短編

□贅沢なお悩み?
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何だか微妙な煩悶を抱えたらしいかつての預かりっ子だが、
ままああいうことはつまるところ本人がどう解釈して納得するか、なので。
敦くんの助言で何とか気が済んでいればいいのだがと、
その可愛い恋人くんとの逢瀬で多少はリフレッシュした身を運んだのが、
勤め先の大きな大きなインテリジェンスビル。
正面玄関にあたる広大なロビーを小気味よく靴音を刻みつつ進み、
幹部専用のエレベーターの前を一旦通り過ぎながら、

 “なんか俺、解禁してからこっち、溜息ばっかついてないか?”

とある事情があって見守っていた子へのプレッシャーにならぬよう、
そんなもの自然に出るものなはずの溜息を頑としてつかぬよう心掛けていた。
その子が何とか落ち着いたとあって、
厳しく強いていた心がけを解いた途端に、
まあまあ ままならない事象のなんと多かりしことか。
その中の 特にここ最近の悩みの種というのが、
そのまま…敦くんを寂しがらせてもいる原因でもあったりし。

 中也さんバブルが敦くんにこない理由。
 それはひとえに 部下たちからの報告書がなかなか上がってこないからに尽きる。

子供の頃、会社員の人って会社で机に向かって何してるんだろうと思ったものだが、
大雑把に言えば、総務の人の場合は書類整理が主な職務で、
営業の人は外回りして契約を取って来るのがお仕事。(…ざっくりすぎるぞ)
会社や業種によっては企画立案とか他社との連携保持などなどもっと細分化されても来ようが、
人にはそれぞれに様々な才覚があるので、基本、得意な方面へあてるのが一番効率もいい…とはいえ。
現場のことは現場の人間にしか判らぬものだし、
やり方を動かせぬほどの基本の手順があるようなルーチンワークならいざ知らず、
ケースバイケースの極みだろう、
派遣された先で制圧なり仕置きなりを下すという彼らの“任務”は
どうしたって当事者が報告せねばならぬ部分が多く。
なかなか書けない気持ちは判るが、こんの体育会系の脳筋らめがと。
それは美人で、気風もいいマフィアの幹部様、
今日もまた、拠点である最新鋭の超高層ビルへと到着すると、
まずはの一仕事として…武闘派連中が集まっていよう区画に顔を出し、
細い眉根をこれでもかと吊り上げると、

「締め切りを言っといたはずだよな。
 報告書が出てねぇと任務完了とは言えんから、次の仕事はやれんとも言った筈だよな。」

常習犯を相手に口を酸っぱくして毎朝のように同じことを言い、
その成果として締め切り当日にどっと集まる
似たような中身の報告書に目を通し続けにゃならん悪夢の繰り返し。
何が悲しくて運動部の顧問や部長職を任されている高校教師みたいなことに、
やっぱり体育会系の自分が頭を悩ませにゃならんのかと、
中間管理職の悲哀に今日も今日とて浸りつつ。
上階に設けられた自分の執務室に落ち着くと すぐにも
懐ろから出したパスケースにそっと忍ばせた
虎の少年の愛しい笑顔の写真で心を癒すしかなかったりして。
…どこの単身赴任のパパでしょか。
スマホの待ち受けにしていないのは まだ理性が働いて踏みとどまらせていてのこと。
そのうちデスクへ写真立てを並べかねない、まだ22の独身幹部だが、

「中原さん、いいですか」

ノックの音とそれが地声で小さめの呼びかけなのへ ああと生返事をし、
それでも一応はとパスケースをしまっておれば。
顔を出したのは見慣れた黒髪と黒い外套をまといし痩躯。
ゆるく握った拳で口元を押さえ、小さな咳を押さえつつ入って来た存在に、
朝っぱらからげんなりしていた幹部様も何とか機嫌を盛り返す。
ただ力押しをするばかりじゃあない、
異能を巧妙に使った奇襲も鮮やかにこなせる顔ぶれたちじゃああるが
実行部隊なためか基本的に脳筋揃いの部下らの中、
唯一こっち方面でも優等生で通っている芥川が顔を出し、
その手には持参してきた書類用封筒。
彼もまた、先日 中也が通達した任務をこなした身で、
その報告書をはやばやと出しに来たらしく。
封筒ごとというのはやや不遜な提出かも知れぬと封を開けかかるのへ、
そんな瑣末なことは構わないと
上司の方が挨拶もそこそこに先んじて手を伸べている。

「確か、密輸ダイヤ横流しへの制裁だったな。」

組織が大きくなると、
末端のささやかなズルなんてバレやしなかろという甘い考えの下、
不正をやらかす黒ネズミも後を絶たぬ。
ポートマフィアほど大きなところへ外から突っ込んでくる見上げた輩より性分が悪く、
見せしめも兼ねて熾烈な仕置きになるのはしようがなく。
察知されてすぐという手配へ、
暗殺部隊レベルの少数精鋭、ただし
周辺へその仕置きの苛烈さがすぐにも伝わるような顔ぶれでと配された一団の指揮を執った
まだまだ年若ながら、誰からも一目置かれておいでの漆黒の覇王様。
中也にしてみれば忌々しいことながら、誰かさんによる初期の仕込みがよろしかったか、
こういった報告だの上下関係というものへの基本的な礼節も行き届いており。
個人的に親しい間柄でもそれとこれは別というわきまえも当然あって、
中也が書面へ目を通している間、
両手は背後に軽く組み、裁定を待って立っておれば、

「内容には問題なしだがな、芥川。」

眉一つ動かさぬまま、書類から顔を上げた幹部様、
この彼の前でも解禁とした深い溜息をはぁあと一つつき、

 「太宰の赤ペン添削があるもんを受け取るわけにゃあいかんのでな。」
 「? …っ。」

ほれとデスクの上へすべらせるようにして突き返された報告書には、
成程、赤インクによる“添削”だろう添え書きが多数。
はい?とキョトンとしてから現物へギョッとして、
手にした書類、顔を隠すように立てて上から下まで見返している彼なのへ、

「奴は俺への嫌がらせにはどんな労力も惜しまんからな。」

いつなんどきも油断してんじゃねぇよと、
そうと言いつつ手近な書類を筒のようにクルクルと丸めると、
重厚な重役用の椅子から立ち上がって身を伸ばし、
デスク越しに気に入りの青年の猫ッ毛が載った頭をぽすっと軽く叩いて、

 「にやけてんじゃねぇよ。」

判る人が限られよう、微妙な表情を読み取ったうえで、
上司としてというより親代わりとしてクギを刺すのを忘れない。
相変わらず字がきれいだね、だの、
指揮する者として任せる部分も持たなきゃダメだよ?だの、
こうやって まずは中也が目を通し、
それから芥川本人も見るのだろうという段取りをしっかと読んだ上に違いない、
幼い子供への指導のような添削が連ねられた花マル付きの書類は、確かに受理するわけにもいかず。
新しい用紙を取り出すと、

「此処で書き直してけ。」

内容には問題もないのだしと、中也が勧めるまま、
忙しい折には秘書役の応援を呼んで使わせる予備のデスクに素直につくと、
改めての報告書製作に手をつける黒衣の青年で。
中也も別の書類へと目を通し始め、
室内はペンの走る音がかすかに拾えるだけという静謐に包まれる。
そんな中へ ぽそりと落とされたのが、

 「人虎から聞きましたか?」

さして抑揚のない一言で。

 「……まぁな。」

言葉に詰まって返事を探した時点で “是”と言っているようなもの。
そこへさっさと気づいてはやばやと降参の意を呈し、

「依頼をいちいち口外するような蓮っ葉な子じゃあないが、
 俺と親しいって間柄を思ってだろう、つい話してくれたんだ。」

先のようにあんな短い一言で話が通じる間柄なのを慮ってのことというのは、
芥川にも判ってはいたようで。
だから訊いたのでもあり、
だとすれば、恥ずかしい告白をしたよなものだというのが
中也にも筒抜けになってたんだと含羞むかと思えば、

 「親身になって話を聞いてくれて、一生懸命考えてくれました。」

 『ずっと尊敬してた人なんでしょう?
  でも、探偵社なんていう一番遠いところに行っちゃった人で。
  そんな遠かった人がいきなり間近に、それもいつも居るなんて緊張するよね。』

太宰さんていろんなことを知っていて、沢山話しかけてくれるでしょう?
それはきっと、場をつなぐためとかじゃなくて
キミが緊張してるって判ってるからだと思うよ、だから心配しないでいいよと。
だって中也さんもそうだったもの、肩から力が抜けるの、待っててくれてると。

 『だって、笑顔でいてくれるでしょ?』

大人だから作り笑いくらい簡単に出来るのかもしれないけれど、
二人きりの時に何でそんな必要があるの?
警戒されてるなんて、ボクだったらちょっと傷つくかもしれない。
でもでも、大事な相手だから、傷つけたくないから
それが判ってほしいから笑顔になれるんでしょ?って。

「……。」

ああ、あいつらしい言葉だなと。
何とも子供らしい、真摯だがちょっと理屈が足らない言い回しだなと、
中也は思わず苦笑をこぼす。
世間知らずだが それでもフワフワした幸せしか知らぬ子ではない、
それはつらい育ちをしたが故の、
拙くて、でも一生懸命に考えての言葉をくれる子で。
大人の中には 散々優しくしておいて手のひら返したように冷たくし、
それへ絶望するところを見てニタニタ嗤う最低のクズもいるというに。
世の中の最も深くて酷くて鋭い淵が巡る陰惨な暗部に棲み、
そんな甘い考えなんて通りはしないと一番知っている自分へ、
なのに、血の匂いに怯えもしないで懐ろまで入り込み、
人の手の、何も鎧わぬ素肌の、脆いけれど暖かいことを思い出させてくれるキミ。

「とはいえ、
 素性が怪しい者からの依頼へ、
 子供一人で送り出す探偵社の在りようは問題だと思いましたが。」

自分で仕掛けておきながら、
不備の多かった依頼と不審な依頼主を確認もしない、
二人で当たるという原則も守れないとはと、
至らぬところを数え上げるのも忘れない。
あくまでも辛辣な姿勢、揺るがせないぞとしたいらしい芥川だったのへ、

「そのご対面、直前まで太宰が同行していたらしいぞ?」
「…?」

だからどうしたまでは言わず、
ふふんと口角を引っ張り上げて笑って見せた中也だったりし。
何でこの人が探偵社の肩を持つのだろうかと、
ひょこりと小首を傾げた、漆黒の覇者様。
全くの全然、笑い方は違ったのに、
そこに自分の崇拝する師匠を見たような気がした。

 「…褒め言葉になってないからやめろっ#」





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