一人で過ごすのは癪だから、
 お前を道連れにして、ついでに俺へまで嫌がらせをしてやろうって魂胆だったんだろうよ。」

「おおう。」

そのお顔のすぐそばに、背後から突き出されたお顔があって。
少年の肩口へ細い顎を乗っけると、そんな風に一息で語ってくれて。

「ちゅ、中也さん?」
「おう。」

ふわりと香る頼もしくも華やかな薫りと、背後という間近にいきなり添うた温み。
さすがはマフィアだ油断がならないと改めて思いつつ、
たったかと去ってゆく、もはや見慣れた二人連れを一緒に眺めておれば。

「今日が何の日かくらい あいつにも判ってただろうから、
 どんな手を出してくるものか こっちも警戒はしていたが…。」

なぞと紡いだ重力遣いさん。
ちょっぴり鹿爪らしいお顔のままで続けたのが、

「芥川が出張ってのはこっちもうっかり見落としてた盲点でな。」

ウチと提携している興行系の会社の会合の護衛とあっちゃあ、
下手な奴との差し替えも利かねぇ。
こりゃあ青鯖野郎は野放しになるかと案じたが、

「で、どうしたんです?」

だって、だのにその芥川くん本人がそこにいた。
どんなに意外な帳尻合わせが起きたのかと関心も満々に敦が訊けば、

「どうもこうもねぇよ。」

へっと吐き出すように息をついた幹部様。
片やへは帽子を持った両腕を前へと回してくると、敦へぎゅぎゅうとしがみつきながら、

「出先まで俺が迎えに行って駆け戻ってきたまでだ。」
「…それはまた。」

フェラーリだったかシトロエンだったか、
すこぶるつきの足回りのに乗っている彼だったはずで。
今更スピード違反の罪状が増えても何ぼのもんじゃいと腹をくくり、
会合とやらが終わると同時というノリで あの漆黒の覇者殿を掻っ攫うため、
ちょっと箱根の小涌谷までを往復してきたのだそうな。

「てなわけで、俺は疲れた。さっさと帰るぞ。」
「はい♪」

他でもない彼こそが祝われるべき日だというに
そんな思わぬ奔走までさせられてはねと、
くすくす笑った敦だが。

 “なんか、うん。……嬉しいな。”

だって、どうでもいいことだったら放っておくだろに、
太宰の思惑に敦が連れ去られても、ありゃまあ災難だったなで済んだ一幕だったろにね。
若しくは、早い目にこちらへ出向いて 虎くんの争奪戦になだれ込むとか?
それはそれで相手が相手だけに大変面倒な騒動になったかもで、
そんな選択はなしとし、自分の身だけをすり減らす無茶をして穏便に運ぼうとしたなんて。

「二人でお祝いしましょうね?」
「……おう。」

顔が見えないのをいいことに、か、
気に入りの少年の抱き心地に陶酔してか、
背中へのくっつき虫になったまま、むにゅと応じた帽子の幹部様だったれど。
そのままひょいと腕を上げれば

「わ。」

敦は軽々と肩の上へ担がれており。

 異能はなしですよぉ
 ば〜か、使ってねぇよ
 嘘うそ、いくら中也さんでもこれは不自然っ

だって自分の重さが感じられない。
寸の足らない幼子じゃないのだ、足の側とかだらんと垂れるはずがそれもないとくれば、
重力操作されたとしか思えずで。

「…どうでもいいが社屋前で騒がんでほしい。」

ビルの正面扉前にて、こそり溜息をついたのが誰だったか。
春の宵がひたひたやって来る時分のことでした。






 *あああ、まさかの続くです。
  肝心なお祝いのシーンが書き切れなんだ。
  何でこうも寄り道しまくるんだ、私…。
  というか、困難が多い苦労人の中也さんだということで。(おいおい)



次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ