短編

□小さき戦士へ祝福を
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いい風が吹く。
港町ヨコハマでは、遅い春からそのまま初夏へ突入したいかのような陽気が続いていて、
観光地としてにぎわう界隈では、こじゃれた街灯から提げられたおしゃれな幕飾りがはためく。
潮風に乗ってだろう、広場までかすかな汽笛が聞こえ、
噴水からほとびるしぶきがあおられ、制服姿の少女らが歓声を上げる。

「中也さん、ベランダにこれ干していいですか?」
「おう。」

街なかのおしゃれなマンションでは
ベランダに洗濯物を干すのはご法度というところが多く。
中也の住まいでも窓辺やテラスにそのような干し物は見受けられないが、
なんのその場へ立ってみれば、テラスは結構な広さがあるので、
その奥行きを生かせば、
スタンド式の物干しを低く構えて据えることで、
一人分の衣服くらいなら十分干し出せて。
洒落者の中也は綺麗好きでもあるようで、
ようよう吟味したシャツやタオルなどを自分で洗って管理しており。
最近出入りするようになった年若な恋人さんのためのリネン類も増えたため、
天気の良い日は逃さずにこまめにお洗濯に勤しんでもいる。
…といっても実際に働くのは洗濯機で、
脱水が済んだとブザーが知らせたのへ、
今日は休みで遊びに来ていた虎の子くんが勇んで飛んでったのを、
おやまあと苦笑混じりに見送る中也だったりする。

 “別に乾燥機で乾かしてもいいんだがな。”

せっかく敦が来てくれたのだ、こんな家事なぞ夜中へ回しても良かったが、
おままごとみたいな作業に楽しそうにはしゃいでいるお顔を見るのもまんざらではなくて。

「おっと。」

時折ひときわ強い風が吹き付ける。
干し出したタオルやシャツが揃って躍り、
中也が濃色のタンクトップの上へ羽織った
やはり濃いめの色どりが鮮やかなオーバーシャツの裾も強めの風にはためく。
普段着もどこかおしゃれな彼であり、
スタンド式の物干しへフェイスタオルを並べて干していた敦は、
風が悪戯して前髪が目許へ掛かったの、
ふるると首を揺すって振りのけている中也の所作につい見惚れた。
伏し目がちになると睫毛の長さが際立って、
濃青の双眸になおの影が落ち、意識しない色香が滲む。

 “あれは反則だなぁ。”

本質的なところはとっても頼もしくて男らしい人なのにね。
カリカリのトースト、がぶりと大きく齧るのは雄々しいが、
片手で端と端へ指を渡して支え持つ所作は
どちらかといやモデルのように決まっておいでで。
何をさせてもそんな感じで絵になるものだから、
敦としては見惚れるので忙しい。
…と、

「わ…。」

そんな風に呆けていた不意を突かれ、
ひゅうんっという風鳴りを引き連れたひときわ強い陣風が吹き付けて来、
こちらもはやばやと初夏向けのを着ていたやや大きめのシャツがばささっとはためいて。

「あ…。」

きっちりベルトで締めてズボンのウエストへインしていたはずなのに、
どういう弾みか裾の一方だけが引きずり出され、そのまま大きくめくれ上がり。
そんな事態へ、わぁっと随分堅い声を出して慌てた敦だったことへこそ、
中也が何だ何だと注意を向ける。
そして、その視野に一瞬だけ映ったものは、

「……。」

それまでどこか微笑ましい笑みを滲ませていた彼の顔から
そんな温かい甘さを払拭するには十分だった陰惨な代物で。

「敦。」

慌ててシャツをズボンへねじ込み、居住まいをただそうとしている少年へ、
すたすたと素早く近づき、その名を呼びかければ、

「え…?」

明らかに態度がぎこちない。
隠していたものを見られてしまったと、
そんな動揺がありありとあふれており。
視線を揺らして落ち着かない敦なのへ
何かしら得心がいった中也は、
有無をも言わせず腕をつかむと、
背後のリビングへ引きずり込んで掃き出し窓をがらりと閉じた。
その上、更紗のカーテンまで引き、
何処からの目も届かぬ空間にしてから。
その大窓に少年の肩越し、トンと手をつくと、

 「見せな。」

静かな声を掛ける。
途端にひくりと肩を震わせ、息を引いたのが痛々しい。
この自分へ…人殺しなんだぞと言い放ってもこうまで怯えたことなぞなかったのに。
さほど強く見据えているわけでもない中也からの視線に怯み、
唇を震わせ、背後の窓へ身を貼りつける。
袖まくりをしたシャツから伸びた手は、自分の細い腹辺りを押さえていて、
中也が見せろと言っているもの、判っていることを示してもいて。

 「何なら俺が剥いてもいいんだぞ?」
 「…っ。」

脅しすかすつもりはなかったが、
つい強めの言いようにを重ねてしまう。
するとますますと肩を縮めて竦み上がるのが、
他でもない中也にこそ堪えたが。
見なかったことにしていいものでもないと、
譲らずに じっと、愛し子の紫がかった双眸を見つめておれば。
力を入れていることで筋張っていた手、震えつつ外して、
ゆっくりとシャツの裾を上へとめくりあげる。

 風に浮き上がった薄色のシャツの陰に
 中也が見たのは、
 白い肌には悪目立ちする、茶色がかった線状の傷跡

今時の子にしてはいつもいつもシャツをしっかりズボンに入れている子で、
身だしなみをきちんとしているだけかと思っていたが、

 “そうか、これを隠してたんだな。”

恐らくは孤児院で受けた虐待の跡。
まだ十代の彼なのだ、古いといっても数年ほど前に受けたそれであろう。
火傷の跡らしいミミズ腫れは、
成長に合わせ、元のそれより引っ張られて大きくなってもいるようで。

「…。」

シャツをめくった敦の手が震えている。
真っ青になった顔には日頃の朗らかさどころか表情もなく。
こんな風にあらわにすることを無理強いするなんて、
彼には十分すぎるほどの辱めにあたることでもあろうと思ったが、

 “隠し通せるもんでもなかろうによ。”

どんどんと親しくなってく自分たちであり、
夏という季節もほど近く、
薄着になれば、あるいは着替えや何やの拍子に目にとまったろうに。

 「……。」

ただまあ、自分の身にも無数にある喧嘩傷と根本的に違うのは明白で。
目に見える傷跡そのもの以上に、その心へ負った傷の深さはいかばかりか。
かすかに嗚咽を洩らす声が聞こえたのへ、これ以上は酷だと感じ、
シャツを掴む彼の手へ自分の手を重ねると、
中也はそのままその場へしゃがみ込む。

「…え?」

重ねられた手の感触に、こちらを見下ろしてきた敦へ何も言わぬまま、
傷のうえへ顔を寄せると引き連れた火傷の跡へ唇をふれさせたものだから。

「な…、だ、ダメです、そんなっ。」

不意な感触に身を震わせつつ、何をするのだと慌てて身を後背へと下げかかるが、
既に窓に背を預けているので、それ以上の身動きはままならぬ。
傷としては痛みもないのだろうが、皮膚が薄くなっているのだろう、
思わぬ感触に撫でられて、ひくりと震えるのが痛々しいが、
中也には同情するつもりはないらしく。

「立派な勲章じゃねぇか。」

そうと言ってちろりと視線だけで敦を見上げてくる。
そんな勇ましいもののような言い回しをされてもと思ったか、

「そんなじゃないです。」

敦の声は聞き取るのが難儀なほど小さい。
勲章なんていうのは、もっと勇ましくも雄々しい行動の結果得られたものに付与されるもの。

「抵抗さえできなかった、弱いものだったから付けられた傷です。」
「そんでも。」

敦の言いようを否定するよに、中也は語気を強め、

「戦ったんだよ、お前は。そん時だけじゃなく今も。」

すっかりと忘れるわけにはいかぬだろうが、
それでも…ああまで朗らかに笑えているじゃあないか、
普段は忘れていられるじゃないか。

「そんな地獄のようなところに居たのに、
 お前はそりゃあ優しくて、俺さえ根負けさせる辛抱強い子じゃないか。」
「……っ。」

中也の声がふわりと柔らかくなり、
それへ誘なわれるように敦も中也と同じようにしゃがみ込む。
床の上へへたり込んだ少年は、
唇を噛みしめ、目許も涙の膜におおわれ、
今にも泣き出しそうなのを、
ぐいと引っ張り、顔を肩口へと伏せさせて。
愛しい痩躯を懐ろに掻い込み、
気に入りの髪をわしわしと撫でてやり。

「いいか? お前は全部俺ンだから。
 この傷だって俺ンだからな。
 だから勝手に卑下すんじゃねぇ。」

ぐすぐすと鼻を鳴らす気配が聞こえ、なかなか返事はなかったが。
ややあって届いたのが、

 「…ひげって何ですか?」
 「あ〜〜〜〜〜〜っとだな。」

髭ではないのは抑揚が違うので分かったらしいが、
じゃあどういう意味だろと思ったらしく。
うんうん、頼もしいもんだと、
中也が苦笑をこぼしたのは言うまでもなかった。




   〜Fine〜  17.04.18.







 *与謝野先生に一度治療されてる敦くんですのに、
  モンゴメリちゃんに自分も同じ傷がと見せていたので、
  あの恐ろしい、もとえ素晴らしい異能でも古い傷は消せないのですね。



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